その日、カインは海辺にいた。
そろそろ雪が降るかもしれないという季節にコートも着ず、夜も明けきらぬ時間から砂浜に座りっぱなしの彼に、たまに行き過ぎる人が 奇異の視線を投げかけてくる。しかし、カインは気にも留めなかった。
水平線の辺りを眺めながら煙草を吸うその姿は、いつもの彼とは別人のようだ。
(霜月十日、か・・・)
ぼんやりと彼は考える。
霜月―――11月の、10日。
それは今日の日付であり、彼の誕生日でもあり、―――――彼が、『廃棄』された日。
誕生日は祝うもの、と相場は決まっているものだ。しかし、カインには祝う気など起きはしない。
(嬉しくも何ともねぇ日を祝えるかよ)
自分が生きる事を否定された日を、誰が嬉しく思うだろう?
ましてや、祝う事などできはしない。少なくとも、今のカインには。
ふぅ、と紫煙を吐き出すと、それは見る間に潮風に吹かれて消えていく。
自分の命も、この煙のように消えてしまうはずだったのだ。
けれどもカインは生きている。罪を背負い、己を戒める鎖を外すことなく。
CAIN、「殺人者」という意味の名。
彼はある人物の命を代償に、現在の自由を手に入れた。それもまた、遠い昔のこの日の出来事。
この名は戒め。
うっすらと明るくなってきた水平線を見、肺腑の奥まで満たすように煙草の煙を深々と吸い込んだ。
日が昇りゆくさまが、まるで一日の始まりを高らかに告げているかのように見えた。
いつもと何ら変わらぬ一日が始まる。
カインにとっての呪われた一日が、始まる。
(っち、クソが)
思考を占めるのは、ろくでもないことばかりだ。
朝など来なくても良いのに。夜は明けずともいいのに。
今日だけ、一日中闇に閉ざされたままならいい。・・・そうすれば、何も見なくて済むのに。
いっそ、暗闇に溶けてしまえばいいのだ。こんな、身体など。
この日が来るたび、彼を苛む罪の意識。
(・・・紫影)
お前の行為は、無駄だったのではないか?
俺は未だ、何もできずにいる。無為に日々を過ごす事しかできていない。
お前との約束は、何一つ実行できていない・・・。

「よぉカイン。まーた今年もお前のシケた顔拝みに来てやったぜ」

ふいに声をかけられて振り向くと、そこにはカインの友人であり、酒飲み仲間であるトキの姿があった。
「何だ、お前かよ」
「何だとはなんだ。わっざわざ夜も明けきらねーうちから来てやったのによぉ」
よいこら、とやたらに親父くさい掛け声で、トキはカインの横に腰を下ろした。
彼は、カインの過去を知っている数少ない人間の一人だ。
カインが毎年11月10日にはこの場所で海を見ているという事も、その理由も知っている。
「ほれ」
そう言ってトキが差し出したのは、上等な部類に入るウィスキーと紙コップ。それに煙草が1箱。
どうやら、誕生日プレゼントのつもりらしい。
酒も煙草も、長年カインが精神安定剤代わりに使っていたものだ。それを考えた上で選んできたのだろう。
祝うためのプレゼントならば欲しいどころか投げ捨てたいくらいだが、こういうプレゼントならばありがたい。
そう考えてカインは薄く笑い、黙ってその酒瓶と安っぽい紙コップを受け取った。
じゅ、と砂に煙草を押し付けて火を消し、紙コップにウィスキーを注ぐ。
朝日を受けて、明るい琥珀色の液体が煌く。
いつの間にかトキも煙草に火を付け、紫煙をくゆらせていた。
「仲間とはうまくやれてっか?」
「それなりに、な」
「まだ、お前の過去は話してねぇのか」
「あぁ。俺も言わんし、あいつらも訊かん。話さなきゃならねー時期が来たら、言うさ」
「・・・それで、いいのかよ」
「少なくとも、俺にとっちゃこれでいい。俺は仲間じゃねぇ。ただ一緒にいるだけだ」
その台詞を、トキはどう受け取ったのだろう。
彼は黙ってカインを見やり、煙草の煙を吐き出した。
「『仲間じゃねぇ』、か」
どうでもいい事のようにトキは呟き、再び煙を吸い込む。

