コンコン
アビスが自室にこもって仕事をしていると、突然ノックの音が響いた。
「どうぞ」
書類にペンを走らせながら、ドアのほうを見ることなく答える。
ガチャ
「相変わらず、精が出るな」
ドアを開けた音に続いて背後から飛んできた、あまりに聞き慣れた声。
アビスはペンを動かす手を止めた。
ちらりと横目で見やり、そこにいるのが伝令使や侍女ではなく双子の兄であることを確認し、深々とため息をついた。
「何ですか?シヴァ」
アビスの記憶が正しければ、彼にも自分と同量の仕事が任されていたはずである。
治水問題が山積みになっているアビスとは違い、火属のシヴァには仕事があまりないのは知っている。
だが、軍事関係もまた、シヴァが最高責任者だったはずだ。近頃は魔界からの侵入者が増えてきているというのに、ふらふら出歩いている暇はない。
・・・・・・はず、だ。
しかし、次にシヴァが放った問題発言によってアビスは頭を抱えたくなった。

「人間界にでも行かねぇか?そんなに仕事ばっかしてねぇで、たまには遊べよ」

(・・・この男は)
仕事に関してもそうだが、何よりシヴァは、アビスがゼウスの存在意義を疑い、目立った行動を控えるようにしている事を知っている。
真面目に仕事をして周囲との間に波風を立てないようにしたほうが、水面下で活動するのに都合がいいからだ。
そこに、この誘い。
(まったく・・・何を考えているんだか)
こっそりとため息をつき、皮肉を込めて返してやった。
「机の上で書類が雪崩起こしてるあなたとは違って、私は勤勉なんです。人間界に行くならお一人でどうぞ」
言うだけ言って、アビスは再び机のほうに向き直った。
これでシヴァも帰るだろうと思ったのだが。
「会わせてぇ奴らがいるんだけど?」
イタズラをたくらむ子供のような声に振り向けば、その口元には何やら底知れぬ笑みが浮かんでいた。
まるで、その一言でアビスが興味を持つ事など分かりきっていたかのように。
「行かねぇ?」
再度問われ、アビスは3度目のため息をついた。
そして椅子から立ち上がり、腕組みしてシヴァと対峙する。
「おもしろくなかったら、あなたに仕事押し付けて遊びまくってやりますからね」
「了解。そうこなきゃな」
・・・ひどく愉快そうに笑うシヴァを、アビスはこの時ほど『確信犯だ』と思ったことはなかった。


