霧島家四男・慶陽は今、一つの恐怖を目の前にして、洗濯機の前に立ち尽くしていた。
「・・・なんてこった・・・」
自分の仕事は完璧だったはず。なのに、これは一体どういうことだ。こんな事があっていいはずはない。
「シミが落ちねぇ!」 
「朝っぱらからンなことで叫ぶな馬鹿」
三男・黒曜が繰り出した見事なチョップとツッコミを受け、慶陽は恨みがましげな目つきで後ろを振り返った。
「・・・馬鹿?馬鹿だと?貴様は今、この俺に向かって馬鹿と言いやがったな?よし黒曜、お前今日メシ抜き!」
「もう二度と言いません」
「分かれば良し。」
傍から見れば漫才としか思えないやりとりだが、本人達は至って真面目である。黒曜にとってメシ抜きなどという
のは極刑にも等しいものだったし、この家の家事全般を取り仕切っているのは他でもない慶陽なのだから。
「で、何が落ちねぇって?」
「シミだよシミ。洗っても水に浸しといてもシミ抜き使っても駄目。何やっても落ちやしねぇ」
「へー」
「ほれ、これだ」
慶陽が差し出したシャツには、綺麗な青い色をしたシミが点々とついていた。
「ふーん。これ、インクのシミか?」
「インク如きだったら落とせねぇはずねぇだろ」
黒曜はあぁ、と納得しかけ、慶陽の台詞の続きを聞いて恐慌状態に陥った。
「そのシミはな、一旦落ちたと思っても、次の日にはまた付いてる強敵なんだ」
(何だと――――――っ!?)
普通、シミというのは洗ったら落ちるものではないのか。
「全く、俺に挑戦してるとしか思えねぇ。何だよこの恐ろしいシミは」
(あーそうだな、確かに恐ろしいシミだ!)
慶陽とは違う意味で黒曜は恐怖した。
このシャツ、誰かに呪われているのではあるまいか。
「・・・鈴鹿に頼んで、御祓いでもしてもらった方がいいんじゃね?」
黒曜は、十五歳にして出家し、僧侶となった六男の名を挙げた。普段の能天気さとは裏腹に、彼はなかなか腕が
いい。
ちなみに霧島家は九男二女の大家族である。
「何でだ?シミなら洗えば落ちるだろ」
落ちないから悩んでいるのではないのか。
こいつの思考回路は生涯かかっても理解できない。黒曜はそう思った。
「けー兄、くろ兄、何やってんの?」
ひょいっと顔を覗かせ、興味津々といった様子で慶陽と黒曜のそばに近寄ってきたのは、七男・蒼太だ。
「蒼太か。今、黒曜とシミについて語り合ってたとこだ」
「いや、語り合ってはいねぇから」
どちらかといえば慶陽が一方的に語っていた。
「シミ?どれどれ?」
蒼太は黒曜の手元を覗き込み、シャツに付いているシミをじっと見つめた。
そして、口を開くなり一言。
「けー兄、死なないように気をつけてね」
・・・・・・死?
「ちょっと待て蒼太!なんで俺が死ぬんだ!?シミ如きに殺されるほど俺はやわじゃねぇ!」
「そうだそうだ。こういう時はシャツの持ち主が死ぬってのが相場だろうが」
微妙に論点がずれている気もするが、蒼太の答えは二人の疑問を一掃するのに十分なものだった。
「だってこのシャツ、ヅキ姉のだし」
「「なるほど」」
二人は即座に納得した。
蒼太の言う『ヅキ姉』とは、長女・美月のことである。
おっとりとした柔和な外見とは裏腹に、彼女は剣道・柔道・弓道・合気道・空手に通じ、武勇伝は数知れず。その
上陰陽道や西洋魔術の心得もあり、医の道を志しているだけあって薬品にも詳しい。
口さがない黒曜曰く「閻魔大王が必死こいてあの世に連れて行こうとしても死にそうにねぇヤツ」だ。
そんな美月のシャツであれば、猛毒の如き怪しげな薬や、未知の生物(生贄)の返り血が付着していてもおかしく
ない。
「「やっべえ・・・・・・」」
黒曜は自分が広げている美月のシャツを、慶陽はシャツを何度も手もみ洗いした己の両手を、爆弾でも見るような
心持ちでじっと見つめた。
(あの美月のシャツに付いたシミ?まともなものであるはずがねぇ!)
(ってことは、俺らの命が危ねぇ!?)
二人の顔にはっきりとそう書かれているのを、蒼太は見た。
「いっ・・・今すぐ消毒しねぇと・・・・・・!」
「いや、それじゃ足んねぇ!美月にゃ悪いが、このシャツを燃やして二次感染を防ぐんだ!そして速やかに病院と
教会と祈祷師のところに行って、あらゆる手段をもって未知の恐怖と闘うんだ!」
まだそのシミの源が毒だと決まったわけではないが、美月が関わっていると思うと恐怖を感じた。
「・・・お前ら、さっきから何をやっているんだ?煩くてかなわん」
そう言いつつ、姿を現したのは長兄・帝。
有能な弁護士である彼は、寝起きのためか今は非常に機嫌が悪い。
「あ、みか兄。おはよー」
「わりぃ。起こしちまったか?」
