窓の外に――

何かいる。

青木は布団の中でぼんやりとそう考えた。左側にある窓の向こう、薄暗い夜の闇の中に、白っぽいものが浮かび上がって視界の端にちらついている。
窓はすりガラスだから、ぼんやりとしか見えない。外の木にコンビニのビニール袋でも引っかかっているのだろうか。
それとも――
人間?
能面のように白い顔が、すりガラス越しにこちらを覗き込んで。
ここは一階だからそれも可能だ。
一度そう考えてしまったら、それが本当に人の顔のように思えてきて、はっきりと窓の外を見るのが怖くなった。
確かめてしまえば済むことなのだろうが、そんな気力はすでにない。けだるい眠気に身を任せてしまいたかった。
身を守るように布団の中へと潜りこむ。体を丸め、窓に背を向けて。眠ってしまえばこちらのものだ。外界と切断された意識の中まで入って来られやしないだろう。
白い影が頭にちらつく。
祈るように目を閉じて、よりいっそう体を丸めた。
ぼそぼそとささやくような声が聞こえる。隣の部屋からだろうか。内容までは分からないが女の声のようだった。
女の――白い、顔。
声がするのは本当に隣の部屋からだろうか?
怯えと眠気の間をしばしさまよい、やがて眠りの淵に沈んでいった。


翌朝、窓の外を確かめてみる。
そこには何の痕跡も残っていなかった。


***


ふあ、と抑えそこねたあくびを漏らすと、途端に三堂の声が飛んできた。
「眠いんだったら寝てしまえ。何なら永遠にでも構わんぞ」
「うえ!?え、いや・・・・・・」
「三堂さん、その台詞は前半だけで止めておきましょうよ」
タイミングよく給湯室から顔を出した西邑が、青木の前にコーヒーを置いた。濃い目に淹れてあるらしく、他のそれより色が黒い。
今これが出されるということは、彼は青木があくびをする前から気づいていたのだろう。相変わらずの観察眼だ。
湯気を立ち上らせる白いマグカップを受け取って青木は軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「寝不足の原因に心当たりがあるようなら、早いうちに改善したほうがいいですよ」
「あー・・・・・・原因、というか、まあ・・・・・・」
青木が言葉を探していると、三堂の目がまっすぐこちらに向けられる。何もかも見透かすような、目。
とっさに青木は「お隣が」と口にした。
「お隣?ああ、そういえば青木さん、最近引っ越したんでしたっけ」
「ええ、いい物件を見つけたので。――そのお隣が、毎晩何かやってるみたいで。壁越しに声が聞こえるんです」
「そんな安普請の部屋に越したのか」
「造りはわりとしっかりしてるんですが・・・・・・」
「じゃ、怪奇現象ですかねェ」
ごくあっさりと言われたそれに、思わず青木は動きを止めた。あの白い影が頭をよぎる。
あれは怪奇と呼ぶほどのものではない、はずだ。
三堂と西邑が「まさか」と目を見合わせる。
「・・・・・・他にも、何か心当たりがあるのか?」
「いえ何も」
「じゃあなんで目をそらす」
「・・・・・・あー・・・・・・」
「青木」
ふいに霧島が口を開いた。それまで黙ってノートパソコンに向けられていたはずの視線は、いつの間にか青木のほうに向いている。
「・・・・・・なんですか?」
「その部屋、どこの不動産屋の紹介だ?」
「え、・・・・・・山野不動産っていうところの紹介ですけど、それが何か」
「今後の参考にな」
それだけ言うと、霧島は興味を失ったかのように元通りノートパソコンへと目を落とした。
いまいち釈然としないものを感じながら、青木たちは顔を見合わせた。そこに「気をつけろ」と霧島の声だけが飛んでくる。
「そのアパート、ちっとばかり厄介だ」


