世界を救うのは正義のために戦う聖人君子、そう相場は決まっている。
けれど、世の中が面白いのは「不測の事態」があるからだ。
そう考えた神様は、やくざ者の聖使徒に力を与えましたとさ。




【VANNY the MAD PRIEST】




彼の名はバニラ。職業、聖使徒。ただし1時間前まで。
昨日の晩に神像の鼻の下に素敵な男爵ヒゲを描いたのが今朝発見され、追及を受けたのが1時間と10分前。軽い問答の末に除籍届を受け取ってもらったのが1時間前。したがって現在は無職まっしぐらである。
もともと聖使徒を辞めたかったバニラ(と、彼に手を焼かされていた大司教)にとっては万々歳な結果なのだが、何しろそれまではバニラを止めさせまいとする教会本部の圧力が強かった。おかげで追っ手がかかるんじゃないかという嫌な予感がひしひしとしていた。
教会は人手不足だ。そこらの聖使徒程度なら蹴散らせる自信はあるが、あまり出会いたいものでもない。
全財産が詰まった旅行鞄を手にぶらりぶらりとあてもなく街を歩き、時折立ち止まっては空を見上げる。
見事な群青に、タバコの煙のような雲。全く、ため息が出るほどいつも通りだ。
そう、何もかもがいつも通り。
だったら行く先もいつも通りでいいだろう。
(・・・・・・ま、行ってみるか)
神殿を追い出されてから1時間20分。バニラはようやく明確な目的を持って歩き出した。
何ともやる気なくずるずると鞄を引きずっていき、バニラは歩き慣れた道筋を辿った。裏路地の青果店を曲がった右、酒場兼宿屋の正面。色褪せた人魚の描かれた看板が軒先に揺れているひなびた建物。そこが目的地だ。
酒場に溜まっているごろつきの視線をものともせずに、バニラはその店――売春宿に足を踏み入れた。
迎えに出てきた恰幅のいいレディが大げさな身振りで驚いてみせる。
「あらまぁ、久しぶり!今日はずいぶんと早いじゃない。いいの?明るいうちから来ちゃって」
「いいんだよ、もう聖使徒辞めたから」
けろっとした口調でそう言うと、レディは目を丸くした。何事かまくしたてようとした彼女の前にバニラはさっと手を突き出す。
「元々辞めたかったんだよ。だからいーの。ペッパーは上か?」
「……彼ならいつもの部屋よ。ベルガモットと一緒」
「げ。真っ最中じゃねえだろうな?」
不満げに告げられた友人の所在に、バニラは思いきり顔をしかめた。ベルガモットは友人――ペッパーの情婦だ。他人のベッドの中を覗いて喜ぶ下衆ならいざ知らず、バニラとしてはできる限りそんな場面は避けたかった。その様子に溜飲を下げたのか、レディは不敵ににやりと笑う。
「保証はできないわ。ああ、いざとなったら呼び込みか用心棒として雇ったげるわよ」
「・・・・・・とりあえず遠慮しとく」
ひらひらと手を振り、バニラは二階へと続く階段を登っていった。ペンキの剥げた板が不平をもらすようにぎしりと軋む。
これで結構儲かってるようなのに、なぜ改修しないのかと思いながら「いつもの部屋」のドアをノックした。中から漏れ聞こえていた密やかな笑い声がやむ。
数拍置いて唐突にドアが開かれ、同時に襟首を掴まれて室内に引きずり込まれる。背後でドアが閉まる音がした。
「ってー・・・・・・」
「お前、尾行されてないだろうな?ただでさえ聖使徒は顔知られてんだ、気をつけろよ。ったく、何でこう、でっかい仕事した後に限って顔出すんだか」
確認と忠告と文句を一気に言い、バニラを部屋に引きずり込んだ男――ペッパーは油断なく周囲を警戒していた視線をバニラの上に落とした。
ブルーベリー色の髪と、赤いバンダナでほとんど見えない目元、隙のない身のこなし。4日で聖使徒を辞めてテロリストに転身したこの男こそ、バニラが最も信頼している友人だった。
バニラは乱暴に引きずり込まれたせいでひどく打ってしまった腰をさすりつつ言い返す。
「そっちの都合なんか知ったこっちゃねえよ。――『でっかい仕事』ってこたぁ、昨日の爆弾騒ぎの犯人はやっぱお前か」
「当たり前だ。あんな華麗に爆破できる奴ぁそういねぇぜ?」
「官憲が探してたぞ」
「ああ、だろうな。まあ目撃されるようなヘマぁ踏んでねえから平気だろ」
「何だその自信。ってーかここは安全なのかよ」
「安全よ。官憲が来たらママがブザー鳴らしてくれるし、抜け道だったらいくらでもあるし」
