祝福の雪が降る。 多くの恋人たちはそういう目でこの雪を見るのだろう。けれど私にとってそれは、単なる極小の氷の結晶でしかなかった。 防寒着の隙間から入り込み、私の体温を奪っていくもの。 せめて寄り添う者がいればそんなものは気にならなかったのだろうが、あいにくと私は独り身だった。ぬくもりを持たないから自然と足は速まっていく。 真夜中だった。もはや店の明かりも消えていて、ロマンチックも何もあったものではない。 それでも雪明りだけを見ていれば、それなりに美しいといえないこともなかった。 吐く息が白く街灯に照らされる。 ――この街にいるのは自分だけ。 くだらない妄想だが、今のこの雰囲気に、その考えはひどく似合っているような気がした。音すらない夜。私の足音すら雪が吸い取っていってしまう。 ひどく静かだ。 その静寂を破るように、曲がり角から一人の子供が飛び出してくる。 (――え?) どうしてこんな時間に子供が? そんな疑問すら抱かせないほど速く、子供は私の目の前を駆けていった。 呆然と立ちすくむ私の前を、また子供が駆けていく。今度は正面から二人、色違いの夜着を着た姉妹が、最初の子供が向かったのと同じ方向へ。私の後ろからも。 まっさらな雪道に小さな足跡が増えていく。 (何が・・・・・・) 追われてでもいるかのような速さだった。頬も鼻も真っ赤にして、マフラーをたなびかせて。精一杯の防寒着を雪で濡らしながら。 また一人、子供が私の前を駆けていく。 その少年は期待に満ちた顔をしていた。 (知っているのだ) なぜか私はそう思う。 子供は、自分が走る先にあるものの楽しさを知っているのだ。 行ってみたい。 思った矢先、私のすぐ横で誰かが転ぶ音がした。 「おい!」 すぐさま身を翻して私はその子に手を差し伸べた。その子――そう、やはり子供だ――は小さく唸って顔を上げ、涙ぐんだ目を私に向けた。 「大丈夫かい?」 「足が・・・・・・」 少年はもごもごとそう言い、自らの足を顧みた。私は彼を抱え起こし、その足首に軽く触れてみる。少年は顔をしかめた。 「痛むか」 「うん・・・・・・」 おそらく捻挫したのだろう、と私は見当を付けた。骨は無事だとは思うが、無理はさせないほうがいい。 「送るよ。家はどこだい」 私が問うと少年は困ったように顔を伏せた。ああ、と思い至って質問を変える。 「どこに行きたいんだ?」 そう、この少年も走っていたのだ。どこかへ。――まだ見ぬものへの期待に目を輝かせて。 少年は通りの先をまっすぐに指し示す。 「あっち」 「あっち?」 「うん」 「そうか」 会話はそれだけで成り立った。私は少年を負ぶさり、彼が指差した方へと走り出す。 青白く光る道は子供たちの足跡がしるべとなって私を導く。迷うはずもなかった。私の耳元で少年が感嘆の声を上げる。 冷え切った体にもはや「寒い」などという概念はない。思う存分私は駆けた。容赦なく雪が降りかかる。 少年と触れている背だけが温かい。 「あっ!」 不意に少年が声を上げた。私も同時にそれに気付き、速度を落とす。 街灯の下に子供たちが集まっていた。黄色っぽい光に照らされて、喚声を上げるでもなく、期待にさざめいて輪をなしている。 色とりどりの夜着と真っ白い息。その中央には。 ――サンタクロース。 見慣れた赤い衣装でこそないものの、私は一見してそう思った。濃い紅のマントを羽織り、白い手袋をはめた銀髪の女性。優しい眼差しで子供たちを見つめ、一つ一つ丁寧にプレゼントを渡していく。 「お兄ちゃん」 私の背で少年が囁く。 「ありがと。もう大丈夫だから、下ろして」 「――ああ」 私は少年をそっと雪道に下ろした。ひょこひょこと足を引きずりながら、彼は子供たちの輪に加わっていった。 痛みを忘れるほどの期待――。 私にはもうできないことだった。ああも純粋な気持ちを持てない以上、私はあの輪の中には加われない。 成長しすぎてしまったから。 子供たちは女性からプレゼントを受け取り、嬉しそうに笑い合っては輪を離れてそれぞれの家へと戻っていく。その場でプレゼントを開ける子供がいないのは、何かそういう決まりでもあるからだろうか。 全ての感覚を奪うほどの寒さなど、今の彼らは知らないに違いない。 期待は熱だ。光を放って喜びに変わり、胸の内を熱くする。その熱が体を巡って子供たちの目を輝かせるのだ。 私は寒さに震えていた。 「お兄ちゃん、ありがとね」 ふと下を見ると、先ほどの少年が私の裾を引いていた。その脇にはしっかりとプレゼントの箱が抱えられている。私と目が合うと彼は笑った。 「足は大丈夫なのかい」 「うん。もうあんまり痛くない」 「そうか」 冷えているからそう感じるだけだろう、などとは言わなかった。わざわざそんな無粋な台詞を与えてやる必要はない。 気をつけろよ、とだけ言って私は少年の頭を撫でる。 「歩いて帰れるか?」 「うん。――じゃあね」 少年は小さく手を振り、はにかんだように笑って踵を返した。私も手を振り返してその背を見送る。足取りこそぎこちないものの、少年の背は凛と伸ばされていた。 