そして翌日、ヴァレンタイン当日。
みんなの前でライにだけ渡す、というのも何だか後ろめたかったので、二人きりになった時に渡すことにした。
チャンスはすぐに巡ってくるだろう。
彼は殆どの場合、家事か読書をして一日を過ごす。そうして自室に戻った時に渡せばいいだけの話である。
(でも、・・・確か)
ふとフローラは思い出した。
(ライって、異性が部屋に入ってくるのを嫌がっていたような気が・・・)
もっと言うなら、異性の部屋に入る事も嫌がっていたはずである。
なぜなら彼はそんな事をして何か間違いがあったらどうするというかなり古臭い考えの持ち主だからだ。
王侯御典医だったフローラは別格扱いされてはいるが、それでも許されているのはドアを開けるところまでだ。
(うーん・・・他に方法、ないですよねぇ・・・・・・)
始終誰かいるキッチンで渡すわけにはいかないし、ライがキッチンか自室以外の場所にいることは滅多にない。
まさか外で洗濯物を干している時には渡せないだろう。
「フローラ。何やってんの?階段で考え事するくらいなら自分の部屋でゆっくり考えた方がいいよ」
「え?あ、そうですね」
リュオンに声をかけられ、フローラは我に返った。
確かにここでは通行の邪魔になるだけだ。
「・・・導師」
思いつき、フローラはリュオンに尋ねてみた。
リュオンにだったら、別の考えがあるかもしれない。
「ライの居場所って、キッチンと自分の部屋以外にありましたっけ?」
いきなりそんな事を訊ねられたリュオンは一瞬不思議そうな顔をし、それから何もかも納得したような微笑を浮かべて口を開いた。
「書斎」
「あ」
「ちなみに、今も書斎にいるはずだよ。・・・HAPPY VALENTINE’S DAY」
ひらひらと肩越しに手を振って自室に戻るリュオンを、フローラはしばし呆然と眺めた。
(今、ヴァレンタインって言いましたよね?)
直接それと分かるようなことは、何一つ言っていないはずなのに。
(まさか、あれだけで悟られてしまうとは・・・)
侮れない。
(しかも、何だか応援されてました?)
そこだけが理解できない。
何故『感謝のしるしのプレゼント』を贈るのを応援されるのだろう?
それは、フローラと違ってリュオンはヴァレンタインの意味を正確に把握していたからなのだが、彼女には知る由もない。
(・・・まぁ、とにかく。今のうちに渡してしまいましょう)
そう自己完結し、フローラは冷蔵庫に入れてあるプレゼントを取りに、キッチンへと向かった。



