目覚めて最初に見たものは、死者の国にしてはずいぶん陳腐な家の天井だった。 古びてやや黒ずんだ、木造の天井。状況が掴めず、ヘンゼルはしばしそこを眺めていた。 (どこだろ、ここ・・・・・・) 身じろぎすれば、着慣れない服と洗いたてのシーツが肌に触れた。どうやらあの後、誰かがここで看病してくれていたらしい。 (・・・・・・誰が?) この部屋には、ヘンゼルの他に誰かいる気配はない。頭を起こさずとも、雑音が一切ない静寂がそれを教えてくれる。 継母に撃たれて意識を失った後、自分はどうやって生き延びたのだろう? ここに連れてきてくれた誰かが助けてくれたのだろうか。 継母に殺されかけていた自分達を。 自分、「達」。 (・・・・・・グレーテルは!?) はっとして身を起こす。途端に腹部の傷が痛み、思わず呻いた。 「――――・・・・・・っ!」 撃たれた傷は相当深かったらしく、なかなか痛みが引いてくれない。ヘンゼルは痛みが去るのをじっと待ち、それから考えた。 (僕はどれだけ眠ってたんだ?) 一日や二日でないのは確かだ。傷の痛みから生々しさが薄れているし、細かな傷はほとんど癒えている。 その間、グレーテルはどうしていたのだろう。自分と同じように、この家のどこかで手当てされているのだろうか。 そうだとしたら、もう目覚めているのだろうか。それとも。 (死・・・・・・) 考えて、ぞっとした。 駄目だ。そんなことがあってはならない。 守らねば。 何か、武器を。 ヘンゼルは腰の辺りに手をやった。しかし、目指す感触がそこにない。慌てて反対側にも手をやるが、そちらにもやはり目当ての ものはない。 (嘘だ・・・・・・、短剣がない!) それどころか、金貨の欠片すらも見当たらないのだ。真新しい服のどこを探っても、短剣や金貨の手触りはない。看病してくれた誰かが 服を替えてくれた時、気付かず持っていってしまったのだろうか。 ――あんな重いものを? ふ、とそこに思い至った。 金貨の欠片はともかく、短剣は結構な重さがあった。それに気付かないなどということがあるのだろうか? もしも、とヘンゼルは思った。 (もしも、わざと持っていかれたんだったら・・・・・・) だったら、それは敵だ。 そう考えた時、ふいにドアの開く音がした。 「ああ、起きたのか。身の程知らず」 鮮やかに赤い髪の青年が無表情にヘンゼルを見ている。その冷たい印象は、まるで冥府からの使いのようだった。 彼は闇色のコートを翻し、威厳すら漂う足取りでヘンゼルのいるベッドのほうへと向かってくる。 「・・・・・・あなたは誰?」 聞いた途端、なぜか青年は眉根を寄せた。そして短く「ライ」と答える。 「妹はどこですか?」 「隣の部屋。連れが看病している。――お前の名は?」 「ヘンゼルといいます」 「そうか。それで?」 問われてヘンゼルは動きを止めた。それで?何と答えればいいのだろう。 ライは再び眉根を寄せた。 「呆けた顔してんじゃねぇ」 「あ、すいません」 何となく謝ってしまった。この青年にはどこか、他人を従わせる力のようなものがある。 「それで?・・・・・・お前は魔女リーゼに何か恨みでも買ったのか?」 ベッドの横に置いてあった古びた木の椅子に腰掛けつつ、ライは皮肉ったような声音で訊いてきた。 「魔女、リーゼ?」 初めて聞く名だ。いや、聞いたことはあるような気がするが、思い出せない。 「お前らを殺そうとしていた魔女。『西の魔女』リーゼだよ」 「あ・・・・・・!」 言われてようやく思い出した。『東の魔法使い』オズワルドと並び称される、北三国最高の魔術師。――そして残酷なことで有名な魔女。 そして、「お前らを殺そうとしていた」ということは。 「・・・・・・お継母さんが、リーゼ・・・・・・?」 「ハハ?あの魔女、結婚していたのか」 「・・・・・・実の母じゃありません。あのひとは継母で、僕らを森に捨てさせたひとです」 「ああ、お前らに生きていられたら不都合とでも思ったのか」 ライの台詞を聞いて、ヘンゼルの脳裏に継母の言葉が蘇った。 『あんたが生きてると困るのよ』 そう言って継母は引き金を引いたのだ。一片の曇りもない笑顔で、ためらいもなく。 何故。 何故、彼はそう気付いたのだ。 「どうして、分かったんですか」 問いかける声が震えた。ライに気付かれぬよう、布団の下で拳を握る。 それに気付いているのかいないのか、ライは至って平静に答えた。 「リーゼはザイン王家に加担している魔女だ。そしてお前の持っていた短剣にはザインの国章が付いていた。それだけあれば事足りる」 まさか、とヘンゼルは戦慄した。 短剣に、ザインの紋章が付いていた? リーゼが自分を邪魔に感じるということは、自分はザイン王家に何らかの関わりを持っているということか。 「俺は、お前がザイン国王の血を引いてるんじゃないかと睨んでいる」 その言葉で、箍が外れた。 全身から力が抜け落ちる。嘘だ、そんなの。 「そんなはず、ない・・・・・・」 ヘンゼルの呟きを、ライは黙って聞いている。 「僕の父さんは、そんなのじゃない・・・・・・!」 「それでも」 言って、ライはゆっくりと立ち上がった。 「お前が王家に関わりを持っているってのは、間違いのない事実だよ。血筋がどうであれ、な」 泣きそうに歪められたヘンゼルの目前に、ライの手が差し伸べられた。 「来い。そこでうじうじしている暇はない」 黄金の瞳が、鋭い視線が、ヘンゼルを射抜く。 迷いを吹き飛ばす。 そう。今はこんなところでうじうじしている場合ではない。やらねばならないことはたくさんある。 グレーテルと会うこと。現状を知ること。その上で今後の動き方を決めること。 彼は敵かもしれない。けれど、動かなければ始まらない。 「来い」 繰り返され、ヘンゼルは決意した。 目の前にあるライの手を取る。 「――はい」 ともかく、自分は動かねばならないのだ。悩むのはそれからでいい。 ヘンゼルはベッドから抜け出、深呼吸して歩き出した。 |
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