先ほどまで騒いでいた当人である慶陽は、叱られた犬のように首をすくめた。
「気にするな。目覚める時間としては丁度良い。で、何をやっていたんだ」
「美月のシャツに付いたシミの話」
「ほう?」
「洗っても洗っても落ちないんだって。ほら、これ」
蒼太が問題のシャツを差し出すと、帝はそれを受け取ってじっと眺めた。
「・・・ルミノール反応は」
「出てたまるか!」
「みか兄、ルミノール反応って何?」
「ルミノールという薬には血液に反応して青白く光る性質がある。鑑識などではそれを利用して、周囲に血痕がな
いか確かめるんだ」
「へぇ、そうなんだ〜」
黒曜と慶陽の慌てっぷりを無視して蒼太と帝は和やかに会話しているが、そんなものが出たら、それこそシャレに
ならないと分かっているのだろうか。
「確かにこのシャツのシミは青いが、光ってはいねぇ!」
もしも光っていたなら、それはもはやシミですらないだろう。
「冗談くらい、受け流せ」
「お前が言うと冗談に聞こえねぇんだよ!」
真面目な奴が真面目な顔で言った事を、誰が冗談だと思えるのか。
「とりあえず黒曜、お前うるさい」
「俺だけか!?」
「あぁ。」
黒曜、撃沈。
「そうですよ。玄関まで響くような声で、何度も叫ばないで貰いたいです」
・・・・・・。
(何か今、嫌な声が・・・)
思った途端、黒曜の肩の上に、ぽんっと誰かの手が置かれた。
その手はどう考えても女の手で、この家にいる女性は二人(長女十七歳、次女十一歳)。その身長を考えると、こ
れは、・・・。
そぅっと後ろを振り返ってみる。
女神の皮を被った魔王が、笑顔を浮かべて立っていた。
「みっ、みみみみ美月!?何でお前がここにいるんだよ!」
「ここにいてはいけないのですか?」
いけない、などと言ったらどうなることか、想像もしたくない。
「いてはいけないことはないが、今日は部活があると言っていなかったか?」
美月は剣道部に所属しており、練習熱心な部員として部長にも目をかけられている。今日もまた、普段の休日と同
じく部活に出て行ったはずだ。
鞄を持ったままでいるところを見ると、ちょうど帰ってきたところなのだろう。
「えぇ。でも、ちょっと問題を起こしてしまって、急きょ休みになりました」
「何やったんだオマエ!?」
「大したことじゃありませんよ。ただ、明らかに前科持ちと思われる柄の悪い方々が因縁をつけつつ剣道場に
乗り込んできたので、少々静かにしてもらっただけです」
「十分に大した事だろ!」
それを『ちょっと』だの『大したことじゃない』だのと言い切る美月は、一体何者なのだろう。
「ヅキ姉・・・それ、相手は複数だった?」
「十人以上いた事は保証します。そのうち半数近くは、ほぼ確実に武器を持っていましたね」
「そうか。ならばそれは正当防衛に値するな」
「それでいいのかよ!?」
「いいんです」
(断言しやがったよ、コイツ・・・)
警視庁捜査一課に勤める刑事である霧島家当主・豪騎、弁護士である帝、検察官である次男・深紅、裁判官を
目指して勉強中の五男・司。法律関係者がひしめくこの霧島家において、犯罪すれすれの行動をし続ける美月
は何とも思わないのだろうか。
「何も考えるな黒曜。考えたら負けだ」
慰めるように肩を叩いてきた慶陽に、黒曜は『一体何に負けるんだ』などとは言えなかった。それを口にしたら、
それこそ負けそうな気がしたのである。今まさに己の目の前に立っている、恐怖の権化のような妹に。
「それで、皆さんは何をやっていたんですか?」
「・・・シミ談義?」
「疑問形なのか」
「質問に質問で返してどうする」
「しかも談義してねぇし」
もはや訳が分からない。
とりあえず物的証拠(?)として、例のシミ付きシャツを広げて見せた。
「このシャツはお前のものだな?」
「えぇ。間違いなく」
「慶陽が、このシミは洗っても落ちないと言っていた」
何だか裁判官=帝、被告=美月、原告=慶陽という雰囲気になってきた。
黒曜と蒼太は傍聴者といったところだろうか。
家族会議ならぬ家族裁判。何とも嫌な裁判である。
「洗っても落ちない?慶陽、本当ですか」
「ああ。洗っても洗っても、次の日には復活してやがるんだ」
それを聞いて美月は眉をひそめ、顎に手を当てて何事かを考え出した。
黒曜と蒼太には、それが『その程度の事でガタガタ言うなら始末してくれようか』と思案しているように見え
たが、そんな事は永遠に秘密である。
「・・・そうですね。普通の洗剤で駄目なら、アレを使うしかないでしょう」
アレって何だ。
「アレなら洗剤よりも汚れが落ちるはずですし」
どうやら、市販の洗剤を超強力にしたようなものらしい。そんなものまで創り出せるとは、さすが美月だとしか言
えない。
