モノトーンのざわめきの中、鯨幕が揺れている。 白と黒の縞模様。焼香の匂いと、弔問者。 見知らぬ人々がたむろしている。死者を弔うためにか、それとも別の目的があるのか。 門前に立てかけられた看板には、誰のものか知れない達筆な字で「真柴家葬儀」と書かれていた。 死んだのは、母だ。 喪服姿の創は曇った空を眺めていた。 母親が死んだというのに涙の一つも流さない創は、やはり恩知らずと罵られる立場にあるのだろうか。 下界の動向など知ったことではないはずの空のほうが、よほど涙を流しそうな様子だ。 先程、見知らぬ人々のうちの一人が創を見ていた。何か言いたそうに。 彼女は何を言いたかったのだろう、とぼんやり思った。 創の少し後ろで、弔問客2人が話を交わしている。 「人が死ぬのなんてあっけないもんねえ。綾子さん、転落死ですって?」 「そうらしいわ。でもね、知ってる?お葬式の席でこんなこと言うのも何だけど・・・・・・それ、息子さんが突き落としたんだって噂があるのよ」 「ええ!?・・・・・・ああ、でも、案外そうかもしれないわねえ。綾子さんアルコール中毒だったんでしょう?虐待とか、ひどかったって聞いたもの」 「それで耐え切れなくなって突き落とした、か。・・・・・・あ」 どうやら片方が創に気付いたらしく会話は止まり、そそくさと足音だけが遠ざかっていった。 自分が殺したのではないかという噂を耳にしておきながら、創は否定する気もないまま空を見続けている。 虐待は、本当だ。 母には何度もぶたれたし、蹴られた。ひどい時には椅子で殴りつけられた。それでも出て行かなかったのは、 自分がいなければ母がやっていけないことを知っていたからだ。 暴力をふるい死ね消えろと暴言を吐くくせに、本当に自分がいなくなれば母は我を忘れて狼狽した。――そして、 創が戻るとこれまでのふるまいなど嘘のように、「母」の顔を見せるのだ。 その記憶があったから、創は母を嫌いきれずにいた。 母が死んだ理由は――・・・・・・ 「彼はどうなってしまうんだろう」 ぽつりと創は呟いた。 彼は母に存在意義を求めていた。彼自身は認めないだろうが、結果は同じだ。皮肉なことに。 そして――・・・・・・その存在意義は、失われてしまったのだ。 彼はどうするつもりなのだろう。いなくなってしまうのだろうか? それとも。 何かとても嫌な予感がする。 ――そして舞台は、3年後に移る。 【鬼を飼う者】 「KEEP OUT」の黄色いテープが張り巡らされた中で、三堂 遼は苛々と歩き回っていた。 すぐ横にはシートを被せられた――死体。 これで5人目だ。奴の犠牲にされたのは。 最初の事件が起きたのは3年前、前任者の定年退職によって自分が担当を任されてからも、すでに半年が経とうとしている。 これだけの年月を費やし、これだけの犠牲者が出ていて、未だに何の成果も上がっていないとは。 あいつは――何をしている。 どやしつけてやろうと携帯電話を取り出しかけたところで、三堂の待ち人がテープの結界の中に駆け込んできた。 よほど急いで来たのだろう、まだ幼さの残る顔が真っ赤に上気している。 「警部、鑑識から検死結果聞いてきました!」 「遅い!」 「うわ、そう怒鳴らないでくださいよ。僕だってサボってたわけじゃないんですから」 言いつつ三堂の部下――青木 秀彦は口を尖らせた。年齢は三堂とそう変わらない――2つ下というだけなのに、言動がいちいち子供っぽい。 三堂は呆れたように溜息をついて報告を促した。 「それで、結果は」 青木は警察手帳を開き、そこに書き付けてある事柄を一つ一つ読み上げていった。 「被害者は柏葉 淳子、21歳」 「身元はもう知っている」 「あ、そうですか。じゃあ死因を。遺体を見て判るとおり、まあ絞殺です。素手で被害者の喉を締め上げて、こう、ひと息に。 絞殺の跡の手形も、これまでのものと一致したそうです。・・・・・・決定ですね」 「ああ」 苦々しげに三堂は相槌を打った。無差別連続絞殺事件、5人目の被害者。またメディアに騒がれることだろう。 「被害者の共通点も相変わらずだしな」 「共通点?