***


厄介、とは一体どういうことだろう。
ここを紹介した不動産屋に何かあるのか。
それとも、この建物自体の問題なのか。
問い詰めても霧島は「すぐに判るだろうさ」としか言わなかった。
あのひとは何を考えているんだ?
自分が見た影のことや、隣から聞こえる声のことを知っているのか?
それが何によるものなのかを知っているのか?
もしそうなら、どうして教えてくれないのだろう。
埒が明かない。
窓の外にまた、白い影が浮かび上がった。
カーテンを買って取り付けようとは思っているが、なかなかそのための時間ができない。
影に呼応するように、隣の部屋から声がし始める。まただ、と青木は眉をひそめた。影も声も、青木の眠りを妨げるようにやってくる。
初めはひそやかに、そこから少しずつ音量を増して、女の話し声と判別できるほどになる。これも昨日と同じ。
いい加減にしてくれ、と言いたかった。しかしそうする気力はやはりない。音源から遠ざかるように足を引っ込めて体を丸め、手のひらでぐっと耳を塞ぐ。
隣から聞こえる声の調子が、だんだん激しくなっていく。
苛々が破裂しそうに膨れ上がったところに――

ダァン、と壁が叩かれる音がした。

はっとして飛び起きようとしたが体がまったく動かない。混乱してもがいている間にも、断続的に音がしている。
ハンマーで殴るような硬い音ではなく、手のひらで必死に叩くような。
――最期の力をふりしぼって、何か訴えようとしているかのような。
早く駆けつけなければという思いだけが空回りして、一向に動けるようになる気配はない。やや音が強くなる。それこそ追い詰められたような切実さを込めて。
やばい、と思った瞬間に、ふっつりとその音が途絶えた。未だ動けずにいる青木の耳に、ただ一言だけ明瞭に届く。

「死ね」


***


翌日、青木は欠勤した。
「大丈夫ですかね?わざわざ休むなんて。風邪か何かですか?」
「熱を出したそうだ。あの馬鹿、体調管理がなってないな」
「まあ、そうおっしゃらずに。環境が変わったせいかもしれないじゃないですか」
「そういえば青木さん、引っ越したんでしたっけ。そんな居心地の悪い物件なんですか」
昨日の会話には加わっていなかった佐竹が聞いてくる。答えたのは、それまで無言でいた霧島だった。
「かもな」
いつもと変わらぬ感情の読み取れない声だ。ふっと三堂は顔を上げ、探るように霧島の目を覗いた。
それを感じ取ったのか、ノートパソコンに落とされていた霧島の視線が上がった。すかさず三堂は追及の声を向ける。
「課長は、本当に何も知らないんですか?」
「・・・・・・何がだ」
「昨日、青木に何か意味深なことを言っていたでしょう。あれは一体何なんです?何も知らない人が『気をつけろ』なんて言えないでしょう」
「何も知らないわけじゃないさ。少なくともこれがあるからな」
霧島はデスクの上に広げられた書類の一枚に手を触れた。かさ、と鳴ったその紙には『住所移転届』とある。
三堂はそれを一瞥し、再び霧島に視線を戻す。
「それがどうかしましたか」
「おかげで見舞いに行けるだろ。お前も来るか?」
「・・・・・・は?」
華麗に移り変わった話題に思わず、三堂は上司に対するものとは思えない聞き返し方をしてしまった。
それを気にした様子もなく、淡々と霧島は話を進める。
「お前がいたほうが青木も喜ぶだろうしな。人手は多いに越したこたぁねえし。お前、今日の予定は?」
「特にありません・・・・・・――じゃなくて!」
「よし決定。で、何?」
「『何?』じゃありませんよ、勝手に決めないでください!私は課長が何を知っているか聞いているんです!それに『お前がいたほうが青木も喜ぶ』って何なんですか!」
ばん、と三堂は机を叩いた。しかしそれに動じるような霧島ではなく、佐竹と西邑も「仲がいいですねえ」などと微笑んでいる。
頭の血管が切れそうな職場だ。
「お前と青木はパートナーだろう」
「違います!」
ああもう、と三堂はこめかみに手を当てた。署でもここでも、どうして二人セットの扱いなのだろう。
いつまでもこうしているわけにはいかないのに。
「二人で組んでたほうがいいと思うがな」
三堂の心中を見透かしたかのように、ぼそりと霧島が呟いた。流れを切り替えるように手を叩き、手元にあったファイルを掲げる。
「これでも読んどけ。いい気分転換になるぜ」
差し出されるまま三堂はファイルを受け取って、何も考えずにそれを開いた。
そして一ページも読み終わらないうちに後悔し、再び霧島に向かって声を荒げる。
「・・・・・・――どこが気分転換なんです!」
それは猟奇殺人の事件ファイルだった。