***


「お、シヴァじゃねぇか」
「久しぶりねぇ。あら、そっちは彼女?」
シヴァが案内した先は、山の中の洞窟。
そこにいたのは、目つきの悪い剣士と、どこか猫を思わす顔立ちの少女。
「彼女だぁ?」
少女の言葉に対してシヴァは、ものすごく嫌そうな顔をした。
無理もない。実の妹を彼女と間違われて、愉快になる人間などそうはいないだろう。
もっとも、シヴァもアビスも人間ではないが。
「コイツぁ俺の妹だよ。前に話しただろ」
アビスを指差しながらシヴァが言うと、少女のみならず、こんな話題には興味ないとでも言いたげな顔をしていた剣士までもが驚いた顔をした。
「妹、って、双子なんでしょ?・・・本当に?」
「髪の色も目の色も違うじゃねぇか」
「人間の時は、髪も目も茶色だった。正式に神の座を継ぐと、それにふさわしい容姿になるんだと」
アビスも、それを聞かされた時は驚いた。全くの別人のようになってしまうのではないかと思ったのだ。
けれど、変わったのは髪の色と目の色だけ。それだけでも大変な違和感があったが、顔立ちはさして変わっていなかった。
つまり、大きな違いは髪と目の色、それに性別だけで、アビスとシヴァの容姿は瓜二つなのである。
少女もそれに気付いたらしく、二人の顔をじっくりと見比べて、感嘆のため息と共に呟いた。
「・・・ほんとだわ。うん、髪とかの色のせいで雰囲気は違うけど、そっくり」
そこまで言った途端、洞窟の外から誰かが嬉しそうに叫ぶ声が地鳴りと共に聞こえてきた。
「シ―――――――ヴァ―――――――――――――っ!」
「あの声、ラウルじゃねぇか?」
「そうだな」
シヴァの問いかけに剣士が頷く。
「あんまり、いい予感はしないわね」
少女が呟く。
ドドドドドドドドド・・・
そうしている間にも、だんだん地鳴りが近づいてくる。
ドガァッ!
突然、恐らくは先ほどの叫びの主であろう少年がシヴァに全力でタックルしてきた。
「うぉっ!?」
「ひっさしぶりだなぁシヴァ!元気だったか!?」
「・・・少なくともテメェほど元気じゃねぇなぁ・・・!」
「せっかく来たんだ、遊んでけ遊んでけ!」
「あぁ分かった。分かったから離れろ!いつまで俺にひっついてる気だ!?」
そんなシヴァと少年のやりとりを呆然と眺めていたアビスに、少女が説明してくれた。
「ごめんね、ぶしつけなヤツで。シヴァにくっついてるのはラウルっていって、あれでも私達のキャプテン」
「あれが、キャプテン・・・」
「そう。あれでも、ね。・・・あ、そういえば私達の自己紹介もまだだったわね。私はユイ、パイロット。あっちはレオ、副キャプテン」
「はぁ・・・」
「3人で組んで、『ラウル空賊団』。3人しかいないから、ショボいけど」
「そうですか・・・」
「聞いてる?」
「へ?あぁ、はい。聞いてます。ただちょっと、珍しい光景を見てしまったもので」
「・・・あぁ、確かにね。他人に思いっきりタックルしてくる奴も珍しいわよね」
ユイの言葉を、やんわりとアビスは否定した。
「いや、そういう意味ではなくて。タックルされる前に避けない、というのが珍しくて」
普段のシヴァならば、かわすなり攻撃するなりするはずだ。
なのに何もしなかった。それでアビスは驚いたのだ。
「それに、あなた達は私達二人がヒトでないことも知っているようですし、ね」
わずかに声をひそめ、アビスは言った。
先ほどシヴァは「人間だった頃は」「神の座を継ぐと」とはっきり言っていた。
しかし、それを聞いていたレオもユイも、なんでもないかのように平然としていた。
「ラウルがゴッドチャイルド(神の子)なのよ。神も神の子も似たようなもんでしょ」
ユイはさらりと言ってのけたが、実を言えばゴッドチャイルドを『普通の者』として受け入れられる人間自体が少ない。
ゴッドチャイルド。体に雷を宿す者。
時に人の命を奪えるほどの雷電を発する事ができる特異体質ゆえ、ゴッドチャイルドは危険人物として扱われる事のほうが多いのだ。
そんなゴッドチャイルドを、そして神までもをごく当たり前の者として受け止めてしまえる彼らが、少し羨ましかった。
「ハァ・・・ようやく離れやがったか・・・・・・」
先程からラウルと格闘を続けていたシヴァが戻ってきた。どうやら無理やり引っぺがしたらしい。
「いてて、殴る事ねぇだろぉ?」
情けない顔をしてシヴァの後から戻ってきたラウルの頭には、たんこぶができていた。
しかし、そんなラウルをシヴァはきっぱり無視し、レオに向かって言った。
「おいレオ。アビスと手合わせしてみたらどうだ」
「・・・あ?」
「アビスは天界有数の剣士だ。いっぺん戦ってみりゃ、分かる事もあるだろうからな」
「シヴァ・・・もしかして、そのために私を連れてきたんですか?」
「いいや?単に面白そうだからだ。
(本当に・・・・・・この男は・・・・・・ッ!)
もう何があってもシヴァには勝てない気がしてきたアビスであった。



