―――――――神々の戦とは、如何なるものか。 ―――――――悪魔の戦とは、如何なるものか。 昔、自分にそう問うた哲学者がいた。 その男はカイトと馴染みが深くて、人間界にいる時はいつも彼と話をしていた。 彼の質問に、カイトはこう答えた。 ―――――――神々の戦は、守るためのもの。悪魔の戦は、奪うためのものだ。 悪魔は神を殺すため戦地に赴き、神々はそれを阻止するため戦地に赴く。 だから、双方の戦は決定的に異なるのだ。と、そう答えたのだった。 (実際には、どうなのだろうな) 鎧の金具を留めながらカイトは思った。手甲の締め具合を直し、鞘から剣を抜いて陽光にかざす。 天幕を通って降る柔らかな光に、研ぎ澄まされた刃が煌く。大丈夫だ、刃こぼれはない。 今日、カイトの上司たるアビスが人界に下ってから初めて、東部に戦火が上がった。 「月令司不在の間は海伯に指揮権を」というアビスの指示により、今日はカイトが将軍として指揮を取ることとなったのだ。 いつもなら副将として将軍補佐に当たっている彼にとって、これは未知の体験だった。 (だが、失敗は許されない) アビス率いる青龍軍は「不敗」、天界最強の軍。自分がその誉れに泥を塗り、悪魔に侮られる理由を作るわけにはいかない。 マントを纏い兜を被り、出陣の用意を整える。ぬかりはない。 (アビス様は、軍の先頭から我々を見ておられた) 将軍の身ながら先鋒として誰より早く敵陣へと突き進み、振り返っては軍の者達を鼓舞していた。剣を振るい、声を張り上げて。 彼女が人界に下った詳しい理由は、カイトも知らない。恐らく【死神】が関わっての事だろうが、それも憶測の域を出ない。 天界に錯綜する噂はあまりにも多く、彼女自身の口から語られた事実はあまりにも少ない。 (あの御方がいた場所に立ってみれば、少しは何か分かるだろうか) 思いながらマントを翻し、カイトは陣営のテントを出た。そこはもう戦の空気だ。人馬の熱気、金属が触れ合う音。 「行くぞ」 愛馬にまたがり、カイトは剣を抜いた。天高くそれを振り上げて朗々と声を張り上げる。 「行くぞ、皆の者。―――――――――出陣!」 その剣を鞭代わりに馬を叩き、片手で手綱を御して駆け出す。連鎖反応のようにして他の者も駆け出した。軍全体が進み出す。 それに気付いた悪魔軍も雄叫びを上げて進軍してくる。双方の群れが互いにぶつかった瞬間、火蓋は切って落とされた。 剣を交える甲高い金属音。火花が散る。空を切って頭上を矢が飛び、折れた槍が地面に突き刺さる。血の匂いが満ちてゆく。 その中でカイトは先陣を切って敵陣に飛び込み、すれ違う敵を片端から薙いで斬り伏せた。アビスがそうしていたように。 馬上から歩兵を狙うは易く、歩兵が馬上を狙うは難い。馬を狙って突き出される槍や飛箭を斬り、敵の将を探して首を巡らせた。 敵の騎兵がこちらめがけて剣を振りかざしてくる。カイトは無駄の無い動きで相手の剣を払い、腕ごとその武器を落とした。肘から先を 失くした騎兵は瞬間呆然とし、次いで悲鳴を上げて血が吹き出る傷を押さえた。驚いた馬がいななき前脚を浮かせ、その騎兵は振り落とされた。 そんな光景を最後まで見ている暇もなく、次から次へと敵は襲い掛かってくる。そのつどカイトは剣を振るい、相手の剣を折り腕を落とし 胴を薙ぎ首を斬った。迷いの欠片も無い戦いぶりだった。 時折刃を振っては血脂を払い、そうしてまた敵を討つ。その繰り返し。 ふいに背後に感じた殺気に、カイトは咄嗟に剣を向けた。振り下ろされた刃を済んでのところで防ぐ。剣戟を交わしつつも何とか馬首を 返して相手と向き合う形に持っていく。他の雑兵とは明らかに違う装飾付きの防具と真紅のマント。間違いなく敵将だ。 ひときわ音高に剣を交え、力を拮抗させる。カイトの気を逸らそうとしてか、脂汗を流しながらも男はカイトに話しかけてきた。 「おかしいとは思わんか?海伯公」 「何がだ」 負けじとカイトもそれに応じる。応じる必要は無いのだが、なぜか男の話を聞かねばならないような気がした。 男はククッと喉で笑った。嫌な笑いだ。 「何故、これほどに剣戟の音がせんのだろうな。あれだけの兵がいて、不思議だとは思わんか」 知っている。