***


ピアノ線をはじくような音がする。
青木はうすく目を開けた。あれは何の音だろう。しばらくおいて、もう一度。
ピィイーン・・・・・・ポォオーン。
ドアチャイム?
ひどく間延びした鳴らし方だが、多分そうだ。
来客なら出なければ、と思う。――体が重い。汗でべとついた肌が気持ち悪かった。自堕落に目を閉じる。
しばし空白。
諦めて帰ってしまったのだろうか、と思ったところで、今度は鍵の開く音がした。
どうして、と首を回せば、玄関先で霧島が靴を脱いでいるのが目に飛び込んでくる。その後ろには、三堂の姿も。
「・・・・・・んで?」
なんで、と言ったつもりが、張りついた喉のせいできちんと発音できなかった。それに気付いて顔を上げた霧島が、手にしたスーパーの袋からスポーツドリンクのペットボトルを取って差し出す。
「飲め」
ふらふらと上半身を起こし、青木はそれを受け取った。ひやりとした感触が快い。
キャップを開けて口をつけ、喉を鳴らして飲んでいく。ボトルから唇を離すまで、霧島はじっと青木を見ていた。
いつもの射抜くような力はなく、親が子供を見るような。
熱に浮かされたせいで、おかしな夢でも見ているのだろうか。
このひとなら、となぜか思った。
このひとなら――このひとたちなら、あの声の主を。
あの影を追い払ってくれる。
こえが、と青木は霧島にすがる。スーツの袖を掴んだ手が振り払われることはなく、その上を霧島の手が覆う。
そこにある、確かな温度。
ふっと体の力が抜けて、再び青木は布団に沈む。そのまま、霧島にすがったまま、青木は気力をふりしぼって霧島に伝えようとした。
「声がするんです・・・・・・隣の、部屋から・・・・・・」
「声?」
「そう・・・・・・壁、叩いたり・・・・・・ずっと、夜はそれが・・・・・・」
「うん」
額につめたいものが触れた。濡れたタオルが汗を拭いていってくれる心地よさに、青木は少し目を閉じる。霧島の両手がふさがっている以上、これは三堂によるものだろう。熱と嬉しさで頭がふらついた。
「それはどっち側の部屋だ?」
三堂の柔らかな声が問いかける。むこうの、と足を向けているほうの壁を示すと、二人は顔を見合わせたようだった。青木は必死で言葉を続ける。はやく、はやく伝えないと、意識がもたない。
「たすけて、って言ってるみたいで・・・・・・でも、体が動かなくて・・・・・・それで・・・・・・」
「そうか」
「それに、窓・・・・・・外に、影が・・・・・・白いのが、いつも・・・・・・」
ぐらりと意識が混濁する。伝えるべきことはすべて言えただろうか。おねがいします、と必死ですがる。
「お願いします、・・・・・・あのひと、何かあったのなら・・・・・・」
たすけて。
「――ああ」
霧島の手に力がこもる。
大丈夫、というように三堂の拳が布団の上から青木の胸を軽く叩く。
それだけで、今までのしかかっていた重荷が霧消したような気がした。


