倉持新は、ある人物を待っていた。
場所は体育館裏。手にはノートの切れ端とおぼしき紙が握られている。
『放課後5時、体育館裏に来て下さい K』
そこに書かれた文面は実に簡潔だった。必要最低限のことだけが几帳面な字で書かれている。
時刻と場所、差出人のイニシャルらしきアルファベット。
(K、ねえ・・・・・・)
新を呼び出しそうな人物でKの付く者に心当たりはない。「K」と言われてぱっと思いつくのは夏目漱石の「こころ」くらいだ。
しかし、本の中の人物が新を呼び出すわけもなく。
K。苗字だろうか、名前だろうか。
倉持新――これは自分だ。
桂木秋介――D組の担任。
山之辺健――霧島慶陽の友人。
(ん?)
ふと新はひっかかりを覚えた。K。カキクケコ、が頭に付く者。

Kirishima Keiyou

(・・・、・・・・・・まさか)
彼が自分を呼び出すなど、しようはずもない。彼なら教室で堂々と用件を告げていくだろう。
(でも、体育館裏に呼び出しって)
よくあるパターンでいくならば、用件は2通り。――リンチか告白、だ。
(うえっ・・・・・・)
どちらにしろ、相手が「あの」霧島では厄介極まりない結果になりそうだ。何しろ彼は「生きた伝説」と呼ばれるほどの男なのだから。
(どうか違っていますように)

不意に腕時計のアラームが5時を告げる。

同時に現れたのは、
「悪い。待たせた」
赤茶色の髪、均整のとれた体躯。
霧島慶陽。
――予感的中。
「倉持?どうかしたか」
「なんでもないわ・・・・・・」
深々と息を吸って、飛びかけた意識を掴み戻す。落ち着け、落ち着きなさい自分。何が何でも落ち着かないと。
「それで、用は何?」
「ああ」
慶陽は制服のポケットに手を突っ込み、ノートの切れ端を取り出した。
新が持っている手紙と同じ切れ端だ。
「ほい」
「・・・・・・何?」
差し出されたそれを受け取り、新は丁寧に折りたたまれた紙を開く。
そこには簡潔な地図が描かれていた。真ん中からやや外れた辺りに、赤いボールペンで星印が付いている。右端には日付と時刻。
かしかしと頭を掻きながら慶陽が口を開く。
「今度の土曜、その時間に、暇ならそこに来てくんねぇ?相談してぇことがあるんだ」
「相談?」
「うん。まあ、要するに、――急須と鍋とペットボトルについて
「絶ッッッッッ対に行くわ」
「ありがてぇ」
やたら力強く答えた新に疑問を抱いた様子もなく、慶陽は心底助かったという風に礼を述べた。
「こんなん教室じゃ言えねぇし、どうすっかって迷ってたんだ」
「・・・・・・気持ちは分かるわ」
「地図だけ渡しといても良かったんだけどさ、いくらなんでもそれじゃ不安だろ」
「まあね」
「そういうわけで、呼び出させてもらった。あ、当日は奴ら連れてこないほうがいいぞ」
「当然」
「ならいい。じゃ、それだけだ」
気ィ付けて帰れよ、と言い残し、慶陽はひらひらと手を振って去っていった。
(・・・・・・でも)
少ししてから新は気付いた。慶陽は「急須と鍋とペットボトルについて」と言っていたけれど。
(何で知ってるの?)
新は彼らのことを口外したことなどないし、慶陽が彼らのことを知る機会はないはずだ。
何故?




