「どーする気だよ、三蔵っ!」 全力で疾駆しながら声を荒げる天覚に、これ以上ないというほど簡潔に三蔵は答えた。 「知らん!」 「『知らん』って、オマエ・・・・・・!」 いつしか彼らはどことも知れぬ森の中を駆けていた。 醒清の言によれば、天竺に向かう道にこんな場所はなかった、とのことである。 ならば早急に方向転換せねばならないのだが、なぜか三蔵は馬の足を止めることなく駆け続けていた。 「三蔵、止まれとまでは言いませんから、せめて速度を落としてはもらえませんか?」 疲れきってしまった明律を背負い、樹幹の間を跳び交いながら天覚に続く醒清が冷静に言った。 だが三蔵の答えはにべもない。 「無理を言うな!」 そのせっぱつまった声に、醒清のみならず天覚と明律も危機感を覚えた。 「む、無理って・・・・・・ちょっと待ってください、まさかあなた」 「ああそうだ、―――――私は馬の御し方など知らん!」 その恐ろしい告白に、三人は顔を引きつらせた。 「テメェ、だったら初めっから馬なんかに乗んじゃねぇ!」 「しょうがないだろう、他に手段がなかったんだ!走らせる方法だけは知っていたから、後は何とかなる、と・・・・・・!」 「そんだけで何とかなってたまるかボケェ――――――――――――――――――――――!!!!」 聞いているほうが息切れしそうな絶叫がこだまする中、醒清は素早く頭をめぐらせた。 「僕らが出発したのは長安、そこからの時間と方角を考えると、・・・・・・まずいなあ」 「・・・・・・どないしたん?」 「いや、このまま進み続けると、ちょっとまずいことになるんですよ」 背負った明律にそう言うと、醒清は三蔵に向かって声を張り上げた。 「三蔵――――――!そろそろ止まらないと本当にまずいですよ――――――――――――!!」 「だから止まれないと言っている!」 「何か三蔵、泣きそうやで」 「うーん、本当にまずいんだけどなあ・・・・・・」 「何があるのん?」 明律が問いかけてすぐ、一行の進む先が拓けてきた。 ああ着いてしまいましたよ。と醒清が呟くや否や、三蔵が消えた。 「三蔵――――――――――――!?」 続いて天覚も消えたことで、明律は恐慌状態に陥った。 「ど、どないしよう醒清の兄ちゃん!三蔵と天覚の兄ちゃんが消えてもーた!」 醒清は至って冷静に返す。 「僕らも行きますよ、明律。どのみち、この速度ではもう止まれませんし」 「行く、って・・・・・・・・・―――――――っ!」 明律が聞き返すより早く、一気に木立が途切れる。 その先の地は、大きく裂けていた。 素晴らしい速度で駆けていた醒清たちが、そこに到達する前に止まれるわけもなく。 「じゃあ覚悟してくださいね。死にはしませんから、きっと」 「落ちながら言わんといてぇ――――――――――――――――――――――――!!!!!」 地の裂け目の底は固い地面ではなく川面だったが、それでも落下に対する本能的な恐怖は拭いようもない。 思わず明律はぎゅっと目を閉じた。 醒清の手が明律の腕を握る。途端、二人は水の渦に飲み込まれた。 全身を撫でる冷たい水、水、水。息苦しい中にどこか爽快感。 ふいに水上に引き上げられて目を開ければ、そこは大蛇のような生物の背の上だった。 青い斑のある背は、泳いでいる生物の上だとは思えないほど安定していた。 「大丈夫ですか、明律?」 「うん、おいらは大丈夫やけど・・・・・・こいつは何なん?」 「心配は要りませんよ、僕らを食べるような事はありませんから」 微妙にずれた答えを返し、醒清は大蛇にすがってきた天覚と、彼が抱きかかえていた三蔵を引き上げた。 「お二人とも、怪我はありませんね?」 「あぁ・・・・・・」 「ちっくしょー・・・・・・あー気持ち悪ぃ」 全身びしょ濡れになったのがよほど嫌だったのか、水から上がるなり彼は服を脱ぎだした。 