とある都市の片隅に、薄汚れた建物がある。
広くも狭くもない、中途半端な大きさ。ドアはまったガラスを覗いて中の様子を窺おうとしても、がらんとした室内が見えるばかり。 窓からの眺めも同様。
建物の裏に回ってみれば、全く手入れのなされていない荒れた庭と、イイ感じにヒビが入った窓ガラス。ネジが外れて取れかけた裏口の 取っ手。近所の子供たちが肝試しの会場に選びたがりそうな雰囲気だ。どうやら、通りに面しているほうだけ体裁を整えてあるらしい。
単に放置してあるだけか、状況を改善する手間や金が無いのか。そこまでは分からない。・・・・・・恐らく後者だろうが。
そして、通りに面した看板には、道場の看板並みに勢いのある字でこう書かれている。
「八百万の御依頼 承り候  常磐探偵事務所」と。



【おいでませ常磐探偵事務所】



「所長ー、掃除の邪魔なんでどいてくださーい」
「ここは私のベストポジションです。たとえ貴女であろうと譲りませんよ」
「はいはい、譲ってくださらなくて結構ですからどいてください」
微妙にずれた所長の台詞を軽く受け流し、雪穂は窓を磨き続ける。そこから先の窓を磨くには、彼が座る椅子の後ろを通る必要があるのだ。 彼が座ったままではやりにくくてしょうがない。
「やれやれ、せっかくのベストポジションなのに。ねえ、相棒?」
しぶしぶ彼は立ち上がり、事務所の隅に置かれたかごに――正確には、その中でもそもそと動き回っている白うさぎに――話しかけた。
しゃがみこんでうさぎ相手に話しているその姿は、傍から見ていて大変にうっとうしい。
嫌そうに溜息をつき、雪穂は所長に注意した。
「所長・・・・・・。そこ、外から見えるんですけど?」
「そうですね。こちらからもよく見える」
「そうじゃなくて。所長がそこでそうしていると、お客さんが入って来にくいじゃないですか」
「大丈夫ですよ。私がどこで何をしていようが、一向に客が来る気配はありません」
「所長、何がしたくて営業してるんですか?」
どうも彼の話を聞いていると、ここを経営していく気は全く無いように思える。本当に、何がしたくてここを営業しているのか全く 分からない。
彼――所長こと常磐は、全てにおいて謎に包まれている。雪穂が知っていることといえば、彼は大変な曲者で、飼っている白うさぎを とても大事にしていて、住居はこの事務所だということくらいだ。
ベッドや衣服だんすどころか冷蔵庫すら見当たらないこの事務所で、どうやって生活しているのか。直接常磐に聞いたことはないが、 どこかに地下施設への入り口があって、彼はそこで暮らしているのだと雪穂は解釈している。
所長以下、所員は雪穂を含めて二人。つまりここは、たった三人で切り回している零細企業なのだ。なのになぜ潰れる気配がないのか、 それは永遠の謎である。やる気のない所長が率いる探偵事務所など、儲かるはずなどないというのに。
しかし雪穂は、ここの所員になりたくてなったわけではない。常磐に引きずり込まれたのだ。そうでなければ、こんなところに 勤めはしない。
自分の何が気に入ったのかは不明だが、とにかく常磐は執念深い。転職したいのはやまやまだが、 前の勤務先を面接官に訊ねられてここの名前を答えると、そこは決まって不採用になるのだ。運良く採用されたとしても常磐が 連れ戻しに来る。こんな生活、結構やめたい。
「おはようございまーす。――・・・・・・、どうしたんですか?雪穂さんも所長も、床に座り込んだりなんかして」
「座り込んでるんじゃないわ、落ち込んでるのよ。所長はうさぎと会話中」
「ああ」