だが青龍軍に剣戟の音が少ないのはいつものことだ。 そして同時にそれは異常だ。彼が言っていることは正しい。 何かがおかしい。 しかし、男が次に吐いた言葉でカイトは異常の正体に気付いた。 「だが、まぁ。当然ではあるか。――――――腰抜けの臆病者どもが寄せ集められた軍ではなぁ!」 はっとして思わず振り返る。途端に刃が襲い掛かってきたが、カイトは反射的にそれを受けて剣を払い、返す刃で無防備になった首を落と した。頭部を失った胴は血を撒き散らしつつ馬からずり落ち、どさりと重い音を立てて地に落ちた。 周囲の敵兵が一瞬動きを止め、誰かが将の死を叫んだ。すぐさま副将が撤退の号を飛ばす。 自軍の将を討たれたと知った敵兵たちは、引く波の如く素早く撤退しだした。それすら気に留めることなく、カイトは自陣の側を凝視 していた。 「・・・・・・なんということだ」 自分の目が信じられなくて、頭の中が真っ白になった。 開戦時より前進していなければならぬはずの自陣は遥か遠く、そこにいる兵卒は皆こちらに背を向けている。 将を失った敵兵たちはこちらに向かって撤退しつつあるが、すれ違うその者たちの防具には一つの傷も付いていない。 視線を地に向け、散乱した味方の死体を見れば、その防具の背には無数の傷が刻まれていた。敵に背を向けて逃げ出したのだ。 死体の腰に帯びられた剣は鞘から抜かれてすらおらず、たまに抜き身の剣が落ちていたかと思えば刃こぼれや血痕の一つも無い。 なんたる有様。 しんがりの騎兵がカイトとすれ違いざま、嘲るように吐き捨てた。 「所詮は月令司公の威光によって成っていた腑抜けの軍、この負けっぷりも当然だな」 ――――――その通りだ。 思ってカイトは歯を食いしばった。アビスの活躍はあまりに大きくて、兵士達が戦を放棄している事に気付かなかった。アビスはそれを 補って余りある結果を出していたから。 その陰でこんな事になっているだなんて、思ってもみなかった。 「海伯殿、我らも撤退を」 こちらは先程まで剣を振るっていたのだろう、幾人分もの悪魔の血を浴び、また傷を負った副将がカイトに声を掛ける。 あぁ、とそれに頷きつつも、カイトは自軍の惨状から目を逸らしはしなかった。その光景を網膜に焼き付けようとでもするかのように凝視する。 やがてそれに耐え切れなくなり、目を逸らして騎馬の首を軽く叩き、自陣へと馳せ帰った。 再び天幕の中。 「・・・・・・ひどい、戦いでしたね」 「ああ」 カイトは防具を脱いで衣服を改め、床几に腰を下ろしていた。副将として戦っていた夜の神ヴァルナもまた衣服を改めており、今は湯を沸 かして茶を淹れていた。 「アビス殿が月令司に就任して以来、あれほど手ひどく打ち負かされたことはなかった。死者を出したこと自体が久しぶりですしね。 ・・・・・・どうぞ」 「すまない」 差し出されたマグカップを受け取り、カイトは視線を落とした。目を閉じ、先程見た光景を脳裏に蘇らせる。 頭部はおろか、腕も足も無くした死体。別の死体は臓物が引きずり出され周囲に撒かれており、また別の死体は目が抉られていた。 目を覆いたくなるほど冒涜された死体は山を成すほど数多く、しかしその死体の殆どに抵抗の跡は残っていなかった。抵抗するより先に 討たれてしまったのだ。 (それほどまでに、この軍は腐敗している) カイトはマグカップを握り締めた。ヴァルナが心配そうにこちらを眺めているのにも気付かない。 手が震えるのに合わせ、マグカップの中の茶がさざ波だって揺れた。 (アビス様は、ずっとあの様子を見ておられたのか―――――・・・・・・?) 抵抗すらままならぬほどに戦う力を喪失していた兵士達。ああも腕が鈍るまでに相当経っているはずだ。 自分達などよりはるかに振り返る回数の多かった彼女のこと、間違いなく気付いていただろう。 自分やヴァルナをはじめとするごく一部の者を除いて、青龍軍の兵士達は戦ってなどいなかったということに。 そうと気付いていて何故言ってくれなかったのかと腹を立てるより早く、自分になど言えなかったのだと気付く。 何しろ自分は、こんな状況になって初めて現状を知ったのだ。言えるはずがないではないか、こんな愚か者になど。 