結局、アビスはシヴァの言うとおりにレオと手合わせする事になった。
洞窟の中ではいくらなんでも狭すぎるので、いったん全員外に出る。
アビスは銀の剣を、レオは刀を、それぞれ鞘から抜いて互いに構える。
「勝負は一回。ルールは『純粋に剣技で戦うこと』のみ。二人とも、準備は良いか?」
「はい」
「あぁ」
アビスは深く息を吸い込み、目を閉じて精神を研ぎ澄ましていった。
そういえば最近、あまり剣を握っていない。
手になじんだ剣の重みが心地よかった。
一陣の風が吹く。
「見てみな。アビスの奴、剣を持つと顔が変わりやがるから」
シヴァがユイとラウルにあごで示す。
アビスがすぅっと目を開ける。
変化は、誰の目にも明らかだった。
向かい合っていたレオは、がらりと雰囲気が変わったアビスを見て瞠目した。
(・・・何だコイツ!?)
先程まであれほど穏やかに見えたアビスが、刃物のように鋭い殺気を放っているではないか。
特に違うのは、その瞳。
まるで龍にでもなったかのような、恐るべき力を感じさせる目をしていた。
(さすがは、神だな)
普通ならば怯えるところだろうが、レオは物怖じすることなく喉の奥で笑った。
同時に、最近はめったに感じることのなくなっていた対抗心が燃え上がる。
(ぜってぇ倒す!)
そして、レオはアビスと視線を交差させた。
そんな二人を見て、シヴァは張り詰めた空気を弾けさせるような一声を上げる。
「・・・・・・始めッ!」
途端、両者の間に火花が飛んだ。
ギキィンッ!
刀と剣が絡み合い、耳障りな金属音を立てる。
ぶつかり合った互いの力が限界まで膨れ上がった瞬間、互いの武器は手がしびれるほどの勢いをつけて戻った。
耐え切れずに両者とも一歩引き、再び対峙する。
性別の差を種族の差が埋めたのか、アビスとレオの膂力はほぼ互角。
先手を打ってレオが踏み込み、袈裟懸けに斬りつけた。
アビスはそれを飛びかわし、間髪いれずに胴を薙ごうとするレオの刃を上に跳ぶことで避ける。
そのままレオの頭上を飛び越えて背後に回り、彼が振り向くより速く、その首筋に剣の刃を突きつけた。
実にあっけなく、勝負は付いた。
「・・・勝負あり。勝者、アビス」
笑いを含んだ声でシヴァが宣言すると、アビスが纏っていた暴力的なまでの雰囲気も消えた。
剣を鞘に収めてレオに向かって一礼する姿は、試合中とはまるで別人のようだった。
大陸最強の剣士と謳われたレオの大敗。相手は神なのだからしょうがないと言えばしょうがないが、それで諦めるレオではない。
まだ戦いたい。もっと、もっと戦いたい。
「おい」
レオの声にアビスが振り向く。
「何ですか?」
その瞳はもはや何の力も持たず、ただ海のように青いのみだった。
「もう1回勝負しろ」
意識するより前に、レオはそう言っていた。
気付けば、アビスが驚いたような顔で見返している。
自分から勝負を申し込むなんて、一体何年ぶりだろう。レオは思った。自分でも珍しい事だと思う。
敗北を喫した直後に再戦を挑むのは、さらに珍しい事だ。
ラウルもユイも、そしてシヴァも、何も言わずに事の成り行きを見ていた。
「いいですよ」
アビスは答えた。
「私も、もう一度お手合わせ願いたいと思っていたところです」
そう言って、はんなりと微笑む。
そして二人とも、再び刃を抜いて構えあった。



「やっぱりな」
斬撃を繰り返すアビスとレオを眺めながら、両脇にいるラウルとユイにも聞こえないような小さな声でシヴァは呟く。
「思った通りだ」
どこまでも予想通りの成り行きに、シヴァは軽く笑みを浮かべた。
(・・・思ったとおり、意気投合したみてぇだな)
シヴァは太陽神であると同時に、それに属する炎・未来・破壊もまた司る。
故に、知っていた。
アビスとレオは、出会わなければならなかったのだ、と。
この出会いが後々、天界で起きる歴史的な大事件に関わっていくことになると、シヴァは知っていた。
未来は1つではない。時に複数の分かれ道が存在する。
シヴァは『アビスとレオが出会わない未来』より、『アビスとレオが出会う未来』を選んだ。
これは本来、あってはならないことだ。
未来視できる者が己の都合一つで強引に未来を決定していくなどというのは、禁忌にも値する行為だといえる。
しかしシヴァは恐れることなく、それどころか不敵な笑みを浮かべさえした。
ゼウスによって定められた既存の未来など、全てぶち壊してしまうつもりだった。
(さて。未来ってのは、どこまで変えられるもんなんだろうな?)







彼は、彼なりの方法でゼウスに挑戦していた。



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