すぐにその姿は雪に覆われてしまう。 私は振り返り、あの女性のほうを見た。輪をなしていた子供たちはもうほとんどおらず、残った数人がプレゼントを受け取っている。 最後の子供がいなくなると、この街にいるのは私たちだけになった。 ふっと女性が私を見る。そしてくすくすとおかしげに笑った。 「雪――」 「え?」 「積もっています。頭と肩に」 彼女のしなやかな指先が己の頭と肩を示す。言われて私は自分が雪にまみれていることに気付いた。さっと顔が赤らむのを自覚する。 ばたばたとそれを払い落としながら、照れ隠しに質問した。 「あなたは何のためにこんなことを?」 「兄の誕生日なんです」 彼女は笑った。 「お兄さんの――・・・・・・?」 「ええ。ですから私も、少し羽目を外してみたくなったのです」 「・・・・・・はあ」 判るような判らないような理屈だった。恐らく私は釈然としない顔をしていたのだろう、彼女は付け足す。 「私は普段、真面目すぎると言われているんですよ。ですから、こういう行事に乗じて何かをするということ自体、私にとっては珍しいことこの上ないのです」 それに、と彼女は微笑んだ。 「――私は子供が好きなんです」 それが嘘などでないことは、彼女の表情からそう知れた。 もし彼女が母親だったら、その子供は深い愛情を受けて育つのだろう。甘やかすのではなく、慈しむような愛で。 今日ここに来た子供は、その愛をひとかけら持ち帰ったのだ。 「幸せそうですね」 「幸せですよ」 彼女は言い切る。 「好きなものに触れることができれば、誰だって幸せになるでしょう」 心底幸せそうな笑みを浮かべ、ふと彼女は振り返って屈みこむ。そこに白い袋が置かれていたことに、私はその時初めて気付いた。 彼女はそこからプレゼントを一つ取り出した。 「どうぞ」 丁寧にラッピングされた箱を差し出され、私は戸惑った。首を横に振ろうとすると、彼女の言葉がそれをとどめる。 「あなたのものです」 「――俺の?」 「ええ」 勧められるままに私はその箱を受け取る。呆然とする私に、彼女は人差し指を立てて楽しげに忠告した。 「家に帰るまで開けないでくださいね。幸せが逃げてしまいますから」 「はあ――」 「Merry christmas and happy new year. あなたのこれからが幸せでありますよう」 ひときわ明るく彼女は笑い、袋を担いで踵を返す。 その後ろ姿は――紛うことなきサンタクロースのそれだった。 雪の降りしきる街に一人、私はプレゼントを持ったまま取り残される。 しばしそうして立ち尽くし、頭を一つ振って私は家路を辿り始めた。子供たちの足跡が消える前に。 そろりと玄関のドアを開け、私は音を立てないようにして自室を目指す。 この静寂を破りたくなかった。街の眠りを妨げたくなかった。 音を立てたら私は目覚めて、全ては夢になってしまうような気がした。 冷え切ったドアノブを回して部屋に入り、雪の積もったコートを脱いでベッドサイドに腰掛ける。私の手の中にはあのプレゼントボックスがあった。 年甲斐もなく胸を躍らせている自分に気付き、小さく苦笑する。 しゅ、と赤いリボンをほどいて箱の蓋を持ち上げた。 ――「the SEVEN TOOL of HAPPINESS」 真っ先に私の目に飛び込んできたのはその文字だった。独特の書体でそう記されたラベルが広口瓶の腹に貼ってある。 「幸福の七つ道具」。 私が瓶を手に取ると、中身がからりと音を立てた。シールの封を破ってコルクを抜く。 中に入っていたのは――色とりどりの飴だった。 (成人した男に贈るものじゃないだろう・・・・・・) 彼女は何を考えていたのだか、と私は瓶をくるりと回した。ラベルの反対側に説明書きのようなものが付いている。 taste of shine.(光味) taste of sky.(空味) taste of forest.(森味) taste of night.(夜味) およそ想像のつかない味が7つ並んでいた。味ごとに色が違うらしいが、私は気にせず一つつまんで窓にかざした。 星型をしたその飴は、雪明りに照らされてたんぽぽ色に輝いた。 口に放り込むと、脳裏で光がはじける幻に包まれる。 ――光味。 『あなたのこれからが幸せでありますよう』 彼女の声が、私の耳に蘇った。 fin. クリスマスの原形は冬至の祭りだそうです。冬至は昼が最も短い日、その日を境に昼が延び始めます。 すなわちクリスマス=太陽の復活を祝う祭りなのです。ということで、「彼女」とその兄の正体はお分かりですね?(笑) 幸福の七つ道具はいつか書きたいと思っていたネタです。他でも登場するかもしれません。 そして肝心の「私」は誰かというと、現在未発表作品の主人公なのです。いずれHTMLファイルに直してUPしますので、しばしお待ちを。 それでは皆さん、Merry christmas and happy new year. up date 05.12.25. |
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