「えーと。確か、このへんに・・・」
言いつつ美月は、持っていた鞄の中をごそごそとあさり始めた。
「あ、ありました。これですね」
彼女が取り出した茶色いビンには、『ミステリアス☆ハイパーX』というセンスのかけらもない名前の書かれた
ラベルが貼ってあった。
「これが、幻のシミ抜きか・・・!」
「誰もそんな事言ってねぇから」
「それじゃ、実際にやってみましょう。まずはこれをシミの上に数滴垂らして」
裁判から実演販売に変わってしまったようだ。
しかも、何だか手馴れている。
「さらに、指でシミ全体に塗り広げます。で、水で流せば」
傍らの洗面台でばしゃばしゃと洗い、しっかりと絞ってから広げて見せた。
「ほら、この通り」
シミは、綺麗さっぱり消え失せていた。
「・・・落ちた・・・」
「この薬、シミのついでに呪いの効力も消しておいてくれますから、もう復活するような事はないでしょう」
「呪いって何だ呪いって!?」
「呪いは呪いですよ。祝いじゃないです」
「そんな事は分かっている」
「お前、他人に呪われるような事したのか」
「ヅキ姉、やっぱりヤバイ事に関わってるんじゃ・・・」
「気にしなくても大丈夫ですよ、蒼太。知らない方が無難です」
本当に、彼女は何者なのだろう。
「・・・美月・・・俺たちの世話になるような真似だけはするなよ?」
さりげなく『犯罪に巻き込まれたり巻き起こしたりするな』と釘を刺すあたり、帝の帝たるゆえんだろう。
彼は霧島兄弟の統治者なのである。帝のようなまとめ役がいないと、霧島兄弟は互いの濃さ故に自滅しかねない。
「そんな事は気になさらず。私はあなたの世話になるようなヘマは犯しません」
(犯罪起こす気満々か!?)
刑事に弁護士に検察官に(未来の)裁判官、と司法関係の職業が揃いまくっているため、裁判所を霧島一族が占
領するという事態が起きる可能性はゼロではない。そんな事が起きぬよう祈るばかりだ。
「それじゃ慶陽、シミについてはこれでよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ」
誰が彼女に文句をつけられよう。
「その薬、良かったら差し上げますよ」
「・・・いや、遠慮しとく」
「そうですか」
慶陽が『ミステリアス☆ハイパーX』を受け取らなかったのは、後難を恐れたからか、それとも美月を恐れたか
らか。
理由を知るのは本人のみだ。
「ところで美月。・・・シミの原因は、何だったんだ?」
帝が尋ねた途端、美月は目をそらした。
「ヅキ姉!?何で目を逸らすのさ!?」
「世の中、知っちゃいけない事ってあると思いません?」
「あるかもしれんが、周囲を不安に陥れる沈黙はやめてくれ!それなら知った方がマシだ!」
「・・・ならばお教えいたしましょう。あのシミの正体は・・・」
四人は息を呑んで、美月の発言に耳を傾けた。
たららー たらららー♪
「あ、お父さんからメールです」
(しかも宇宙●艦ヤマト・・・)
メールが来るたび地球とおさらばしたくなる気持ちは分かるが、あれだけの緊張感をブチ壊されたやるせなさ
には、いかんともしがたいものがある。
「『囮捜査するの手伝え』だそうです。さっそく行ってきますね。では」
颯爽と歩み去る美月の後ろ姿を呆然と見送り、残された四人は何とも言えない感情に包まれた。
「あンのクソ親父っ・・・!」
黒曜は怒りに任せて壁を拳で叩いたが、それは単に手を痛めるだけに終わった。
兄弟の統治者たる帝といえど、父には逆らえない。娘を囮捜査に使うなよなどという当然の事すら、進言する
にはばかられるのである。
「・・・シミの原因、結局なんだったんだろーね・・・」
遠い目をして蒼太が呟く。
それを知るのは、美月のみ。


補足。
その後何日経っても、シミが再び浮かび上がることはなかったようである。


END?

後記

サイト初公開☆「霧島家の一族」ネタです。
九男次女の大家族。こりゃ大変だ。
相変わらずキャラが使いまわしくさいのは、追究しない方向で(笑)
ちなみにバンケにも焼きそばにも丁寧語の女性(アビスとフローラ)がいますが、最後まで丁寧語を貫くのは美月だけです(ぇ
霧島家の屋敷(もはや『家』とは呼べない規模)は、忍者屋敷並みにからくりだらけです。
廊下に落とし穴、壁に隠し部屋、居間に畳返し。だから皆さん超人です(!?)
うかつに友人連れて来られませんね。
まぁ、彼らについての話はぼちぼち増やしていきますわ。
長い戦いだった・・・(遠い目)

up date 03.12.21



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