砂の城を高波が襲う。

『西から迂回して山脈づたいに脱出しましょう。呪いの森に入ってしまえば追っ手もそう簡単には来られないはずです』
「いや、一度北に向かってくれ」
『北は戦場です!死にに行くおつもりですか!?』
「おれが顔を見せるだけでも士気が上がるはずだ。――行け、フローラ!命令だ!」
ライは雪豹に似た獣の姿をとっているフローラに騎乗したまま、めったにない勢いで強い言葉を叩きつけた。
王城の北、城下街へと向かう二人の背後ですさまじい音と共に城が炎を噴き上げる。
――千年の栄華は崩れ去った。


" Novenber 08, Felix dynasty 166, Leshgord Kingdom was fallen by Zine Kingdom. "
“ フェリクス王朝166年11月8日、ザイン王国によりレッシュゴルド王国陥落 ”


一つの国が、姿を消した瞬間だった。




【055:砂礫王国】




国王に促されて王城を脱出し、激戦の城下街で地獄を見せつけられたのが10日前。無謀な経路でようやく呪いの森に入ったのが8日前、妖種でさえ恐れるその森を一週間かけて駆け抜け、国境を越えたのが昨日の話。
そして今、彼らはアツィルト領を目指してひた走っていた。黒いマントとフードで身を覆い、夜陰に乗じてひたすらに。
本来であれば、レッシュゴルドの王城からザインとの国境までで10日だ。それをここまで短期間のうちに来ることができたのは、妖種の中でも恐ろしく足の速いフローラが騎獣の役割を担ってくれているおかげだった。
『もうすぐ森を抜けます。工業地帯に入ってしまいますから、スピードを上げますよ』
鼓膜を直接震わすような、人型でない妖種に特有の声。未だ妖種としての力をコントロールできないライとは違い、彼女は完璧なまでに妖種の力を発揮していた。
寸分の無駄もないしなやかな獣の姿。風より速い足と鋭敏な五感、岩や灌木と闇に紛れたザインの兵とを瞬時に見分けて最も安全なルートを駆け抜ける。道は地面の上ではなく樹上にあった。自分とライが引っかからない最低限の隙間を見極めて、フローラは枝と枝の間を抜けていく。ばたばたとはためくマントを体に巻きつけるようにして、ライはフローラの耳元にかがみこんだ。
「――目的地までは?」
『敵に見つからなければ一週間ほどで』
「そうか」
頷き、ライは最低限にまとめられた荷物を抱えなおしてフローラの首につかまった。途端にぐんっと加速する。風で切り刻まれるかと錯覚するほどの俊足。
黒々とした木立がさぁっと途切れ、レッシュゴルドから続く山脈の裾野を抜けたと知る。ザインの国土を半分ほど縦断した地点だ。工業地帯が目前に迫り、空気に混じった煙の臭いにライは顔をしかめた。
と、二人の聴覚が遠くで鳴らされた鋭い笛の音を拾う。緊急を意味するザイン側の合図だ。
「フローラ」
『お静かに』
音もなく工場の屋根の上に飛び、別の工場の陰になる場所で全身の筋肉を緊張させたままフローラは耳を澄ます。同じようにライも聴覚に全神経を注ぎ、すぐに警報の意味を知った。
「『将軍がやられた』――」
『ということは、少しばかりこちらが有利になったということですね。統括者を失えば指揮系統が乱れます。その間に急ぎましょう』
フローラは空を見上げ、上空からの襲撃がないことを確かめて、工場の屋根から屋根へと飛び移った。細い煙を吐く煙突や建物の高低でできる影を利用してすばやく移動していく。二人とも神経が研ぎ澄まされているおかげで誰かに見つかるようなことはない。ふっと顔を上げて進行方向を見やれば、遠くにザインの街明かりがきらめいていた。
漆黒の空にかかった月の光に照らされて、その光景はひどく美しく見えた。
自分達の暮らしていた美しい場所は――日常は、もう失われてしまったというのに。
ぎり、とライは歯を食いしめた。どうして。
(どうして、こんな――・・・・・・!)
狙われたのは、国王である父が魔力を失う数日間。その期間を支えるべき宮廷魔導師が急ぎの用で南方に呼び出されている隙を突かれた。しかも季節は冬、太陽神の沈黙にしたがって全ての武器を置く慣習のある時期。
立ち上がりの遅れた数日間が命取りとなった。
戦う力をなくした父は、絶望的な戦況を前に成すべき仕事を全て終わらせ、その最後に自殺を決意した。ザインへの抵抗の証として。
母も父の横で覚悟を決めていたようだから、やはり同じ道を辿ったのだろう。
死体を残さぬようにと父が放ったのだろう、城は炎に包まれ、ザイン兵によって城下街は破壊の限りを尽くされた。――呪いの森に入ってからも、街の方角からは濃密な血の匂いが漂ってきていた。
ライ自身、見たこともない武器を突きつけられて殺されかけた。とっさにフローラが駆け出していなければ自分も屍になっていただろう。すれ違いざまに短剣で幾人かのザイン兵の喉を斬った。直接手を下して人を殺すのは初めてだった。
悪夢。
抵抗する力のない多くの子供と年寄りが囚われ、逆らう者は殺された。
血でぬかるんだ草原。自分の目の前で殺された顔見知りの兵士。無造作に転がされた屍で満たされた街。略奪と蹂躙。