悠樹は得たりと頷いた。そして、荷物を置きながら常磐に声を掛ける。
「所長、もう少ししたらお客さんが来ますから、その時にはきちんとしていてくださいよ」
「お客?どういう方?」
「女性です。雪穂さんと同じくらいの年齢の」
ふぅん、と雪穂は相槌を打った。悠樹はなぜか、そういう勘が鋭いのだ。彼がそう言うのなら間違いない。
「じゃあ、私も雑巾とバケツ片付けなきゃ」
「そうですね。ほら、所長も立ってください」
言っているそばからドアが開けられ、悠樹が言った通りの女性が入ってくる。雑巾とバケツもうさぎと会話中の所長もバッチリ目撃した彼女は、 ドアノブを掴んだままの姿勢で一瞬止まった。
(やばい)
「あ、ど、どうぞお入り下さい!」
「ご依頼ですか?」
「こちらへどうぞ」
三人は一致団結し、金ヅルを逃すまいと立ち回った。雪穂が呼び込み常磐は姿勢を正し悠樹がソファへ案内する。見事なまで の手際である。
「粗茶ですが」
「あ、すいません」
手早く淹れた緑茶を彼女の前に置く。軽く会釈をした彼女の黒髪が揺れた。
「お名前をお聞かせ願えますか?」
「霧島美月と申します」
その名に常磐が反応した。ただでさえ挙動不審な態度が、さらにあやしくなった。
「霧島って、・・・・・・霧島というと『あの』霧島ですか」
「はい。『あの』霧島です」
ニィ、と不敵な笑みを浮かべて美月が肯定した。まるで訳が分からずにいる所員ズを尻目に、常磐は熱狂した。
「そうでしたか!かねがね噂は伺っておりますよ!」
「ありがとうございます。うちでも、弟たちがこちらのことを良く話していますよ」
「ああ、それは光栄です!」
「・・・・・・所長?」
恐る恐る雪穂が声を掛けると、常磐はおもむろに雪穂の腕を掴んだ。そのままぐいっと引かれ、雪穂はつんのめる。
「わわっ」
「貴女もご挨拶なさい。ほら、悠樹、貴方も」
「あ、はい」
常磐は二人を自分の横に立たせ、美月に紹介した。
「レディ・ミヅキ。こちらは我が事務所の所員で雪穂と悠樹」
「初めまして」
「雪穂、悠樹。こちらはレディ・ミヅキ。その筋で有名な一族の方です
「その筋、って・・・・・・所長、やくざじゃないんですから」
「似たようなものです」
笑顔で肯定され、雪穂は固まった。や、やくざ?肯定?
「それで、ご依頼はどういったものでしょう」
常磐の言葉で話の流れが変わってしまったため、それっきり雪穂は質問できなくなってしまった。全く、どういう意味だったのだろう。
美月はハンドバッグの中から写真を数枚取り出し、テーブルの上に並べた。
「この野郎どもの身辺を探っていただけますか」
ひどい言い草である。
常磐は身を乗り出して、雪穂と悠樹はそれぞれ横から、美月の示した写真を覗きこんだ。
写真は三枚。免許の証明写真を引き伸ばしたような趣で、一枚につき一人の男が写っている。
真面目そうな男。口元に曲者の笑みを浮かべた男。活発そうな男。みな二十代半ばくらいだろう。
「えーと、彼らはストーカーか何かですか?」
うっかりそんな失礼なことを口走ってしまったのは、彼らに対する美月の言い方がまるで敵への態度のように思えたからである。
しかし、実際はまるで違った。
「兄です」
雪穂、本日二度目の石化。
「ほう。では、彼らも霧島ですか」
唯一何のダメージも受けていない常磐は、当たり前のことを呟いてふんふんと頷いている。写真を一枚ずつ指差して美月が説明した。
「これが長男の帝。こっちが次男の深紅で、三男の黒曜」
「なるほど、分かりました。彼らの身元を探ればいいのですね?」
「ええ、お願いします。特に弱みとなりそうなことを重点的に洗い出してください
兄妹同士とはとても思えない依頼である。
「喧嘩でもなさっていらっしゃるのですか?」
「いいえ。そろそろ勝負が入ってくる時期なので」
「ああ、例の名取り合戦ですか」
「いえ、鬼ごっこのほうです。あの、肉弾戦及び情報合戦可の」
どんな危険遊戯だ。
物凄く突っ込みたかったが、雪穂は必死に我慢した。横では悠樹が繰り返し深呼吸している。彼もまた同じ気持ちなのだろう。
しかも「名取り合戦」って一体。
「それと、もし身辺調査をしていると勘付かれたら攻撃されかねませんので、お気をつけて」