ふと思いつき、声が震えぬよう心がけつつカイトはヴァルナに声を掛けた。 「ヴァルナ」 「何です?」 「お前は、この軍の兵士達が戦を放棄していたことに気付いていたか?」 途端、ヴァルナは顔を曇らせた。しょげて俯き、悲しげに首を振る。 「・・・・・・いえ。こうなるまでは、全く気付きませんでした」 そうか、と頷き、カイトはようやくマグカップに口をつけた。熱い茶に、少しだけ心が落ち着く。 「アビス様はいつだって先鋒として真っ先に敵陣へ斬り込んでいって、僕らはそれに続いて行って。・・・・・・それより前に味方がいないのは 当たり前のことで、それより後ろに敵がいないのも、同じくらい当たり前のことでした。だから・・・・・・」 ・・・・・・だから、味方が戦っていないことになど気付かなかったのだ。敵は常に前方にいて、後ろを振り返る必要などなかったから。 しかし、最大の敵は後方にいた。慢心という名の敵が味方の中に蔓延っていく様子に、自分達は気付かなかった。 今回の戦の報告書は、すでに伝令使に持たせてアビスの元へと送ってある。できるだけ客観的に書いたつもりだが、あれを読んだ彼女は どう思うだろう。 アビス率いる青龍軍は「不敗」。 驚異すべきアビスの強さと、それがもたらす畏怖だけが青龍軍の強さだった。そしてアビス無き青龍軍は、寄せ集めも同然の素人集団に 過ぎなかった。 死者が出ないのも当然だ。戦線より前に進めぬ悪魔達が、戦線に出てくることなき者達を殺せるはずもないのだから。 (・・・・・・これが・・・・・・) ―――――――――これが、青龍軍の現状。 今になってようやく悟った自分に嫌気が差す。自分は一体どれだけの間、この軍で戦っていたのだ。 どれだけの間、この事実を見落としていた。 どれだけの間、アビスを孤独にしていた。 相談できる者がいれば、少しは違う道を辿っていたかも知れないものを。 嫌悪ばかりが深まっていった。 「・・・・・・例え、相談できる者がいても変わりはしなかったのだろうが、な」 届いたばかりの報告書に視線を落とし、ため息とともにアビスは呟いた。 目の前にはチェスボードと、それを見つめて唸っているレオ。もうそろそろ勝敗が決する。 レオはクィーンの駒をつまみつつ、アビスに言葉を返した。 「何でだ。そういう奴がいるだけで違うもんだぞ?」 「いや、変わりはしない。私が灰神である限り」 突如混じった耳慣れない単語にレオは顔をしかめ、視線を上げてアビスを見やった。 「カイ・・・・・・何だって?」 「カイシン。灰色の神。灰魔とも言うが。―――どちらも半神半魔を卑しめて言う言葉だ」 「卑しめる、だと?」 レオは心底不快そうに呟き、今度ははっきりと顔を上げた。 「分かってんなら使うんじゃねぇ、そんなもん。テメェでテメェの格下げる必要なんかねぇだろ」 そのあまりに彼らしい言葉にアビスは苦笑した。この男は、何と誇り高いのだろう。 「心がけよう。・・・・・・だが、問題はそこではない。私をそう呼ぶ者たちのほうだ」 「いるのか」 「数え切れんほどな。天界在籍者は八百万、その内の3割は純血尊崇派だと言われているから、かなりの数になる」 「ヤオヨロズ、か。詳しい数は?」 「分からん。戦の有無によってかなり変動するし、普段は人界に下りていて天界には殆ど戻ってこない、なんていう者もいるから」 それはシヴァのことだろう。何しろ、彼がこの飛行船に姿を見せない日はないに等しいのだから。 レオは溜息をつき、つまんだままだったクィーンの駒を盤上に置いた。チェック。ここから逆転できるだろうか。 アビスは視線を落としたままだ。 「半神半魔は存在自体が罪とされるほどだから、面と向かって悪態を吐かずとも、快く思っていない者は数多い。その上【死神】 と言えば、神々の間では悪魔と同じほどに忌み嫌われている代物だ。その双方が揃っているのだから、この扱いはむしろ妥当なのだろうな」 自嘲の笑みを浮かべ、アビスはおもむろにナイトの駒を取った。右斜め後ろに動かし、レオが置いたばかりのクィーンを倒す。 「嫌われ者を将に立てることは、それ自体が過ちだ。ついて来る兵卒のない者が、どうして将になり得よう。