それにしてもあんたら仲良いわねえ、とベッドの上に寝そべっていたベルガモットが笑った。
どこが、と二人揃って言い返し、視線を交わしてぶすっと黙る。先に口を開いたのはペッパーだった。
「んで、今日は何の用だ?どうせロクでもねえ用事なんだろ?」
「ロクでもねえは余計だ。・・・・・・あー・・・・・・言いにくいな・・・・・・」
「さっさと言え」
「仕事と宿の斡旋してくんねえ?」
「はぁ?」
意を決して告げれば、案の定不愉快な声が聞き返してきた。
「仕事と宿?そんなん聖使徒やってりゃ事足りんだろーが。それともアレか、とうとう失職したのか?おめでとさん」
「ありがとよ」
嫌味たっぷりに言い返してみたものの、ペッパーが動じた様子はない。ベルガモットも笑いながらこちらを見ている。
ペッパーは備え付けの冷蔵庫から安酒の瓶を取り出し、直接口をつけて中身を飲み干してから口を開いた。
「宿はともかく、仕事はアレだな。お前だったら退魔師でいいんじゃねえ?」
「・・・・・・は」
今日の天気を語るのと同じ軽さで言ってのけたペッパーに、間抜けた声でバニラは応えた。
退魔師。それは聖使徒と聖騎士が合わさった職業であり、民間に最も尊崇される職業である。退魔師と名乗るのにかかる手間はごく少ない ――教会が行っている試験に合格し、証書を発行してもらうだけ――だが、本来なら聖使徒と聖騎士がペアになって行う仕事を一手に担う職なのだ、それなりの実力はいるし負担も大きい。
その上、国の上層部から機動命令が出たら問答無用で従わなければならない。仕事自体も命がけの、危険極まりないものである。
命がけだからこそ、尊崇される仕事なのだ。
「お前、そう簡単に言うんじゃねえよ。退魔師っつったって、んな簡単にできるもんじゃねえんだぞ?」
「でも、なりたかったんだろ?」
「う・・・・・・」
言葉に詰まったところで、階段を駆け上がる凄まじい音がした。何度かバキッと音がして、バニラはつい、階段は大丈夫だろうかと的外れな心配をしてしまう。
その足音は廊下を駆け抜け、バニラ達がいる部屋の前で止まった。
嫌な予感がする。
ギギィ、と軋みながらドアが開き、恨みがましい顔をした少女が顔を覗かせる。
「バーニーラー・・・・・・?」
「げっ」
とっさに逃げようとした努力も空しく、通常ならありえない間合いから伸びてきた剣が喉元を突く寸前でぴたりと止まる。
「あたしから逃げようってったって、そうはいかないわよ」
「ジンジャーちゃん、脅迫は犯罪」
「黙ってなさいテロリスト」
「上にばれたら退団ものだぞ・・・・・・」
「あたしは構わないわよ?長年の夢が叶う兆しはなくなっちゃったしね」
――顔は笑っているが、目は笑っていない。
バニラは手で顔を覆い、天を仰いで深々と息を吐いた。
「・・・・・・お前が根に持つタイプの奴だってこと、忘れてた」
「あら、私は根に持ってなんかないわよ?ただ、あんたがあたしに黙って聖使徒やめやがったことに対して怒り狂ってるだけ」
「どのみち怒ってんじゃん」
「それに値することをやらかしたって自覚ある?」
言われてバニラは押し黙った。自覚は、ある。ただ意識しないようにしていただけだ。
聖騎士団に所属しているジンジャーは、聖使徒になったバニラと組んで仕事することを長年の夢としていた。それを知った上でバニラは教会に喧嘩を売って除籍届を突き出したのだから、彼女が怒るのも当然である。
完全に言い負けた格好のバニラに、ペッパーの声が飛んでくる。
「いい幼馴染持ったな、バニィ」
「その名で呼ぶな」
半ば反射的にバニラは袂から札を出してペッパーに投げた。勢いよく飛んだそれは燃え上がって火の鳥になる。
「げっ」
危ういところで札の印を解いたペッパーは、凶悪な様相でバニラに掴みかかってきた。
「この野郎・・・・・・火の札は使うなっつってんだろーが!せっかくの爆弾に引火したらどうしてくれる!」
「爆弾より自分の命の心配をしろよ馬鹿。それに俺のことをあのふざけた名前で呼んだお前が悪い」
「馬鹿は両方でしょ」
ごっ、と鈍い音を立ててジンジャーの鉄拳が2人の頭に振り下ろされた。傾いだ背に降るベルガモットの笑い声。
「あんたら、本当に仲良いわねえ」