***


「おはようございまーす・・・・・・」
恐る恐るドアを開ける。動けるほどにまで回復はしたものの、声はまだ少し掠れていた。
「青木」
ドアの真正面に席を構える霧島が顔を上げる。
「体調はもういいのか」
「はい。昨日お二人が用意してくださったおじやが効いたみたいで」
「そんなことまで?」
驚いたように西邑が目を丸くし、三堂を振り返る。まさか、と三堂は首を横に振った。
「私はほとんど台所には入ってない。あれを作ったのは主に課長だ」
「・・・・・・はい?」
「だから、あれを作ったのは課長だと」
「・・・・・・課長・・・・・・」
青木はそろりと霧島の顔を盗み見た。味はもちろん見た目の彩りにまで、料亭並みに繊細な気配りが行き届いていた料理の様子と、机に広げた書類に目を通す無骨かつ奇天烈な上司のイメージが、どうしてもイコールで繋がってくれない。
いや、職人技というカテゴリでくくれば一致しないこともない、が。
わずかに視線を上げた霧島と目が合う。
「安心しろ、毒は入れてねえから」
「いや、毒どころかちょっとした感動を覚えるくらいにおいしかったんですけど」
「ならいいじゃねえか」
「課長、料理お上手だったんですね・・・・・・」
青木と同じ気持ちらしい西邑が、こころもち視線を逸らして感想を述べる。
「ありがとう」
霧島の言葉は、素直に受け取っているようにも皮肉がこもっているようにも聞こえた。もし後者だったら、と青木は慌てて話題を逸らそうと頭をフル回転させる。
「そういえば」
救いの手は西邑からのものだった。
「課長、昨日はお手柄だったそうですね。地上げ屋を現行犯逮捕したそうで」
「ああ?手錠かけたのは三堂だぜ」
「延髄に手刀を入れて気絶させたのは課長です」
心底心外そうに言った霧島に、三堂はきっちりそう返した。
「昨日あのアパートであったことの大半は課長の仕業で、私はその手伝いと後始末をして回ったようなものでしょう」
「共犯だろ」
「どう考えても主犯は課長ですよ」
「主犯・・・・・・ていうか、延髄に手刀って・・・・・・」
「護身術だよ。『受けた行為はきっちり返せ』ってのが家訓でな」
緑茶をすすりながら霧島は、なかなかに物騒な台詞を吐いた。
受けた「恩」なら礼儀正しい家庭だが、善悪問わず「きっちり返せ」という辺りが恐ろしい。
本人は絶対に認めたがらないだろうが、三堂にもそういうところがあることを青木は知っている。霧島と三堂は案外気が合うのかもしれなかった。
あまり考えたくはないが、この厄介な上司が自分のライバルに回らないことを祈るばかりだ。
はたと気付いて青木は口を開く。
「その地上げ屋って、僕のアパートで逮捕したんですか?」
「ああ。お前を追い出そうとしていた地上げ屋だ。あんな奴らの嫌がらせを真に受けるんじゃない、阿呆が」
「三堂さん・・・・・・」
青木はしょんぼりと肩を落とした。それをかばうように霧島が口添えする。
「そう言ってやるなよ。お前だって、毎晩毎晩隣の部屋からあんな声が聞こえてきたら、いい気持ちはしねえだろ」
寝込むまではいかねえにしろ、な。という付け足しが、青木の気にしている部分をもろにえぐったのは言うまでもない。
う、と引き下がった三堂と入れ替わるように、西邑が身を乗り出してくる。
「あんな声、って何ですか?」
「あー。心霊現象に見せかけた嫌がらせは、地上げ屋が使う手口の定番だろ?そういう声だ」
「お経か何かですか」
「いや。女の声でぶつぶつ呪文を唱えててな、それが少しずつボリュームアップしていって、呪文を唱え終わったところで壁を叩く装置に切り替わる。で、その音がふっつり途絶えたところでまた女の声で『死ね』と一言」
「うっ・・・・・・きついですねぇ・・・・・・」
「壁を叩く音がやんでから『死ね』って入るまでの間なんざ秀逸だな。いきなり音が途切れて、相手が思わず耳を澄ましたところで来るようになってる。大抵の奴はあれでオチるだろうな」
「へえ・・・・・・」
わずかに口元を引きつらせ、西邑は霧島から視線を逸らした。うんうんと頷いている霧島は、地上げ屋の手口に心から感心している様子だった。
「・・・・・・そんな仕掛けだったんですか」
「ああ。怖い怖い」
そう思っているとは全く思えない口調で霧島は相槌を打つ。気の抜けた表情の青木に三堂がちらりと視線をよこした。
「お前、何かに憑かれてるんじゃないか」
「は?」
青木は驚いて三堂を見返した。心霊系は信じていないはずの三堂がそんなことを真顔で言っている。何かに憑かれているのは三堂のほうなのではないかと、青木は一瞬真剣に疑った。
だってお前、と三堂は指折り列挙する。
「数ある物件の中からわざわざ地上げ屋が動いている場所に引っ越して、ホラーな音声が流れている最中に金縛りに遭って、窓の外に白い影を見て、うなされて寝込んで。この一件に関することだけで、こんなにだぞ」
「うっ・・・・・・」
「あの不動産屋に入った時点で、問題に巻き込まれることはまず決まっていたと思うが」
「不動産屋?」
「あそこ、問題物件が多いんだよ。雨が降ると玄関が水没するとか、崖っぷちに建ってるとか」
そうなんですか、と頷こうとした矢先、とんでもない爆弾発言が投下された。