・・・・・・確か、素行があまり良くないことと、夜遊びの多さ。それに」 青木は遺体にかけられたシートを無造作にめくった。 「黒い服・・・・・・ですか。ん?」 ふいに青木は眉をひそめた。死体の上に身を屈め、匂いをかぎ回る。 「何をしているんだ馬鹿。犬の真似か?みっともない真似をするんじゃない」 「え?あ、はい。・・・・・・すいません」 青木は何に納得がいかないのか首を傾げつつ、今度は三堂の匂いをかぐ。 すかさず三堂の拳が飛んだ。 「馬鹿者。やめろと言っているだろう」 「・・・・・・すいません」 青木は頭を下げ、ふと思いついたように再び死体の横に屈みこんだ。 何をする気だろうかと見つめる三堂の横で目を閉じ――合掌した。 弔い、――いや。懺悔だ。 3年もの年月を費やしておきながら、被害者をみすみす死なせてしまったことへの。 犯人逮捕はおろか、有力な手がかりすら挙げられていない自分たちの、なんと無力なことか。 ――今度の被害者は、自分たちのせいで死んだようなものだ。 「この犯人・・・・・・――絶対に捕まえてやる。絶対に!」 *** 「先生、またそんな絵を描いてるんですか」 小さな丸テーブルの上にティーセットを並べながら、古森 真珠は苦笑した。 彼女の敬愛する「画家先生」はイーゼルの前に座り、一心にキャンバスへと向かっている。真珠の声など聞こえていないようだった。 「先生」 真珠が肩を叩いて初めて、彼――真柴 創は顔を上げた。 「お茶の用意ができましたよ。ここらで一休みしといてください」 「ああ・・・・・・そうか。ありがとう」 にこりと柔らかな笑顔を浮かべて筆を置き、創は丸テーブルの方へと移動した。真珠に差し出されたティーカップをありがたく受け取る。 そこで彼はテーブルの上に置かれた新聞の存在に気付いた。 「『無差別連続絞殺事件、5人目の被害者』・・・・・・?」 一面記事には、そう白抜きの文字が躍っていた。新聞を広げると、ああそれですか、と真珠が反応する。 「怖いですよね、無差別だなんて。しかも3年も前から捜査していて、まだ犯人が逮捕されていないんだそうですよ。警察は何をやっているんでしょうね」 「古森君、そういう言い方はやめなさい。彼らだって遊んでいるわけじゃない。証拠がなければ動きようがないんだ」 厳しい口調で戒められ、真珠は叱られた子供のように肩を竦めた。 「すいません、そういうつもりじゃ・・・・・・」 気まずい沈黙と新聞をめくる音。 真珠は話題を変え、先程まで創が向かっていたキャンバスを指差した。 「あの絵、今度はどんな風になるんですか?」 創は紙面を追う目を上げ、困ったような顔をした。 「どうだろう・・・・・・僕にも解らない。ただ、明るい絵にならないのは確かだ」 「・・・・・・でしょうね」 丸テーブルに頬杖をつき、真珠はイーゼルに立てかけられたキャンバスを眺めた。 そこに描かれているのは、下から伸びる無数の手に服を掴まれ、涙を流す聖母マリア。背景は塗りつぶされている。 下書きの段階からこれでは、どう頑張っても明るい絵にはならないだろう。 創が普段描くのは主に静物画や風景画なのだが、ときたま思い出したようにこういう暗い絵を描いた。彼が何を思ってそんな絵を描くのか、 真珠は知らない。けれど、そこから何か祈りめいたものを感じ取ってはいた。 祈り――贖罪? 分からない。 「宗教画をお描きになったらどうです」 思いついたように口にしてみると、創は首を横に振って否定した。 「僕はそんなものを描いて許される人間じゃない」 「どうしてです?先生の絵は綺麗です。悪い人にそんな絵は描けません!」 断言した真珠に、静かな、哀しげな口調で創は返した。 「僕の中には鬼がいるんだ」 「おに・・・・・・ですか?」 「そう、鬼だ。そいつが僕の中にいる限り、僕は綺麗な絵なんて描けないだろうね」 「でも、先生の描く絵は綺麗です」 不満げに真珠は繰り返す。創は空になったティーカップを置いて立ち上がり、真珠の頭を優しく叩いた。 「ありがとう。でも、そういう綺麗さじゃないんだ。僕が描きたいのは」 「描きたいのは――・・・・・・?」 