ここは一体、どこだろう。
周囲は暗いばかりで、何も見えない。あるのはただ階段ばかりだ。
闇の中に、輪郭だけが浮かび上がって見える、階段。
光なんてどこにもないのに、なぜだかそれだけは見て取れる。
上へと続くもの、下へと続くもの。螺旋階段、手すり付きの階段、梯子のような階段。
向かう方向も形状も様々な階段が、俺の周りに無数に伸びている。どこかへ。そう、どこかへと。
この中から、俺はどれか一つを選ばなきゃならないのだろうか。
ああ、そうだ。どこかへ行こうとするなら、どれかを選ばなきゃならない。当然のことだ。
階段は、何処かへ行くためにあるもんだ。ここに階段があるのなら、俺はどこかへ行かなきゃならない。
そうとなったら、どれを選ぶべきなんだ?
ここにある階段はどれも、続く先が霞んで見えない。全てが全く違うから、選ぶにも目移りしてしまう。
なら、同じか。
全部違うなら、全部同じってのと変わりはない。手がかりはゼロ。それでいい。
どれかを行けばどこかへ着くんだ、それでいいだろう。
だったら、と俺は最一番近いところにある階段に足を掛けた。それが続く先は上だ。一段登ると、足先が離れた段はぼろぼろと崩れた。
後戻りはできない、ということらしい。
それでも俺は登っていった。もし終着点に何かあったら、飛び降りればいいってだけだ。それで死んだって、知るもんか。
階段はぐるぐると回りながら上へと続く。一足ごとに、階段の残骸が闇に散る。
すでに高さは相当なところに達していた。
不意に聞こえた断末魔の悲鳴。そして階段は終わりを告げた。
延々と続く段の代わりに現れた、鋼鉄の扉。触れれば火傷しそうに熱い。どうやら悲鳴は、この内側から聞こえたらしい。
ここは、地獄への扉か?
いくら耳を澄ましても、悲鳴はもう聞こえなかった。
この扉、開けてみるか。
俺はノブを回し、扉を引き開けた。
そこにいたのは、白い着物を着た氷色の髪の男。蒼い羽織を肩にかけて、酷薄な微笑を浮かべて。
「よくぞ参った、愚か者」
嘲笑、侮蔑、冷酷、――残虐。そういうものを混ぜて声にしたら、きっとこうなるのだろう。
そいつの声は、ひどく明朗に響いた。
「其処を開けずにおれば、私のことなぞ知らずにおれたものを」
どういう意味だ。
問い詰めたいのに、声が出ない。
男が俺に歩み寄ってくる。酷薄な微笑を浮かべたまま。
「後悔するがいい。選ばずとも良い階段を登り、開けずとも良い扉を開けてしまった過ちを」
その時、唐突に俺は気付いた。
そいつの背後には、血の海が広がっていることに。
散らばった四肢――竜革のコート――転がった頭部――赤い髪――金の瞳。
あれは――・・・・・・、俺か。
ニィ、と間近で唇が笑う。酷薄な印象は変わらない。
「さあ、宴を始めろ。生死の境を渡る宴を。あの末路を辿らせる用意は整っている」
耳元で囁かれる声。笑う気配。
そして、俺の足元は崩れた。