コンコンっ
分厚い木のドアがノックされる音を聞いて、ライは本のページをめくる手を止めて視線を上げた。
ギィ、とわずかに蝶番が軋んでドアが開く。
書斎に入ってきたのは、リュオン。
しかも自分を見て微妙に笑っているのを見て、ライは眉根を寄せた。
「・・・何だ」
「本を取りに来たんだよ。悪いかい?」
ライの返答も聞かず、リュオンは書斎の奥の方へと向かい、棚から一冊の本を抜き取った。
パラパラとそれをめくりながら、笑いを含んだ声でリュオンは言った。
「今日はヴァレンタインだよ」
ライはページの上に戻しかけていた視線をリュオンの方へと転じ、だからなんだ・・・と言いかけてやめた。
ブラインドが降りているとはいえ、窓は明るい。リュオンはその窓を背にして立っている。
逆光なので表情はよく分からないが、心なしか彼は、子を見守る親のような微笑を浮かべている、ように見えた。
「もうすぐ、ここにフローラが来るよ」
笑みを深いものにし、リュオンは本を両手で挟んで閉じた。パタン、と本独特の音がする。
「・・・頑張れ」
何を、と聞き返し難い雰囲気を纏って書斎を出ていくリュオンの背をただ見送り、ライは半ば呆然とした頭で考えた。
(頑張れ、だと?)
―――――奴の口からそんな台詞を聞いたのは、久しぶりじゃないだろうか。
というか、何を頑張れというのだろう。それに。
(『ばれんたいん』って何だ?)
イベントの類とは無縁の存在であるライにとって、ヴァレンタインなどというのは未知の単語だった。
リュオンから得たわずかな情報をかき集め、頭をフル回転させる。
(『フローラが来る』?それに、『頑張れ』?わけが分からん)
それはそうだろう。たったそれだけの単語から答えを割り出せる者なんて、そうはいない。
ライは腕を組み、フローラから連想されるものを並べ立ててみた。
(フローラと言や酒豪。博徒。ギルバートも張り倒す腕っぷしの強さ。最強。・・・・・・まさか、決闘の日か?)
分かっていない輩が、ここにも一人。
そこに、再びドアがノックされた。
コンコンッ
(お?)
ライは組んでいた腕をほどき、考えるのを中止した。
もしもドアの向こうにいるのがフローラなら、自分は戦わなくてはならないのだろうか。
ここは書斎だ。いや、書斎と言うよりも図書室に近い。
貴重な書物が大量に保管されているのだ。それを台無しにするような真似だけは、どうあっても避けたい。
ガチャッ
ドアを細く開けて書斎の中を覗き込んだのは、フローラ。
リュオンの言った通りだ。
どちらも同じ事を考えたが、当人達はそうと知らない。
「・・・な、にか、用か?」
ライは努めて不安を表に出さぬようにしたが、声が少々ひきつってしまった。
頭の中を「乱闘」「火災」「大破壊」などの不吉な言葉が駆け巡る。
いくらフローラといえど何の道具も用いず火を起こす事は不可能なのだが、今のライにそこまで考えを巡らしている余裕はなかっ た。
歩み寄ってくるフローラがいつ殺人拳を繰り出すのかと身構えていたライは、自分に向けて差し出されたプレゼントボックスを見て 呆然とした。
「ヴァレンタインのプレゼントです」
目を丸くしたまま自分を見上げているライに、フローラは告げた。
「今までと、これからの分の感謝を込めて」
「・・・何でだ?」
ヴァレンタインが決闘の日でなかった事に胸をなでおろしつつ、ライは訊ねた。
「お前に感謝されるような事はしてねぇはずだぞ?」
「何を言っているんですか」
フローラは微笑んだ。
プレゼントボックスをライの手に渡し、半歩下がる。
「貴方がいなければ、今の私はなかったはずです。・・・貴方がここにいること、それ自体に感謝したい」
言うと、フローラは静かにライの足元に跪いた。
かつて王侯御典医としてライに仕えるようになった時と同じく、深々と頭を下げて。
騎士が主君に忠誠を誓う、その光景に良く似ていた。
そして、かつてと同じ台詞を再び繰り返した。
「天地の間、のみならず」
フローラの静かな声が、書斎の静謐な空気に染み渡る。
「地獄の果てまで、貴方の傍に」
そしてよりいっそう深く頭を下げ、フローラは誓約をこう締めくくった。
「・・・殿下の御名に誓います」
久々にライが耳にした『殿下』という呼び名には、未だに敬意の念が込められていた。
神の名を口にする時と同じ、敬意の念が。
「俺は」
プレゼントボックスをテーブルの上に置き、思わずライは口を開いた。
「・・・俺は」
心に鉛が沈んでいくようだ。
「・・・もう、王子なんかじゃない・・・・・・」
「いいえ」
その鉛を軽々と持ち上げてしまうのは、いつだってフローラの力強い言葉。
「国が滅びたところで、私にとって貴方が殿下であることに変わりはないのです」
フローラは頭を上げ、至極優美な所作で立ち上がった。
不敵な笑みを浮かべ、自分の胸の辺りを指差す。
「さっき再び誓ったあの言葉は、今もここに生きています。この誓いが生き続ける限り、私にとって貴方は殿下であり続ける」
そして一度お辞儀をし、今度はライの目をひたと見据えた。
口の端を持ち上げ、また笑う。
今度は優しげな笑みだった。
「貴方を縛る鎖があるのなら、私が断って差し上げましょう。・・・My master」
国が滅びた今、ライにフローラを縛る権利はない。
それでも彼女はライに従うという。「地獄の果てまで傍にいる」と誓い、名を呼ぶのに神を呼ぶ時のような敬意を込めて。
これ以上を望む事など、できはしまい。
「・・・有難う」
ライは素直に感謝の言葉を口にした。
自然と顔が微笑んでしまう。
「お前は、俺の誇りだ」
心の底から、ライはそう思っていた。
フローラはライの誇りであり、・・・光なのだ。
彼女は「ライがいなければ今の自分はない」と言っていたが、それはライとて同じだ。
彼女に何度、命を―――心を、救われた事か。
何度感謝してもし足りない。
ライのその穏やかな表情を見て、フローラは満ち足りた気持ちになった。
――――――この若き主君のため、自分はここにいる。
改めて、彼が自分の内を占める比重の重さを知った。
もう一度深々と頭を下げ、ライの右手を取る。
何をしようとしているのかライに悟られる前に、フローラは素早くその手の甲に口付けた。
「貴方に忠誠を。そしてこの命を」
そして、未だ目を見張ったままのライに背を向け、フローラは足早に書斎を出て行った。
ライは気付かなかったが、その耳は赤く染まっていた。