創はイーゼルの前に腰を下ろし、筆をとった。 「人が救われる絵さ」 *** 「警部!」 「何だやかましい」 「そんなこと言わないで聞いてくださいよ。僕は朝一番に署に行ったのに、警部はもう現場に行ってるって言われて、急いで追いかけてきたんですよ?」 「何で」 「科捜研からの最新情報をお伝えに。――手がかり、出たそうです」 その一言で三堂は足を止めた。くるりと振り返り、青木をただす。 「だったら何で連絡をよこさないんだ」 「連絡しろって言ったって、警部は電話嫌いですし、メールだってほとんど使わないじゃないですか。第一僕はメールアドレスを教わってないです」 「ああ、そうだったな。――後で教える」 そう言った途端、青木はものすごく嬉しそうにガッツポーズした。何がそんなに嬉しいのか、傍目には単なる不審者である。 三堂は思わず半歩引いた。 「・・・・・・それで、手がかりが出たというのは本当か」 「僕は嘘を言わないとご先祖様に誓った身です」 何だかまだ嬉しそうである。本当に、何がそんなに嬉しかったのだろう。 しかし、三堂はとにかくその手がかりとやらが知りたい。 「ああそうか。それで」 先を促すと、青木はなぜか寂しそうな顔をした。一体何なのだろうか。 それでも素直に警察手帳を開き、いつものように、そこに書かれた事柄を読み上げる。 「被害者の首に付いていた手形の辺りから、絵の具油が検出されたそうです。犯人の掌に付着していたものと思われます。 メーカーも特定されましたので、今は購入時期を絞り込んでます」 「ほう」 「あの時、僕が死体の周りでかいだ匂いはこれだったんです。酒の匂いに混じって、何となく石油系の匂いがしました」 「ああ、検死結果を聞いた時か。・・・・・・しかし、絵の具油ということは」 「犯人は絵描きか、それに近い職業の者でしょうね。絵の具油なんて、他の目的で使うような物でもないですし。 犯人の出没区域もだいぶ限られてますから、この近辺に関わりの深い絵描きを洗い出せば・・・・・・」 「そうだな。・・・・・・それにしても引っかかる」 「?何がです」 青木は首を傾げ、三堂に訊ねた。 「引っかかることなんて何もないでしょう。5件目に至ってようやく、犯人に気の緩みが出たってだけで」 「違う」 三堂ははっきりと否定した。違う。これは、そんな単純なことではない。 「犯人はこれまで、証拠らしい証拠を何一つ残していない。だからこそこんなに長引いた。そうだろう?」 「ああ・・・・・・そういうことですか。それが今回に限って、こんな直接的な証拠を残しているからおかしいと、警部はそう言いたいわけですね」 「そうだ。指紋も残さず、目撃証言もまるで残していない犯人が、なぜ今回に限って証拠を残す?それも、こんなに限定されやすい証拠を」 「捜査のかく乱・・・・・・ですかね?」 「いや。・・・・・・だが、まさか・・・・・・」 それっきり三堂は黙ってしまった。しきりに何か考えているらしいが、こらえきれなくなって青木は質す。 「何だって言うんですか、警部。何か知ってるなら僕にも教えてくださいよ!」 三堂は軽く驚いたように顔を上げ、それから「分かった」というように頷いてみせた。 「・・・・・・署の、私の机の中に画集がある。それを見れば分かるだろう」 そう言って三堂は歩き出した。その足取りは徐々に早くなっていく。 思い出したように、彼女は後を追う青木の頭に手を伸ばした。 「よくやった」 女性らしからぬ、乱暴な撫で方。いかにも彼女らしい。 照れたように青木は三堂に撫でられた辺りに触れ、僅かに顔を赤くした。 「待ってくださいよ警部!」 呼ぶ声は、心なしか嬉しそうだった。 「これだ」 ばさ、と机上に広げられた画集には、物静かな印象のある絵が収録されていた。どこかの公園の絵。花瓶に生けられたすずらんの絵。 青木のような素人の目にも、その腕の良さははっきりと見て取れる。惹きつけられるのだ。 だがその中に、ふいに異様な絵が現れた。 「うわ・・・・・・」 青木は思わず声を洩らした。テーブルの上に置かれた血まみれの花束。