「大丈夫か?大分うなされていたが」
「・・・・・・ああ」
むくりとシヴァは起き上がり、オニクスが差し出したグラスを受け取った。枕元の水差しがなくなっているところをみると、そこから 汲んでくれたらしい。よくもまあ、こうも気が回るものだ。
むき出しの肩が外気にさらされる。冷たい水が火照った喉に快い。普段は何とも思わないものが、心底ありがたいと思った。
自分は疲れているのだろうか。あんな夢を見るなんて。
「アグニ」
「その名で呼ぶな」
「階段って、昇り降り以外に使い道あるか?」
「・・・・・・・・・・・・座る。手すりを滑る」
いくばくかの沈黙の後、オニクスはそう答えた。彼なりに考えた末での答えらしい。
「だよな、そんくらいしかねぇよな」
「それが、どうかしたのか」
「んや。階段の夢ぇ見たってだけさ」
「階段」
鸚鵡返しにオニクスは呟き、シヴァの仕事机に溜められた書類の山を漁りながらぽつりと洩らした。
「・・・・・・登った先には、未来があったのかもな」
「は?」
思わずシヴァは聞き返した。
「なんでそうなるんだよ」
「よく人生に喩えられるものだからだろう」
「普通は道だろ」
「だが、道は踏み外せない。階段なら踏み外す事もあろうが」
「・・・・・・ヤなたとえ使うなよ」
「それだけではないぞ。螺旋階段を二つ重ねれば、遺伝子の二重螺旋構造と同じようになる。それはまさしく生命だろう?」
オニクスの台詞で嫌なことを思い出し、シヴァは顔をしかめた。
自分が登った階段は、螺旋階段だった。しかも反対側には、逆回りの螺旋階段が対になって在ったのだ。
生命の階段を登る。それは確かに、人生を進むという行為の比喩だった。
しかめっ面のシヴァを肩越しに見やり、オニクスは小さく肩をすくめた。
「古来より、後ろには過去、先には未来と定められている。ならば、階段の先に未来があってもおかしくはなかろう」
「・・・・・・かもな」
しぶしぶシヴァは同意した。しかし、あれが未来なら、あの男は何だというのだ。
そして自分は、ああやって死ぬ定めにあるのだろうか。
「・・・・・・知るかよ」
そんな風に定められているのなら、階段など飛び降りてやる。あの男が自分を殺すというのなら、いくらでも反撃してやる。
定められた未来などいらない。
「何がだ」
シヴァの呟きを聞いてオニクスが振り返る。シヴァは目を逸らし、「何でもねェよ」とぶっきらぼうに返した。
「――神が神を縛る事はできん」
「あ?」
「いかに時令司公や運命卿とて、完全に未来を支配することはできんということだ。たとえ天帝閣下であろうとな。悪夢と同じことが 起きるのを恐れているのだとしたら、そうならんように動けばいいだけのことだ」
「簡単に言いやがって」
「できんのか」
「やってやる」
噛み付くように言ったシヴァを軽く笑い、オニクスは中断していた作業――書類の山漁り――を再開した。
「んで、お前は何をやってんだ」
「書類を捜している。一つ、印を押し忘れたものがあったのでな」
「書類ぃ?」
「お前、下は履いているか」
「そりゃな。素っ裸で寝てたら何かと面倒じゃねぇか」
「だったら上半身裸で寝る癖も直せ」
ばさ、と布が飛んできた。見ればそれはワイシャツだ。せめてそれを着ろ、ということらしい。
「着終わったら手伝え」
「へいへい」
上司使いの荒い奴、と心の中で呟きながらシヴァはベッドを抜け出した。ボタンを留めるのは面倒なので、シャツはただ羽織っただけの 状態だ。オニクスは顔をしかめた。
「ボタンくらい留めろ」
「面倒。で、何の書類だ」
「今度の創世記念祭の、火属欠席届をまとめたものだ」

『さあ、宴を始めろ』

夢で聞いた声が頭をよぎり、思わずシヴァは身を震わせた。
階段の先に待つのは未来。
そして、創世記念祭は宴。
これは何か、関わりがあるのだろうか?
もし、そうだとしたら。
『あの末路を辿らせる用意は整っている』
(死・・・・・・)
「どうした?シヴァ」
「――なんでもない」
追究はなしだというように首を振り、シヴァは書類の山を探り始めた。


階段の先に待つのは未来。
登った先には一つの扉。
それを開けたら終わりなのだと知っていて、けれど他に道はなくて、飛び降りても無事かどうかは分からない。
そんな状態で、自分は何ができるだろう?
思うほど簡単に飛び降りられる?



階段の先は、霞んで見えない。




END.

up date/05.02.22


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