「まさか死体が埋まった部屋まで扱ってるとは思わなかったがなあ」

「・・・・・・はぁぁああ!?」
その場にいた全員が目を剥いた。死体?死体と言ったか?いつもとまるで変わらない口調だったが彼は死体と言わなかったか?
「そ、それって僕の部屋で」
「もちろん」
ごくあっさりと肯定されたが、今度の驚きには声もなかった。
青木は死体のある部屋で寝起きしていたというのか。
霧島に向いていた驚愕の視線が、そのまま青木に向けられる。信じられないものを見るような目が、そこにはあった。
「死体、って・・・・・・」
「ああ、変死体。6年くらい前に殺されて埋められた女のな。三堂は知ってるだろ」
「は」
急に話を向けられ、石化していた三堂が意識を取り戻した。ぎこちなく視線をさまよわせ、すぐに「あのファイルのですか」と応じる。
「そう、あれだ」
「『あのファイル』って、昨日課長が三堂さんに、気分転換にって渡したアレですか?」
「悪いほうに気分転換したあれだ」
心底嫌そうに三堂は言い、机の上に置かれたままだったそのファイルを、半ば投げるようにして青木に渡す。
「12年前、6人の男女が次々と行方不明になり、首なし死体として発見される事件が相次いだ」
ファイルの中身を完璧に覚えているかのように霧島が説明する。
「被害者は皆、犯人とは非常に親しい間柄であり、その頭部は全て犯人の部屋に大切そうに保管されていた。ただし、そこに置かれていた頭部は7つ。唯一胴体が見つからなかった頭部の持ち主は、犯人の恋人だった」
「・・・・・・恋人」
「で、その犯人っていうのは、お前の部屋の数代前の住人でな」
「うわぁぁああ!!」
青木は頭を抱えて悶絶した。説明されるまでもなく話が繋がってしまった。
猟奇殺人の犯人がかつて住んでいた部屋。見つかっていない胴体。
そうなれば、青木の部屋の床下に埋まっているのはその恋人の胴体に決まっている!
「そろそろ捜一がお前の部屋に乗り込んでる頃だな。見られちゃまずいもん出しっぱなしにしてねえだろうな?」
「あー布団上げてな・・・・・・いや洗濯物も・・・・・・じゃなくて・・・・・・」
「見られてまずいDVDなら洋服だんすの奥だから大丈夫だろ」
「ああそれは・・・・・・って何で知ってるんですか!?」
「やかましい、昨日お前の洗濯物を片付けたのは誰だと思ってる。下着まで一緒に放り出しておきやがって」
「下着まで・・・・・・!」
何か秘密の部分を暴かれたような気がして、青木は先程とは別の意味で悶絶した。未婚の女性、しかも片思いの相手に自分の下着を、いやそれ以前に自分の秘蔵コレクションを・・・・・・!
RRRRR、と霧島の机に置かれた電話が鳴って、室内に一瞬緊張が走る。その電話が仕事以外で鳴ることはない。
受話器を取った霧島は「ああ」と頷き、短く何度か言葉を交わす。そして受話器を置くと青木に向き直った。
「有馬から報告だ」
捜査一課の刑事の名を挙げ、霧島はすっと目を細める。
「出たってさ。――お前の布団の真下から」
くらりと青木は意識を飛ばした。