ザイン国王のたった一言が、この絶望を生み出した。
ただ一言、徹底的にレッシュゴルドを崩壊させよ、と。
レッシュゴルドの民が人間ではないというだけの理由で。
レッシュゴルド王家の血が欲しいという、ただそれだけの理由で。
国境に壁を築き、国交を拒み、自分達を理解しようともしなかった輩が!
――人間でなければ生きる価値などないと言うのか!
今すぐにでもザインの王城に乗り込んでいってやりたいと思った。その驕りきった喉笛に喰らいついてやりたいと思った。
確かに自分達は人ではない。だが、それで貴様らに害を及ぼしたか。こんな酷い仕打ちをされるほどのことをしたというのか。
牙を抜き爪を切り、あらゆる方法で敵意はないことを示したというのに!
戦いたかった。王族の自分が真っ先に逃げなければならない現状が何よりつらかった。それだけの理由があるとしても、未だ王国で血を流す国民を置いて、自分だけが戦火のない場所でのうのうと暮らすことに耐えられそうになかった。
呪いの森に入るまでの二日間だけでも、いったいどれだけの死体を目にした?
報復――敵の総大将を討つことができれば。
『殿下』
雰囲気を察したのか、フローラが口を開いた。
『早まらないで下さいね。もしあなたまでお亡くなりになられたら、せっかく生き残った国民も希望を失ってしまいます』
「解っている」
短くそう答えたが、声の震えは隠しようもなかった。どうして。どうして。どうして。
この体の震えにフローラが気付いていないことを祈った。
王族の血は万能の霊薬。あらゆる病と怪我を癒し、死に瀕した者をも生のもとへと立ち返らせる。
そんなものなどなければよかった。奇跡のような癒しの力より何よりも、あのまま穏やかに暮らしていたかった。両親に生きていてもらいたかった。
この血が原因で平穏が喪われたというなら、全身の血を他のものと取り替えてしまいたかった。
それこそが自分が生かされる理由だと知っていても。
『あなたは希望です、我々妖種全てにとっての。もしも今、あなたが何か自虐的なことを考えていらっしゃるのであれば――私は、あなたを半殺しにしてでも思いとどまらせますよ』
ライを現実に引き戻したその台詞の後半は、本当に殺気を帯びていた。
『自殺から他殺まで、あなたの命に危険が及ぶ可能性のあること全て、させませんから。今は生き延びることだけを考えてください』
「生き延びる?――・・・・・・国民を捨てて、自分の国を守るために何もできないまま?」
『その論争は森の中でさんざんしたはずです。あなたは最後の王族なんです、むざむざそれを失いかねない道を選べと?妖種であれば誰でも幼体は戦力外だと知っています。現にあなたは独力で戦う手段を何も持たない』
ぐっとライは言葉に詰まった。王族の成長は他の妖種と比べて格段に遅い。ライのひとつ年下であるはずのフローラはすでにほとんど成体であるのに対し、ライは成体になるまであと十年近くかかると言われていた。種族間の差も大きいと知っていても、考えずにはいられなかった。ひととおり習った武術はどれも実戦で使える域には達しておらず、完全に魔力をコントロールできないため魔法も使えない。戦闘能力は人型の数倍から数十倍ともいわれる獣型への変化もできない――。
城下街で死なずに済んだのはフローラの俊足と判断力があったからだ。
ライにあるのはただその血に宿る癒しの力のみ。しかしそれさえも、子供の血液量ではたかが知れていた。
フローラの声音がなだめるように柔らかくなる。
『大丈夫、妖種が死に絶えるようなことにはならないでしょう。数千年の時を荒地で暮らしてきた我々が、そう簡単に滅びるものですか。人型の妖種であれば、多くはいずれカーレンに流れ着くことでしょう。あれは無法者の土地です、住人もそこを訪れる者も、相手が犯罪者だろうが妖種だろうが無頓着ですから』
「・・・・・・人型になれない妖種は?」
『ザイン軍がレシュを去るまで生き残るか、思い切って呪いの森を拠点にするか。あるいは砂海や大海を越えるか、そこに住み着くか』
「人型にもなれない者が、そこまでできるのか」
しばしの沈黙。
『――・・・・・・よほどの強運でもない限りは』
やはり、とライは口元を引き結んだ。
「どうにかして守れないか」
『自分の身も危ういのに、ですか』
フローラの声がきつくなった。でも、と反論しかけて先ほどの彼女の台詞を思い出す。
――自分は、国民の希望。
この血が万病平癒の力を持つという、そのこと以上に、レッシュゴルド再興の希望がかかっていて。
妖種にとって、レッシュゴルドは最も安全かつ平穏に暮らせる場所だった。
自分たちと人間とを分け、法をもって行動を戒め、互いの領分を守ることのできる場所。
それを治めるだけの力を持つ王族、その最後の一人。
――最後の一人に、なってしまった。
生きて、いかなければならない。自分たち妖種を生かすために。
どんなことがあろうとも。
ライは抑えた息を吐き出した。
『カーレンは法なき街です』
ささやくようなフローラの声がする。
『そこでなら、あるいは――私には思いもよらない方法で、生き延びていける者がいるかもしれません』