「・・・・・・ベル。この状況のどこをどう見れば、その結論に行き着くんだ?」
「喧嘩するほど仲が良い、ってのは昔から言われてることじゃない」
あんたらの場合は特にねえ――と、ベルガモットはさらに笑う。
確かにまあ、不仲だったら頼ろうなどとは思わないだろうが。
バニラは溜息を一つ落とし、殴られた箇所をさすりながら幼馴染に訊いてみた。
「で、何の用だ?」
「届け物」
言うが否や、なにやら長細い布包みが投げて寄越された。持ってみるとずしりと重い。
中身を悟ったバニラはにやりと笑った。
「ありがとよ」
「どういたしまして」
「何だあ?そりゃあ」
包みを解くバニラの横から、興味深げにペッパーが覗き込んでくる。バニラはごく簡潔に答えた。
「剣」
「剣ん?お前、なんでそんな」
「拾ったんだよ、ゴミ捨て場で。まだ使えそうだったから、こいつに手入れしてもらってた」
「ゴミ捨て場?」
「・・・・・・普通、そんなところに剣が捨ててあるものかしら?」
それまで話を聞くだけだったベルガモットが口を開いた。同感、とばかりにペッパーとジンジャーも頷く。
「普通はいらなくなったら武器屋に売るなり譲るなりするよな」
「なのに捨ててあるからには理由があるんじゃないの、ってあたしも言ったんですけど」
これですから、とジンジャーが示した幼馴染の失業者は、包みの下から現れた剣を前に嬉々として目を輝かせていた。
「いい仕上がりだ、ほれぼれするぜ。思ったとおり傷みも少ねえし、造りもしっかりしてるし」
「ジンジャーちゃん、こいつ武器バカ?」
「正確には刃物バカ」
「なるほどね・・・・・・」
小声で交わされる会話には気付かず、バニラはドアの横に置きっぱなしだった旅行鞄から木製の鞘を取り出した。ふわりと漂った香りにぴんときて、ジンジャーは口元をひきつらせながら彼に質す。
「バニラ、それ、もしかして・・・・・・香木?」
「そう」
「神殿で焚く?」
「ああ」
予想どおりの、しかも嬉々とした口調での答えにジンジャーは声を荒げた。
「普通に肯定するんじゃないわよ!なんでわざわざそんなもんで鞘を作るのよ!?」
「腐るほどあるんだからいいじゃねえか」
平然と言い放ったバニラに、ジンジャーは頭を抱えた。彼が今日まで聖使徒だったというのが信じられない。神に仕える者がこんな態度でいいのだろうか。
「つーかさ、香木ってそんなでかいもんじゃねえだろ?作ったのか。寄せ木細工?」
「ああ。革にするか迷ったんだけどさ、どうもこれ、金属じゃなさそうだし」
「・・・・・・そうなの?」
ペッパーがジンジャーに確認すると、彼女は「多分」と頷いた。
「触った感じは陶器に近いんだけど、砥石が負けるほど硬いのよね」
「砥石が?」
「そう。それで、炉で叩いてもらおうと思ったら、火にかけてるうちに欠けたのが直ってて」
「だから俺はこれを『ものすごく硬い陶器』と仮定した」
「木克土に火生土、ね・・・・・・」
ペッパーはかつて神殿で教わった五行の一節を呟いた。五大元素とされる水火金木土、そのうち木は土に勝ち、火は土を生むとされている。陶器の原料は土だから、土の刃を納める鞘を木製にするのは道理にかなっている、が。
「火にかけてるうちに直るなんて普通じゃないわよ。本当は何でできてるのか、確かめようとか思わないわけ?」
「いや別に」
あっさり返し、バニラは剣を鞘に収めた。寸分の狂いなくぴたりと収まったそれは、まるで初めからそうだったかのように見える。呆れたようにペッパーは溜息をつく。
「お前そういう才能もあるんじゃねえの?」
「必死に設計して作ったからな。それに、俺がここまでするのは、この剣だからだ」
「・・・・・・この剣だから?」
「んー・・・・・・」
自分を動かす衝動を、バニラ自身もうまく説明できないようだった。少しだけ鞘から抜いて刃を眺める。ジンジャーとペッパーもそれを見たが、特に変わった様子はない。
刃はすぐに再び収められた。
「うん・・・・・・やっぱり」
バニラの言葉はそこで途切れ、小さく息を呑んだベルガモットへと素早く視線が向けられた。彼女は窓の外を向いたまま蒼白な顔の口元を覆っている。立ち上がって窓を開けた途端に遠くで甲高い悲鳴が上がった。
「何だ!?」
慌ててペッパーとジンジャーも立ち上がり、ジンジャーはバニラの横へ、ペッパーはベルガモットを宥めるようにその肩を抱いた。