「ほう、攻撃」
「純粋な武術の腕前に加えて、心理戦頭脳戦を仕掛けられる可能性があります。もしくは度胸試しなども」
何だか話が凄いことになってきた。
「どうやら、ターゲットは相当な人物たちのようですね」
「そうね。しかも私たち、そんな奴らの身元調査をしなきゃなんないのよ」
美月に聞かれないよう声を落とし、二人はひそひそと囁き交わした。これからしばらく、 自分たちが危ない橋を渡り歩くことになるであろうことは容易に想像がついた。
「これで怪我したら、保険っておりるのよね」
所長が手続きを怠ってさえいなければ、おりるはずです」
「・・・・・・そう」
絶対に怪我はできないなと思いながら、雪穂は思考を常磐たちの会話のほうに戻した。
途端、耳に飛び込んできたのは、気絶しそうな契約の取り交わし。
「では、今後はこちらをひいきにさせていただきましょう」
「ありがとうございます。光栄極まりない」
こちらを、ひいきに?
つまりそれは、この危険な一族との結びつきができてしまったということで。
「あ、あの、それって」
「お気をつけてお帰りください」
「ええ。それでは、また」
優雅に手を振って、美月は事務所を出て行ってしまった。
雪穂が詳しい話を聞く暇もなく。
「雪穂さん、早まらないでくださいね」
「・・・・・・早まるも何もないわ。むしろ出遅れたのよ、私は」
がっくりと落ちた雪穂の肩に、常磐の無邪気な声が降る。
「いやあ、まさか霧島さんのひいきにしてもらえるとは!光栄です、こんな名誉は他にない!」
このやろう。
雪穂の中に一瞬、本気で殺意が芽生えた。
「早まってはいけませんよ。あれは単なる仕事馬鹿です」
知ってるわよ。でもね、悠樹」
ゆらり、と雪穂は顔を上げ、悠樹と視線をかち合わせる。
「人間、やらなきゃいけないことってあるわよね」
悠樹は勢いよく目を逸らした。
そんな彼に構うことなく、雪穂は静かに常磐を呼んだ。
「所長」
「ん?何だい雪穂」
「今すぐ浮かれるのをやめないと、相棒さばいて唐揚げにしますよ」
あまりの恐ろしさに、所長どころか相棒までも動きを止めた。
沈黙が続くこと、数秒。
「・・・・・・しまった、過去の依頼を書類にまとめるという仕事がまだ終わっていないんだった。手伝ってくれるかい?悠樹」
「もちろんです」
「ほら相棒、昼寝の時間だよ」
現実から目を逸らすかのように常磐はありもしない仕事を作りだし、雪穂の魔手から相棒を守るべく、かごの上に布を掛ける。
「さぁ悠樹、仕事に取り掛かろうじゃないか!」
「そうですね、早くやらないと」
なるべく雪穂のほうを見ないようにしながら、常磐と悠樹は手際よく書類を作成しだした。その書類を作る紙を一枚、雪穂が すっと抜き取った。
ちらちらと横目で様子を伺っていた二人のもとに、それは手紙の形となって戻ってくる。

『辞表』

「失礼します、永遠に。
「う、あ、雪穂さん!早まっちゃ駄目ですってば!」
「そうですよ!永遠に逃げられるなんて思ってはいけません!
常磐の台詞を聞くなり、今しも事務所から出て行きそうになっていた雪穂は足を止めた。
そして、ゆっくりと振り向く。
「だったら所長は地獄に行ってください。私は気合で天国に行きますから」
言い残して雪穂は全力で駆け出した。その勢いは、まさしく脱兎。
「そうはさせません!出番ですよ相棒!」
いつの間にか常磐は相棒のかごを持っていた。その戸を開けると、相棒もまた雪穂を追って走り出す。
「悠樹、留守番は頼みましたよ!」
それだけ言って常磐も駆け出す。それに気付いた雪穂が悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁぁああああ!追ってくるんじゃないわよストーカ――――――――――――!」
「追われたくないなら逃げなければいいだけのことです!」

じょじょに遠ざかっていく声に溜息をつき、一人残された悠樹はこぼした。
「やれやれ」
そして悠樹は、事務所の中へと戻っていった。


雪穂と常磐の追いかけっこは、まだまだ終わりそうにない。


END.



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