***


北方三国は正三角形を高さで三等分し、水平に国境線を引いた形をしている。底辺がレッシュゴルド、中間がザイン、頂点がアツィルト。そして目指すカーレンはザインとの国境からさほど遠くない海沿いにあった。
人目の多い昼間は休息に充て、夜のうちに距離をかせぐ。冬の長い夜の中で二人は着実に目的地へと向かっていた。
ザインの市街地に設置された水晶振動装置――魔力の使用を感知するための装置――を嫌って地下水路にもぐり、点検用らしい小舟を使って蜘蛛の巣のように張り巡らされた水路を走った。小型の羅針盤で時折方向を確かめながら、交代で短い睡眠を取る。国境付近で小舟を降り、ならず者の誰かが不法に開けたらしいトンネルを通ってカーレンへと直接向かう。そのトンネルが尽きた地点、水晶振動装置の感応範囲には入っていないと確信できるところになってフローラはようやく人型に戻った。頭上にある出口を覆う蓋と、そこまでまっすぐに並んだコの字型の取っ手を見上げる。
「私が先に上がります。何もないようでしたら合図しますので」
「ああ」
ライが短く答えると、フローラは身軽な動作ではしごを上って蓋に耳を当て、「誰もいないようです」と告げてから蓋を押し開けた。隙間から見えた空は暗い。素早く周囲を見回し、フローラは何かを見つけてするりと穴の向こうに姿を消した。しかしそれも数分のことで、すぐ穴の底に影が差した。かすかな明かりに銀の髪をきらめかせ、フローラは「上がれ」と手で合図する。それを受けてライは力を込めて地面を蹴った。出口付近の取っ手に手をかけて馬跳びの要領で地表に飛び出す。途中で勢いを加減して足音を立てずに着地した。
数日ぶりの地表はひんやりと冬の冷気が漂う、すえた匂いのする路地だった。ごみごみとした倉庫の向こうに見える壁がカーレンを囲う境なのだろう、かつて城塞都市だった名残というだけあって、そこだけは他よりも重厚な年月を感じる石組みだった。
その堅牢さが今は、皮肉にも内側の無法者を外に出さぬよう閉じ込めるためのものに見える。
ザインとの国境に高々と壁を築かれたレッシュゴルドのように。
少し離れた場所でフローラが通りへと繋がっているほうの様子を見ている。それ以外に人の気配は感じられなかった。ここが見える位置にある窓や屋上にも、こちらを覗く人影はない。ただ気になるのは、いくつもの匂いが混じりあった中に血の臭気が混じっていることだった。――それも真新しい。
フローラが振り返る。その手にわずかな血しぶきが付いているのに気付いてライは慄然とした。
「フローラ、その血は」
「見られました。早く行きましょう」
「殺す必要があったのか」
「妖種に賞金がかかったそうです」
「――え」
「この血の主がそうわめいていました。生け捕りでも死体でも、とにかく王に献上すれば褒賞がもらえるそうですよ。急ぎましょう、感づかれたら街の住人全員が私たちを探しだします」
「・・・・・・!」
ライは乱れていたフードを下げて髪と顔を隠すように覆いなおし、差し出されたフローラの手を取った。通りを偵察するその目がいっそう鋭くなっている。闇の中でもうすく光って見える金の目――妖種の象徴。
「ここからは言葉を控えてください。どうしても話す必要がある時は兵士たちの言葉をまねるように」
「ああ」
「私が良いと言うまで目は閉じていてください」
そう言ってフローラはトンネルへの蓋を手早く元に戻し、通りへと足を進めた。行き先を口にしないのは誰かに聞かれて先回りされることを防ぐためだろう。少なくともこの先どうするかを迷っているからではないということは、その確かな足取りが語っていた。
ふと掠めた血の匂いにはっとなって、ライは「死体は」と短く尋ねた。
「用水路の溝に落としました。単なる喧嘩でそうなるのも、死体自身も、ここでは珍しくありませんから」
そういう土地柄なのだとフローラは言外に告げていた。無法者の街、という言葉が今さらライの身に染みる。目を閉じたまま、ライは他の感覚を研ぎ澄ますことに神経を集中した。
二人がいるのはカーレンの中でも特に住民の少ない区域であるらしく、人はもちろん生物の気配自体が希薄だった。そのおおよその理由は数少ない住民たちの気配から察することができる。かつて「狂戦士」と悪評を買った遊撃隊長が、ここの住民と同じ空気をまとっていた。――好んで危険の中に住まう者の雰囲気。
ここに住む者に見つかったら、他で捕まるよりよほどたちの悪い状況に追い込まれるのは必至だった。通りを渡って路地を抜け、別の通りに出る。それだけで嫌な雰囲気が格段にゆるんだ。たまに来る足音を避けて何度か物陰に身を潜め、通りに沿って進んでいく。
不意にどこかの建物で歓声が沸いた。足を踏み鳴らし、何事かを興奮気味に話している。
「あれは」
「ラジオでしょう。恐らくは軍の通信の傍聴を。――あれだけ興奮しているってことは賭博でしょうね、どうりで路上に人が少ない」
「どうやって傍聴を?」
「技術者がいるんですよ。ここには人材も物品も、あらゆるものが集まっていますから。寄せ集めの街です」
「寄せ集め・・・・・・」
「だから誰がいてもおかしくない。格好の潜伏先ですよ。瞳の色さえ隠せれば、ですが。ほら、背を伸ばして」
ぽんとフローラがライの腰を叩き、怯えて丸まった背を伸ばさせた。
迷いのない足取りで進んでいくフローラに対し、身を守ることすらおぼつかない自分。