「ベル」
「外・・・・・・今、窓の外に・・・・・・」
竜だ、と叫ぶ声がした。
「竜・・・・・・!?」
「お前、見たのか」
がくがくと何度もベルガモットは頷いた。そして細い声で「人を掴んでたわ」と付け足す。
聞くなりバニラは身を翻し、旅行鞄から教典を掴み出してベルトに挟み、鞘に収めたばかりの剣を背負った。ジンジャーの肩を叩いて外を示す。
「行くぞ聖騎士」
「えっ、あ」
「ペッパー、小型の爆弾いくつか分けてくれないか」
「あ、ああ」
はっとしたようにペッパーは頷き、ウエストポーチを丸ごと投げてよこした。
「火のいらねえやつが入ってる。ピンを抜けばすぐ爆発するから」
「さんきゅ。お前らは神殿に避難しろ」
「ああ。こいつ置いたらすぐそっち行く」
「頼む」
頷きあってバニラは駆け出した。少し遅れてジンジャーの足音がついてきているのを確かめ、さらにその後ろでペッパーが売春婦たちに避難を促す声を聞いて足取りをいっそう確かなものにする。階段の手すりを滑り降りて一階に行くと、仲介のレディが飛び出してきた。
「バニラ、この騒ぎは」
「竜だ。あんたも逃げたほうがいい」
短く言って後ろを指差し、心配そうに顔を出している女たちを示す。覚悟したようにレディは頷いた。
「あんたたち、とっとと逃げるよ!荷物なんかより自分の命を心配しな!」
レディの声を背にバニラは再び走り出す。外に出ると街の混乱が目についた。竜は人波が向かう先と逆にいるだろうと見当をつけ、その方向へと通りを駆けた。すぐに乗り手を失くした馬を見つけ、手綱を取ろうとするとジンジャーの手に先を越された。
「あたしがやるわ」
有無を言わさずジンジャーは馬に飛び乗り、バニラはそのすぐ後ろに乗った。すかさず馬が走り出す。
「・・・・・・とんだ初陣になっちまったな」
少し乱れた呼吸を整えながらバニラは呟いた。昔からさんざん聞かされてきたジンジャーの夢。それがまさかこんな形で実現するとは思わなかった。
「俺、もう聖使徒じゃねえけど、それでもいいか?」
「・・・・・・一日遅れただけだから」
ぶっきらぼうにそう言って、ジンジャーはさらに馬を加速させた。焦げ茶の髪から覗いた耳が少しだけ赤くなっているのに気付き、バニラは一人でこっそり笑った。
(でも、からかうのは後回しだな)
今は目前の敵を倒すことだけ、そして誰も死なせないことだけを考えていなければならない。バニラは背に手を回し、剣の柄を握り締めた。この剣があるなら、自分は戦える。
これを拾ったゴミ捨て場は、普段入ることのない路地裏にあった。バニラがそこに足を踏み入れたのは、何かに引き止められたように感じたからだ。その「何か」がこの剣だということは、見つけた瞬間に理解した。
退魔師になりたかった。孤児として教会で育てられた身としては軽々しく聖使徒を辞めるわけにもいかず、かといって聖騎士になるには貧弱すぎた。ペッパーのように見切りをつけて転身する度胸もなく、「聖使徒の」バニラと組みたがっていたジンジャーには口が裂けても言えることではなかった。
それでも諦められなかった。
誰にも知られない場所で勉強に励み、剣の修行を積んでいたのは、戦う力が欲しかったからだ。
神殿で願うのはいつもたった一つ。けして神ではなく、「誰か」に祈っていた。
誰か、人でも物でも何でもいい。――俺に力を。
そしてこの剣を手に入れた。
この剣が何なのか知らない。なぜバニラを呼んだのかも知らない。だが、そんなことはどうでもよかった。この剣はバニラに力をもたらす。その事実だけで事足りた。
どんな相手とでも戦える。うぬぼれでも思い込みでもなく、その感覚がある。
誰も死なせはしない。
「ジニー、右に」
「ん」
陶器のような刃にほうっと光が灯る。
炎を秘めているかのような朱。
教会随一の問題児と呼ばれ、神の加護を拒否した唯一の聖使徒。
それでも、聖使徒になるための実技試験で最高成績を叩きだしたのは彼だった。
刀身に朱い模様が浮かぶ。
不死鳥の尾羽を表すそれは。
「聖導師の――……」
息を呑むジンジャーの目前でバニラの剣が閃いた。



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