「・・・お前はそう思ってても、周りはそう思ってねぇかも知れねーぜ?」

その言葉に、カインは酒を飲む手を止めた。
この男は、一体何を言おうとしているのだろう?
「お前確か、こないだ『変なあだ名付けられた』とか言ってたよな」
「ベーコン」
「そう、それだ」
どちらかといえば、あれはあだ名というよりも勝手に付けられたコードネーム(らしきもの)という方が近いような気もするが。
「あだ名付けられたってこたぁ、仲間だと思われてるって事だろ?」
カインは答えない。否、答えられない。
「あだ名ってのは、仲間内でしか通用しねぇ呼び名だろ。で、お前はあだ名を付けられた。仲間だと思われてる証じゃね?」
そうなのだろうか。
実際にこのあだ名で呼ばれたことは一度もない。それでも、仲間の証だと思っていいのだろうか。
(俺は、お前らの仲間でいいのか・・・・・・?)
長い間、カインは独りだった。
故に、人と深く付き合うのが怖い。本心を晒すのが怖い。
己の心の内を見せるくらいなら、独りでいるほうが楽だと思っていた。
けれど、彼らと出会った。
彼らは何も言わない。
過去を話さなくても。本音を言わなくても。カインが己の気持ちを押し隠していると気付いても。
何も、言わないでいてくれる。
それがどれほどありがたかったことか。
「他人との関係のしかたはイロイロあるからな。さっきお前が言ったみてぇな『言われるまで訊かねぇ』ってのも一つのタイプだろーよ。 でもよ、一個くれぇ自分から言ってみたらどうだ?それだけでも違うもんだからよ」
確かにそうかもしれない。
今頃、ヘンゼルなどはカインの誕生パーティの用意でもしてくれているかもしれない。
あるいはこっそりとプレゼントを用意してくれているかもしれない。
そして主役であるカインの行方を心配しながら待っている姿などは、容易に思い浮かべることができた。
彼らは拍子抜けするほどドライだ。それと同時に、仲間に対してはどこまでも甘い。
その甘さが、カインは好きだった。
(帰るかね)
家に帰って、誕生日を祝う必要はないと告げてみようか。
せっかくのごちそうは無駄になってしまうかもしれない。しかし、少しばかり食事が豪華になるだけだと思えばいいだろう。
どうせ祝うなら、その一週間後・・・11月17日のほうを祝ってもらいたいと言ってみようか。
それは、カインが初めてフローラと出会った日。今に至るきっかけを得た日だ。
その日だったら心置きなく祝う事ができるから。
「帰れよ。お前の家に」
トキにそう言われ、あの場所はいつの間にか自分にとっての『帰る』べき『家』になっていたのだとカインは唐突に気付いた。
あの場所が、カインの帰るべき家。
「・・・そーだな。帰るか」
きゅ、とボトルのキャップを締め、ゆっくりとカインは立ち上がる。
すでに夜は明けた。太陽の運行を妨げる事は、何者にもできはしない。
月はとうに沈み、夜の闇は日の光に追いやられた。街は目覚めだし、日常の喧騒を取り戻すだろう。
生まれた日を祝う事自体には、何の意味もないのだろう。ただ、カインが生まれなければ彼らと出会う事もなかった。
「誕生日なんて年にいっぺんしかねーんだぞ?残りの364日を過ごすのと同じ気分で何が悪い、って怒鳴ってやれよ」
「いや、怒鳴る必要はねーだろ。ンなことしなくたって、あいつらは何も言わねーよ」
そう、彼らは何も言わないだろう。
秘密を抱えるのが己だけでない事を、カインは知っている。
だから彼らは訊かないのだ。秘密を探られるのは嫌な事だと知っているから。
そしてカインもまた訊かない。そんな事に興味はない。
自分の分を生きるだけで精一杯だ。他人の秘密など、知らなくとも生きていける。

もうすでに、今日を呪う気分は無い。

それを察してか、トキは笑った。
「じゃーな。また会おうぜ。『レイジ』」
昔のあだ名で呼ばれて一瞬面食らったが、すぐにカインもにやりと笑う。
「そうだな、また会おう。『ドラゴンフライ』」



悩む人間をあざ笑うかのように、今日もまた空は青い。

懺悔

はいはい、誕生日SSとは思えないほど暗いですね!
カインの秘密、結構バラされてます。もしくは糸口が隠されてます。
この話を読んだだけでカインの過去が掴めちゃった☆というアナタには緘口令を(笑)
どうしてでしょう、書き始めた当初はもっと明るい話だった気がするのですが。
この暗さを補うべくオマケをば。
そしてハロウィーンSSに続いて再び遅れまくり。どうかお許しを!(土下座)
あああ、海の底で物言わぬ貝になりたい・・・(壊)

up date 03.11.16



BACK

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送