彼女以外に頼るものがないという不安が、改めてライに国を亡くした事実を実感させた。
周囲の物音が過剰なまでに怖い。
物陰から今にも何かが飛び出て襲い掛かってきそうな気がする。
自分は怯えているのか?
「大丈夫ですか」
フローラにそうささやかれ、ライは無意識のうちに彼女の手を握る力が強くなっていた自分に気付いて赤面した。できるだけさりげなくその手をゆるめる。
「ああ」
――情けない。
自分の身は自分で守れる、と断言できないのが悔しかった。せめてこの身に眠る妖種の王としての力、そのひとかけらでも自由に使えることができれば。
フローラにここまで迷惑をかけることもなかっただろう。
自分も戦いに加われただろうし、両親を死なせることもなかったかもしれない。
悔しい。
何もできない、自分が。
――守りたいものを守る力のない自分が。
「・・・・・・フローラ」
こらえているものを吐き出すように、ライは彼女の名を呼んだ。
南方のどこかでは春の女神を意味する呼称。その名に恥じることのない天性の強さを彼女は持っていた。自分などよりも、よほど。
「何です?」
振り返った彼女は自分を見ているのだろう。まっすぐに顔を上げることができず、うつむいてライは話を切り出す。
「おまえ、もう、ここにいる理由はないんじゃないか?」
「どうして」
「おれはもう王子ではない。だから」
だからもう、お前がおれをかばう必要はない。
――おれの前で死ぬ必要はない。
本当に言いたい台詞は喉に引っかかって出てこなかった。今ここで誰かに襲われたとして、自分にはそれに対抗するだけの力があるだろうか。フローラが犠牲にならずに生きていけるほどの強さを持っているだろうか。
もう、誰が死ぬのも見たくない。
ライは震える声でささやいた。
「おれ・・・・・・おれは、大丈夫だから。おまえは、もう」
「――私は?」
ふいにフローラが足を止めた。はっとしてライは顔を上げる。暗さに慣れた瞳を振り返った金の眼差しが射抜いた。
ライとは違う、さえざえとした月の金色。暗闇の中でこそ輝くものの目。
「あなたから離れて私がどうなるというんです。私が、単なる義務でここにいるとでも?――本当に、そう思っているのですか」
彼女の顔が泣きそうに歪んだのを見てライは慌てて「ちがう」と否定する。
「だって、おれは邪魔だろう。おれはまだ戦えない、その力がない」
「そんなの先刻承知です。その上であなたをここまで連れてきた。見捨てるつもりなら呪いの森で放り出しています」
本当にあなたが邪魔なら迷わずそうしました、とフローラはライを見据えた。
「でも、私はあなたに誓ったはずです。王座の前と、あなたの前で。その時からこの命はあなたのもの。あなたに戦う力がないというなら、私がそれになりましょう。そのために私はここにいる。だからここを離れることはしない。――絶対に!」
怒り混じりに宣言されたそれにライは一瞬息を呑み、それからすぐに笑みがこぼれた。
ああ、そうか。
春の女神――生命の原動力を司るもの。
「すまない、フローラ。・・・・・・疑ってすまない」
王城を出てから初めて笑った。瓦解しそうだった心を護られたような気がした。
命を預けられる相手がいるという、それだけで十分に力になるのだ。
一人ではない。
王族は妖種の魂だ。王を失った国は生命の輝きを失い、ゆっくりと砂礫に還っていくだろう。けれど、再建不可能なほど荒れ果てるまでにはまだ膨大な時間がかかるはずだった。無限ではないが、十分な余裕がある。
もう誰も死なせない。自分も死なない。――この街で生き延びてみせる。
行きましょう、とフローラが手を差し出した。ライもその手を取り、再び目を閉じる。
ザイン王への報復を忘れたわけではなかった。それでも今は生き延びること、フローラの信頼にこたえることが先決だと思えた。
カーレンは寄せ集めの街だという。人間と妖種さえも渾然一体となって暮らす、ありとあらゆるものが集う場所。ならばここで暮らせば力を得ることも可能だろう。武器も、知識も、戦術も、処世術も。
学んで得られるものだったら何だってものにしてみせよう。
まぶたの向こうで淡い光の気配がした。いつの間にか夜が明けようとしている、その最初の光がこの閉ざされた街にも届いていた。
冬を迎えて冷え切ったこの街も、もう数時間もすれば暖かな陽光に照らされるだろう。けれどライの中にはすでにそれが脈打っていた。ひんやりとしたフローラの手との温度差で自分の熱の高まりを知る。
熱は光だと教えてくれたのは、宮廷魔導師のあの男だったか。熱は光、そして力。あらゆるものの動力源。
ゆえに、心に宿る力を情熱という。
最強のはずの妖種を破った人の力、科学力。力なきものがその全霊をかけて手に入れた武器。そこまで人を突き動かしたものはこれではなかったか。
自分たち妖種が歴史に安住するうち失ってしまった熱。
前進を望むものを照らす光。
ならばもう――何も失いはしない。
フローラが歩く速度を緩めた。
「着きましたよ」
その声を受けて目を開く。夜明けの薄明かりの中にあったのはごく普通の民家だった。コテージのような木造の、とりたてて目立つわけでもない小さな家。中には二人ほどいる気配がする。ドアまでのごく短い階段を足早に上り、ためらわずフローラはドアをノックした。二回、一回、二回。