「・・・・・・気絶?」
「のようですね」
「そりゃ、自分が寝起きしてた場所の真下から死体が出たなんて言われれば・・・・・・」
三人は青木を覗き込んで口々に言い合った。ん、と西邑が青木を動かそうとする。三堂がそれを手伝って、不運な男は壁際のソファに寝かされた。どこからともなく霧島がけばだった毛布を持ってきて、あっという間に青木は病人に逆戻りしてしまった。
「こいつ、ガラスのハートしてやがるなあ」
「課長のハートが鋼鉄製だから余計そう感じるんだと思いますが」
「俺のはせいぜい防弾ガラスだ」
「ああそうですか」
まともに返すのすら面倒だと言わんばかりの三堂の態度も気に留めず、霧島は己のデスクに戻っていった。
窓を背に立つ彼のシルエットと、背景の青空が綺麗なコントラストを生み出している。
空の青に雲の白、霧島が落とす影の黒。
三堂と同じく、目を細めてそれを見ていた西邑がふと口を開く。
「そういえば、さっき三堂さんが言っていた中で、一つだけ気になったのがあるんですが」
「うん?」
「白い影、って何なんです?それも嫌がらせの一環ですか」
「ああ・・・・・・」
三堂は軽くため息をついた。ちらりと窓の外に視線をやって「いや」と否定だけする。
雲の――白。
「白鷺だよ」
答えたのは霧島だった。深々と椅子に腰を下ろし、いつものようにノートパソコンを開いて立ち上げる。
「白鷺?」
「青木の部屋の窓はな、上半分が普通のガラスで下半分がすりガラスなんだ。寝転がって外を見ると、ちょうどそのすりガラス越しに見る形になって、外の様子ははっきり見えない。――で、その窓から見える位置に木が生えてるんだが、その枝がイイ感じに張り出ていてな。ここが白鷺のねぐらになってた」
「あー・・・・・・それで、夜になるとその白い姿が浮かび上がって・・・・・・」
「そういうことだ。月明かりなんかの具合で鳥の姿が見えるのと、青木の就寝時刻が重なってたんだろうな」
「青木さん・・・・・・とことん不運ですね・・・・・・」
「というより、ここまでくると人騒がせだ」
三堂は思ったことをそのまま口に出した。白鷺の姿を怪奇現象と信じ込むなんて、警官としてはあるまじき態度だろう。
「――白鷺も生きにくいご時世になっちまったな」
ぽつりと霧島がそう漏らした。その言葉の真意を測りかね、三堂と西邑は顔を見合わせた。
白鷺は古来、その純白の姿から無垢の象徴といわれ、また仏の智慧(ちえ)を司る文殊菩薩の化身とされていた。
霧島が言っているのは、住処を追われて人の傍らで翼を休めざるを得なかった、単なる生物としての白鷺なのか。
幽霊の実在さえも信じた青木を白鷺にたとえてのことか。
それとも――善に使われるべき智慧を悪意で汚されてしまった文殊菩薩のことだろうか。
いつものごとく感情の読めない彼の顔からは、何も窺い知ることはできない。
「『白鳥は哀しからずや...』っていう短歌がありましたねえ」
霧島の言葉から連想したのか、西邑はそんなことを言った。霧島はすぐに「牧水だな」と首肯する。
「今は青に染まず漂うどころか、水の汚れに染まっちまう時代だよ。――ん」
ふと視線を上げた霧島の見る先を追えば、ようやく意識を取り戻したらしい青木が身じろぎしていた。半分眠ったような声が言う。
「人間って怖いですね・・・・・・」
「なんだ、今さら気付いたのか」
当たり前のように霧島が答える。
「だから、俺たちがいるんだろう」
――警察機構としての自分たちが。
文殊菩薩が司る「智慧」とは、真理を明らかにし、悟りを開く働きをいう。
悪意から人を護るため、暗闇を暴いて真実を晒すのが警察の――自分たちの仕事なのだ。
人々が無為に怯えることなく暮らせるよう、智慧をもって照らすことが。
青木はゆるりと身を起こし、逆光で影を落とす霧島の姿をかえりみる。
鮮やかに白い白鷺が、さぁっと空を翔け抜けた。




END.

finished date/07.01.07.


後記
このあと、課長によるお祓いが行われるものと思われます。
本当は課長がさらさらっと御札を書いて青木の腹の上に置くところとか、隣室での捕り物劇を繰り広げてるところとか、女たらしな笑顔と嘘八百で大家さん(中年女性)を騙して合鍵を貸してもらうところとか、そういうのも書きたかったんですが、青木メインという主軸が揺らぎそうになったのでやめました。どうして霧島さんはメインの座をかっさらってしまうんだろう・・・・・・。
霧島・三堂の暴動コンビ(?)は書いてて非常に楽しかったです。
二人の関係が進展した先は結婚でなく結託になるのは間違いないんですが(笑)
ラストは翔け抜ける白鷺で締めくくろうと決めていたので、その部分の描写における色彩コントラストのイメージを味わって頂ければ幸いです。



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