(・・・おい)
しばし思考も行動も停止させていたライは、フローラの足音が聞こえなくなった頃、ようやく動き出した。
先程フローラに口付けられた右手の甲に、左手を添える。
そこが妙に熱くなっているように感じた。
(マジかよ?)
彼女がその外見に似合わず大胆な一面も持ち合わせていることは知っていた。だが、まさかあんな事をするとは。
ずるずると椅子から滑る。天井を見上げ、大きく息を吐いた。
(・・・普通、逆だろ・・・・・・)
プリンセスの手の甲にナイトが口付けするなら分かる。だが、自分はプリンセスではないしナイトは女だ。そんな構図ってどうなんだ。
ライの頭の中は非常に混乱していた。
そうして落ち着こうと姿勢を直しかけた時、テーブルの上に置かれたプレゼントボックスが視界に入った。
そういえば、フローラに貰ったのを置いて、そのままだった。
薄氷色をした楕円形の箱に、陽光色のリボン。ライは何気なくそのリボンに指をかけた。
殆ど力を入れることなく、軽く引くだけでそれはするりとほどけた。
箱のふたを開けると、そこには綺麗に並んだ一口大のトリュフが詰まっていた。
(・・・手作りか?)
やや不恰好なその形に、ライはそう思った。
(『疲れた時には甘いもの』って言うよな)
疲れたのは肉体でなく精神だが、それでも疲れていることに変わりはない。
列を崩すのがもったいないほどにきちんと並べられたそれを一つつまみ、口の中に放り込む。
これでもかというほど徹底的に甘みを抑えられたビターチョコに、ふわりとオレンジの香りが混じる。美味しい。
少し落ち着いた。
(お返し・・・するべきだよなぁ)
ぼんやりとライは考えた。
女性が好むものなど分かりはしないが、たまにはそういうことで悩んでみるのもいいだろう。そんな気がした。
(今度は俺が照れさせてやる)
決意し、ライは今から何を贈るべきか考え出した。



―――――悩める者たちに、幸あらんことを。










end.





後記

はい、そんなわけでライ編でした(謎)
前編の中でこれが一番甘いでしょうか?手の甲にとはいえ、ちゅーしてますし(笑)
最初はライの部屋で渡す予定だったのですが、「コイツ絶対『男女七歳にして席を同じくせず』って考えの持ち主だよなぁ」と思って 急きょ書斎に変更しました。
これはこれで良かったか?
リュオンも出てこない予定だったんですけどね・・・(遠い目)
まぁ、とりあえずはヴァレンタインっぽくなったので良しとしましょう(ぇ

up date 04.02.15




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