ドアノブが回る。


信頼にはこの熱で応えよう。ライは繋いだ手に力を込める。
砂礫と化した祖国は灼熱のもとに熔けて再び一つになるだろう。
死にはしない。死なせもしない。諦めなどという選択肢は捨ててしまえ。


――決意したら、あとは進むのみ。



扉は開かれた。


fin.

finish date/07.08.14


■後記だか備考だか。
一度書いてみたかった王国過去話。ライ11歳、フローラ10歳くらいの時。
この時点ですでにフローラは14歳くらいの外見になっています。精神年齢もフローラのほうが上。むしろ本編と同程度。
ライは年齢より多少幼い外見で、考えは同年代の子供たちより大人びているという感じ。ただし本格的にひねくれる前なのでまだ短気ではありません(え?)
王族は妖種の中でもめっぽう特殊な一族なので、特有の悩みもいくつかあります。その一つが成長速度。歴代王族の中でもライは特に成長の遅い個体だったりします。イコール能力的に劣る個体、ではないのですが、幼体(子供)のうちはかなり限られた能力しか使えない(しかも成体の王族は最強レベルの能力を誇ると知っている)のでライはこんなにやきもきやきもきしているわけです。
ちなみに、おててつないで歩いてますが他意は一切ありません(笑)

冒頭の英文はいい加減ですので間違っていたら指摘お願いします(他力本願)


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