僕は昔の人のネーミングセンスを尊敬すると同時に疑いもする。 例えば梅酒。梅の酒と書く。まさしくその通り。 例えば時計。時を計ると書く。素晴らしい。 しかし、奴の名前に関してはどうにも納得がいかないのだ。 「豆腐」。 この白い物体は腐ってもいないくせに豆腐という名を与えられている。こいつの名付け親は一体何を考えていたのだろう。 僕はこいつを見るたびに疑問に思うのだ。 豆腐――豆が腐るという名は、むしろ納豆にこそ与えられるべきではないのか。 奴は正しく腐った豆だ。正確には醗酵だが、醗酵なんて腐敗の一歩手前みたいなものだ。腐ったと表現してもあながち間違いではないだろう。 だから豆腐と名付けられるべきは奴であって、断じてこの白いものではない。 僕は幼い頃、兄に「トウフってのは腐った豆って書くんだぜ」と教わって以来、豆腐が食べられない。 口に運ぼうとすると、どうしてもその台詞が頭にちらつくのだ。僕の中では軽いトラウマになっているらしい。 正式に腐った豆である納豆は、父の「納豆は豆をワラに納めるから納豆というんだ」という台詞によって難なくクリアしているというのに。 僕にとって、名前というのは非常に大きな意味を持つらしい。 僕が恨むべきなのは、こいつを豆腐と名付けた昔の人か、それとも幼い僕にあんなことを教えた兄か。 そんなことを延々と考えていると、僕の正面に座った彼女が心配そうに顔を覗きこんできた。 「どうしたの?どっか調子悪い?」 いいや調子は悪くない。悪いのはむしろ考えすぎる僕の頭だ。 「・・・・・・ちょっと考え事してた」 ちょっとというかかなりなのだが、とりあえずそう答えておく。 やはりこれを避けることはできないだろう。けれど、対策は何も思いつかない。 神様そしてクソ兄貴。僕は本当に恨みます。 そして、自分は豆腐が嫌いなんだと彼女にとうとう伝えられなかった自分自身を。 「これは絶対おいしいから、ちょっとだけでも食べてみてよ」 その「ちょっと」に多大な勇気を必要とするのだと、僕はどうしても言うことができない。 名前というのは魔力を持つ。 僕が苦手な豆腐料理の中でも、食べるのに躊躇する名前ベスト3のトップに君臨し続ける料理。 ――麻婆豆腐。 腐った豆。しかも麻の婆。僕に麻やお婆さんや腐った豆をを食べろというのか? 誰だこんな名前を付けたのは。 「ほら、一口だけでも」 あーん、と言いつつ、彼女は無邪気に麻婆豆腐をすくったレンゲを僕へと差し向ける。麻がお婆さんが腐った豆が、僕の口元へと接近してくる。 名付け親の馬鹿野郎。 絶体絶命に追い込まれた僕は、冷や汗を流しつつレンゲを見つめるしかできなかった。 *** 豆腐:奈良時代に中国から伝わった大豆食品。語源は「腐」という字が「凝固させる」もしくは「柔らかく弾力のあるもの」 を指すとする説、納豆と 豆腐は名が入れ替わったとする俗説などがある。決して豆腐が腐っているわけではない。 最近では「豆富」と表記することもある。 納豆:よく煮た大豆をワラで包んで醗酵させた大豆食品。語源は寺の納所(寺務所)で作られていたからという説、 ワラに納めて作るからという説 などがある。 また、納豆には現在広く知られている「糸引き納豆」以外にも、「鼓(くき)」と呼ばれる塩辛く乾燥した納豆もある。 麻婆豆腐:中国・四川料理の一つ。豆腐・ひき肉を唐辛子味噌などで炒め、辛く味付けしたもの。麻婆豆腐の「麻」 は植物の麻ではなく「あばた」 を指す。つまり麻婆は麻とお婆さんではなく「あばた顔のおばあさん」の意。 創作者の陳という女性の顔には疱瘡の跡(麻子)があった と言われることから。 後に身体的欠点を名に残すのはよくないということで「痺れる(麻痺)」の意味に変わった。日本では唐辛子の辛さのみであるが、 山椒 も加えるのが本場風。その山椒が舌を痺れさせるため。 「だから、正しい知識を身に付けておけといつも言っているだろう」 それらのことを父に教わったのは、だいぶ後になってからのこと。 兄には「お前まだ豆腐食えなかったのか」と笑われた。誰のせいだと思ってるんだ。 ・・・・・・豆腐の「腐」って、腐るって意味じゃなかったのか。 「もっと語ってやろうか」 結構興味を引かれたけれど、知りすぎてもまずそうだったからやめた。 とりあえず、昔の人のネーミングセンスを疑うのはやめておこう。彼らは正しい。 そして僕は今さらになって、父は何者なのだろうかと思った。 了 up date/05.07.09 |
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