「よくまぁテメェら、こんだけ濡れて服着てられるよな。脱いじまえばいいのによ」 「そうだな」 「オマエは脱ぐな――――――――――――――――――――――――!!!!!」 自分の言葉に従ってはならないというか普通は従わないはずの一行唯一の女性が服を脱ぎ始めたため、 激しく狼狽した天覚は全力で叫んだ。 その大声に驚いて水に潜ろうとする大蛇を制し、醒清が恐る恐る問いかける。 「さ、三蔵・・・・・・僕らが男だって認識、ありますか?」 「お前らを女だと認識していたら、私は戸惑うことなく下着まで脱いで乾かすぞ」 「テメェ・・・・・・マジで女かよ!?」 「何度でも言うが私は女だ」 「だったらとっとと服を着ろ!」 「断る。全裸になったわけじゃあるまいし、いちいち気にするな。第一お前も脱いでいるんだから構わんだろう」 「どういう理屈なんや、それ・・・・・・」 「論点が、ちょっとどころではなくずれてるのは分かりますが・・・・・・」 横で会話を聞いている二人は、それぞれ乾いた笑みを浮かべた。 それほどに気を許してくれているのだと思えば嬉しいが、青年期男子としてこれは非常に困る。 と、埒のあかない押し問答がいい加減にうざったくなってきたのか、三蔵は唐突に話題を変えた。 「まぁ私の格好などどうでもいいのだが」 「よくねぇよ」 男にとっては大問題である。 「構うな。・・・・・・醒清、この生物はお前が呼んだのか」 「あ、はい」 三蔵のサラシ一丁の上半身をなるべく視界に入れないようにしつつ、醒清は頷く。 「僕が今している腕輪は、祖父が持っていた『降妖杖』という、自分より格の低い妖怪を意のままにできる宝杖(ほうじょう)を作り変えたものでして。 とっさに使ってみたら、彼・・・・・・彼女?が応えてくれました」 言われて見れば、確かに彼は左右の腕に一つずつ、金の腕輪を嵌めていた。 それを興味深げに見ていた明律が醒清に問う。 「それ使てるから、こいつは兄ちゃんに従うとるのん?」 「そういうことになりますね。ちなみに天覚には効きませんでした」 「おいコラちょっと待ちやがれ」 聞き捨てならない台詞を笑顔で吐いた醒清に、天覚は掴みかからんばかりの勢いで凄んだ。 「テメェ俺を従わせようとしたのか?俺の方が格下だって判断したってのか?」 「何事も試してみなければ分かりませんからねぇ」 長安の酔漢も泣いて許しを請う天覚の凄みを平然と受け流せる醒清は、きっとかなりの大物だ。 そんな二人のやりとりなど気にも留めずに何やら考えていた三蔵は、ふっと一言呟いた。 「だが、こいつは蛟(みずち)だ」 「「「蛟?」」」 三人の声が綺麗に重なる。 「って、何だそりゃ」 先程まで醒清に殴りかかりそうになっていたことなど忘れてしまったかのように、天覚は不思議そうに尋ねた。 三蔵は淡々と答える。 「龍の一種だ。ミズチでなくコウとも呼ぶな。下級の龍だの龍の子だの言われている。詳しいところは私も知らんが、 まあ龍の一種であることに変わりはあるまい」 「龍の・・・・・・、ってことは」 「私の眷属ということになる」 三蔵は実にあっさりと言ってのけた。 「こいつがここにいるのは、私がいるからか、それとも醒清に呼ばれたからか。どちらだろうな」 「あなたがいるからでしょう」 醒清はきっぱりと答えた。 「僕が蛟より格上だなんて到底思えませんし、第一、降妖杖というのは相手を従わせるのにも体力がいるんです。けれど僕は今、 殆ど疲れていません。相手が蛟であるにも関わらず。ねぇ?」 醒清は同意を求め、蛟の頭がある方に声を投げた。 それに応えて、ヒュウ、と心なしか嬉しげな呼吸音が返ってくる。どう考えても、声なき肯定の声だった。 