そして、謎は解けぬまま現在に至る。
慶陽が指定してきた場所は、大通りの片隅にひっそりと佇む喫茶店だった。
薄暗い照明と飴色のテーブルとが、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。店内に新以外の客は見当たらない。
カウンターの向こうでは、店主とおぼしき男性がグラスを拭いている。
隅の席に腰を下ろした新は、始終緊張しっぱなしだった。
目の前に置かれたコーヒーは、インスタントに慣れた舌には高級すぎて、とてもがぶ飲みする気にはなれない。
こんな店、一介の高校生が来るには不相応すぎる。
カラン、とベルを鳴らして慶陽が店に入ってきた。白いシャツにジーンズ、麻のナップザック。やたらとラフな格好だ。
店主が視線だけ上げて慶陽を見る。
「武骨者め。女性を待たせるような真似をするんじゃない」
「うっせぇ。これで時間通りだよ」
途端に新の腕時計がアラームを鳴り響かせる。文字盤の針は9時を示していた。約束の時間だ。
店主は不満げに肩をすくめ、「注文は?」と無愛想に言葉を投げる。
「いつもの。ああ、今日はホットで」
「了解」
それだけの言葉を投げ交わし、慶陽はぶらりと新の座る席の前にやってきた。
「よう」
片手を上げて挨拶する彼にただ頷き、新は軽く身じろぎした。新の向かいに慶陽が腰を下ろす。――何だかひどく落ち着かない。
「さっそく始めよう」
慶陽はそう口火を切った。ごそ、と傍らのナップザックから何かを取り出してテーブルに置く。
渋い緑色の、巻物。
「・・・・・・何これ?」
「霧島家に代々伝わる巻物だとさ」
運ばれてきたお冷やに口をつけながら慶陽は言った。片手で器用に巻物の帯を解き、中の一文を新に示す。
『我らが一族の者、陰陽寮の士に囚われる』
筆書きと旧仮名遣いのせいでかなり読みにくいが、どうやらそのようなことが書かれているらしい。
「これが書かれたのは平安時代。とある四人の妖怪が陰陽師に捕らえられて封印された、って書かれてる」
「ふうん・・・・・・?」
何だか、どことなく聞き覚えのある内容だ。
陰陽師に捕らえられて封印された四人の妖怪。
「しばらくして、そいつらが妖怪だってのは間違いだったってことが判った。でも封印された時点でそいつらは人間じゃないモノに変化 してて、もとに戻すことができない。その上、人間じゃなくなっちまったそいつらは、いつ正気を失うか分からない。それで、 そいつらの親戚に当たる陰陽師が管理を任された。神薙草庵って奴だ」
「神薙・・・・・・!?」
そこでようやく新は気付いた。四人の妖怪とはつまり、新のアパートに居座る魔人一家+αのことなのだ。
そういえば彼らは「陰陽寮の奴らに妖怪と間違われて封印された」と言っていなかったか。
間違いだと分かっているならなぜ魔人であり続けるのか、新は常々疑問に思っていた。そういうことだったのか。
しかし。
「あいつら、私の親戚だったの・・・・・・!?」
新は頭を抱えた。「神薙」の姓は新の祖母の代で途絶えてしまったが、その血が新の中にも流れていることは間違いない。
「先祖の親戚だから、めちゃくちゃ遠い関係だけどな」
ず、と慶陽はお冷やのグラスを傾けた。中の氷が軽やかな音を立てる。
「んで、その魔人たちの名前はそれぞれ『不破義臣』『不破祐ノ輔』『不破獅子丸』『三条初音』。草庵の親戚筋に当たるのは『不破』 のほうで、この初音ってのは義臣の妻なんだとさ」
「へえ・・・・・・例のカカア天下、そんな名前だったの・・・・・・」
「カカア天下、か・・・・・・」
何故かそこで慶陽は視線を逸らした。心持ち顔色も悪くなったようだ。
まさか、と新は直感した。新のアパートには現在、義臣・祐ノ輔・獅子丸の三人が居座っている。
そこに欠けているのはただ一人。
「まさか・・・・・・霧島くん、その『初音』って人・・・・・・」
「いるんだ」