そういう者が軍を率いる には、兵に媚びるか、恐怖で統治するかのどちらかしかない。私はどちらもしたくなかった。そうして迷っている間に兵は慢心し、戦を 放棄し、――結果が、これだ」 ぱしん、とアビスは報告書を机に放った。そこには死者と負傷者の数が淡々と記されている。 「時には退くことも必要だと言うが、私が今回下した判断は、本当に正しかったのだろうか」 動かしたばかりのナイトを見つめ、アビスは自問するように呟いた。 今度の戦での死傷者は数百に上り、青龍軍は半ば壊滅状態。 カイトからの報告書には、そう記されていた。最大の問題は兵卒の戦意回復にある、とも。 予想はしていたことだ。この事態はアビスが招いたに等しいのだから、当然と言えば当然なのだが。 しかし、これだけの死者を出してまで行うべきことだったのだろうか?彼らは必要な犠牲だったのだろうか? 犠牲なしに軍の改革を行うことは、本当に不可能だったのだろうか。 曇った顔でうなだれたアビスを前に、レオはがしがしと頭を掻いた。 こういうのはどうも苦手だ。自分は元々湿っぽい空気を好かない性分だし、アビスがそういう顔をしていると線の細さがやけに目に付いて、 何やら落ち着かない気分にさせられる。 その僅かな動揺を悟られまいと、ごまかすようにレオは口を開いた。 「それでも、何もしねぇよりかはマシだろ。何もしねぇなら、良いほうにも悪ぃほうにも動きようがねぇんだからよ。だから、お前が したこたぁ間違っちゃいねぇと俺は思うぜ?」 「そう、・・・・・・だろうか?」 アビスの目には迷いが深い。それを霧散させたのは、チェスの駒が盤を叩く高らかな音。 「迷うばっかで身動きが取れなくなっちまったら、それこそ無意味だ。だから、それでいいんだよ」 どこまでも強靭なレオの眼差し。ぽかんとそれを見返し、次いでアビスは盤上に目を落とした。キングを守るべく後方に動かされたナイト。 ――こうやって、自分でも知らないうちに、私も守られているのだろうか。 ふと笑みを浮かべて、アビスもまた駒を取った。 守られてばかりいるわけにもいくまい。レオの言うとおり、行動せねば。 「では、行動するとしようか。――私は天界へ戻る」 「あ?」 「葬儀に出てくる。曲がりなりにも、奴らは私の部下だ。将たる私が葬儀に出んわけにはいくまい」 「お、おい!」 椅子から立ち上がり、今にも天界へ発ってしまいそうなアビスをレオは引き止めた。そんな彼を肩越しに振り返り、アビスは目元で笑う。 「いまさら出て行ったところで、何を言われるかは想像がついている。しかし、出て行かなければ出て行かないで煩いのさ。 あれらは私に難癖を付けたいだけなのだから」 結局はそうなのだと、その辺りのことはすでに諦めていた。何をしても難癖を付けられるのは不快だが、それについていちいち目くじらを 立てるのもやめた。諌めようと黙っていようと、されることが同じなら、少しでも後悔しないよう、したいことをするだけだ。 「今回の犠牲者は、私の我儘のせいで出したようなものだ。だからせめて、弔いだけはしっかりしておきたい」 それしかできないから、とアビスが小さくこぼすのを聞いて、レオは彼女を引き止めようと伸ばしていた手を引っ込めた。 「・・・・・・ありがとう」 「お前に頭下げられるほどのこたぁしてねぇよ」 「私が頭を下げたくてしたんだから、これでいいんだ」 「そうかよ」 呆れたようにレオは頬杖をついた。シヴァにしろアビスにしろ、どうも『神』という種族の考え方は理解できない。 「ではな」 アビスは手に持った駒を盤上に置き、くるりと踵を返した。レオが思わずボードを覗き込めば、そこには勝負の決した駒たちが居並んでいる。 クィーンに倒されたナイト。全ての道を絡め取られたキング。 「・・・・・・チェックメイトかよ・・・・・・」 呟いた先に、すでにアビスの姿はない。勝利を手土産に、敗北を置き土産にして、天界へ発ってしまったようだった。 まだまだ彼女には勝てそうにない。 |
up date 04.10.17.
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