「・・・・・・そうらしい」 げんなりした三蔵の声に、蛟の呼吸音が続く。 ヒュ、ヒュゥウ、と何かを訴えかけるかのようなそれを三蔵はじっと聞き、呼吸音が途切れたところで頷いた。 「――――――いいだろう」 「は?」 「こいつが暁悠の代わりに私を負ってくれるそうだ。そう申し出てくれた。名は怜飛(れいひ)だ」 あまりに平然と言われたため、醒清には一瞬何のことだか理解できなかった。 ようやく理解した事柄を飲み込み、無理やり台詞を捻り出す。 「今の、分かったんですか・・・・・・・・・」 「ああ。やはり私の眷属らしいな」 ということは、三蔵も龍の化身であると決まったも同然。 醒清は、改めてこの年若き美貌の尼僧の姿を見つめた。 彼と同じ気分なのだろう、天覚と明律も同じように三蔵を見つめていた。 それに気付いた三蔵は眉をしかめた。 「何をじろじろと眺めている。そんなに面白いものはないぞ」 「いや、えっと、あー・・・・・・そうだ、僕らはこれからどこに向かうんです?」 苦し紛れに醒清がそんな質問をすると、天覚の呆れたような視線とかち合った。 「はぁ?何言ってんだ。東に行くんだろ?」 「いや」 即座に三蔵はそれを否定した。 不思議そうな天覚、「やはり」といった面持ちの醒清、頭上に疑問符を浮かべた明律。 三者三様の視線を受けて、三蔵は口を開いた。 「確かに師父は『東に向かえ』と仰られた。しかし、どこまで行けとは指定されていない」 「―――――ああ」 そこまで言われて、天覚はようやく合点がいった。 この河をこのまま下っていけば、これほどの大河だ、まず間違いなく海に出てしまう。その河口を終着地点とするか、それともその先へと 進み続けるかが問題なのだ。出国許可証は荷とともに沈んでしまった。潜って探したとしても、墨で書かれた文書だ。見つけたところで 読めたものではないだろう。 海に出れば、そこはもう唐の領域ではない。河口に着いた時点でよしとするか、それとも、罪になると知っていながら先に進むか。 「ってーか、仙界行きを断った時点でもう、唐の法律よりでかいもんを敵に回してる気がするんだけどな」 「過ぎたことだ」 そういう問題でもない気がする。 「ほんで、どないするのん?」 「そうだな・・・・・・」 しばし黙考し、三蔵は視線を彷徨わせた。 ふいに固定されたそれの先には、はるか広がる無限の蒼穹。 「――――――――決めた」 ゆっくりと、彼女は笑んだ。 それはまるで、面白い事を考えついた時の子供のような。 「師父は私に『様々な国と様々な人を見てこい』と仰った。ならばやはり、出国すべきだろう」 空を見つめ、目を細めながら彼女は言う。 「と、いうことは・・・・・・」 彼女が次に発する言葉は、容易に想像できる気がした。 三人が三人とも、同じ台詞を頭に浮かべる。 それは、きっと。 「どうせなら、どこまでもこの旅路を往ってやろう。――――――――――『英雄』と呼ばれた師父たちすら知らぬ旅路を」 三人が思ったとおりの台詞を彼女は言った。玄奘ゆずりの不敵な笑みとともに。 東。それは、日の昇る方角。 一日の始まり、破魔の暁光、万物を育む生命の根源。どれも彼女にふさわしく思えた。 「これでとうとう重罪決定か・・・・・・まぁいいけどよ」 「どうにかなるでしょう、きっと」 「どーでもええやん。行こ行こ!」 三人の声に、ヒュウッ、と怜飛の呼吸音も重なる。 それぞれの楽しげな様子に、三蔵は口の端を持ち上げた。 「―――あ」 それに気付いた三人は、思わず動きを止めた。 本人は自覚していないであろう魅力的な笑顔で、彼女は笑う。 「これから、よろしく頼む」 ――――――――――ここより、全ての物語が始まる。 |
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