椅子の背に寄りかかり、慶陽は片手で顔を覆った。深々と溜息をつく。反対側の手でナップザックを示した。
「そこに、今、入ってる」
「!!!!!!」
声にならない悲鳴を上げ、新は思わずナップザックとの距離を広げた。
義臣の妻にして獅子丸の母。それだけで恐れるには十分だというのに。
「・・・・・・見るか?」
「遠慮するわ」
「それが賢明だ」
慶陽は頷き、テーブルの上に広げっぱなしだった巻物をナップザックにしまった。やたら厳重にしまいこんだのは、気のせいではあるまい。
「ちなみに、入れ物は?」
「花瓶。蓋の代わりに柊がしこたま詰められてる」
「ふうん・・・・・・」
急須と鍋とペットボトル、そして花瓶。入れ物の馬鹿馬鹿しさは同程度らしい。
「で、どうして霧島くんが?」
体育館裏で地図を渡された時から気になっていることを訊いてみると、慶陽は逆に目を丸くした。知らないのか、とでも言うように。
「お前、神薙について聞いてないのか?」
「・・・・・・うん」
新が知っていることと言えば、代々魔人たちを管理し、封印し直してきた家系だということくらいだ。しかもそれは両親や祖母からでは なく、義臣の口から聞いた事実であったりする。
慶陽は折り良く運ばれてきたコーヒーを受け取り、ゆっくりと一口飲んでカップをソーサーの上に置く。
「念のため持ってきといて助かったな」
呟き、慶陽はナップザックから別の巻物を取り出した。そのタイトルに当たる部分には「神薙家系譜図」とある。
家系図?
「神薙ってのは、奈良と平安の境目あたりに成立した家系だ。平安時代は約400年。さっきの巻物は平安後期のもんだから、その時代には すでに『神薙』に並んで『不破』の姓があったってことになる。つまり、この辺で神薙には分家が発生してるんだな」
「分かりにくいわ」
「そうでもないさ。重要なのは神薙には分家があるってことだけだから」
そう言われてしまえばかなり分かりやすくなる。
「神薙五分家、って呼ばれててな。中心はもちろん神薙だ。これの他に四つ、神薙を基にした家がある。
一つは不破。これはさっきも言ったな。んで、柳川、在原、――霧島。
これが神薙五分家だ」
「え」
新は思わず動きを止めた。自分は、宗家に当たる神薙の血を引いている。
そして、彼の姓は霧島で。
「・・・・・・親戚、なの?でも、血筋自体は平安時代に分かれたきりだから、だいぶ薄まって・・・・・・」
ねぇよ。お前んちの母親と俺んちの母親、姉妹なんだとさ」
「近っ!?」
母親同士が姉妹なら、それは立派に親戚だ。半分は同じ家系の血が流れているということになる。
「ついでに言うなら、お前のばあちゃんが『神薙』姓だろ?でもそりゃあ嫁入りで改姓しただけで、もともと『神薙』姓だったのは 死んだじいちゃんのほう。ばあちゃんの旧姓は『不破』のはずだぜ。系図でそうなってるからな。 だからお前は魔人たちの親戚でもあるってわけだ」
「いやぁぁぁぁああああ!!!」
店の中だということも忘れて新は絶叫した。髪を振り乱して叫ぶ新を店主が驚愕の眼差しで見ているが、新は全く気付かない。
「もっとも、当時の姓が残ってるのはもう在原と霧島だけだ。『不破』姓はだいぶ前に婚姻で途切れてるし、『神薙』は知っての通り。 『柳川』も残ってるっちゃ残ってるが、一人娘が何年か前に失踪したきりだからな、途切れるのは時間の問題だ。 そういうわけもあって、今は霧島が宗家の代わりを務めてる」
コーヒーを飲みつつ慶陽は淡々と説明した。直系の新より事情に詳しいのは、そういう理由かららしい。
「んで、そろそろ本題に入りたいんだけどよ・・・・・・大丈夫か?」
心配そうに顔を覗きこんできた慶陽に、新は右手の親指を立てて応えた。叫びすぎて喉が痛かったので、まだ残っていたお冷やを飲み干す。
「――大丈夫よ」
「なら、いいんだけどよ」


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