白い花々に囲まれた中から手が突き出ている。 全体的に荒っぽい描き方をしている中、その手だけがやたらと丁寧に描かれていて――妄執を感じさせた。 「それが最初の『祈り』だ。同じタイトルのものが他に3枚ある」 三堂は青木の手から写真の束を取り、手早くその3枚を抜き出して並べた。 暗い洞窟の中、湖の中央で真っ赤な口を開いて笑う悪魔。 指先に青い炎を灯した血まみれの手。 極めつけは――真っ赤に塗りつぶされた背景に、無数の黒い手形が付けられた絵。 「何なんですか、これ・・・・・・!さっきの絵を描いたのと同じ人なんですか!?」 「ああ。この画家、基本は風景画と静物画なんだが、・・・・・・たまにこういう絵が混ざる。しかも」 三堂は絵の説明文を指先で叩いて示した。タイトル。画材。サイズ。その下だ。 「製作時期を見ろ。思い当たることはないか」 「・・・・・・!」 青木は愕然とした。 4枚が4枚とも、無差別連続絞殺事件の発生した直後になっている。 「そんな、・・・・・・警部、何で今まで黙ってたんです!」 「被害者の死を悼む絵だと思っていたんだ」 悔しそうに言う三堂に、青木は口をつぐんだ。確かに、今度の手がかりがなければイコールで結ぼうとは思わないだろう。 自分が三堂の立場だったとしても、きっと彼女と同じ判断を下す。 「・・・・・・すみません。失礼しました」 「構わん。――その画家、真柴 創というんだが、一応は調べてあるんだ。私が以前、犯人の出没区域を地図に書いたのを覚えているか?」 「ああ、はい、あれですね。事件の発生現場にそれぞれ点をつけて、それを囲むみたいに円を描いたやつ」 「そう、それだ。――真柴の家は、その円のほぼ中央にある」 三堂は重い溜息をつき、指先で目頭を押さえた。 「・・・・・・決定、か・・・・・・?」 「うーん・・・・・・その真柴とやらが殺害の動機を持っていれば確定なんですけどね。でも、今回の事件に金銭トラブルだの痴情のもつれだの、 そういうものが絡んでいるとも思えませんし。――でもまあ、話を聞いてみる価値はあるんじゃないでしょうか?」 「・・・・・・そうだな」 開かれっぱなしだった画集を閉じて引き出しにしまい、三堂はゆっくりと立ち上がった。 「行くぞ青木。――事情聴取だ」 *** 相変わらず創は絵を描き続けている。 何が彼をそんなに駆り立てているのだろう、ほとんど休みも取らずに筆を動かし続けている。下描きはすでに終わり、着彩へと移っていた。 暗い青で描かれた下描きの線の中に、聖母の白い肌が浮かぶ。 静かである。 かたん、とドアポストに夕刊が放り込まれる音がした。 「あら」 それまで暇を持て余していた真珠は腰を上げ、それを取った。何となく目を通してみると、一面記事の文字が目に留まった。 「あ・・・・・・『無差別連続殺人事件、初の手がかり』?」 創の手が止まった。が、真珠は気付かず独り言を続ける。 「『被害者の遺体から油彩用の絵の具油が検出され』?・・・・・・やだ、絵に関係してる人が犯人ってこと?無差別殺人犯が絵描きだなんて」 「あれは無差別なんかじゃない」 真珠の台詞を遮るように、創の声が飛んできた。 「被害者には共通点があるんだ。警察は気付いているかどうか判らないけれど」 「先生・・・・・・?何でそんなこと」 問い詰めようとした矢先、玄関の呼び鈴が鳴らされた。 創を気にしながらも真珠は立ち上がり、ドアを開けて応対する。 客は男女の二人組だ。女性の方が一歩前にいて、意志の強そうな目で真珠を見返している。 「どちら様ですか?」 す、と真珠の目前に何かが掲げられた。黒い革の手帳。桜の紋所が付いたそれは。 「警察です」 警察手帳を掲げたまま、ごく短く三堂が答えた。動揺し、真珠は軽くドアから身を離す。 「・・・・・・何を」 「真柴さんにお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」 「・・・・・・分かりました。どうぞお入り下さい」 真珠はドアを開け、二人を中に招き入れた。 いつの間にか創は立ち上がっている。イーゼルの横に立ったまま、創は二人の刑事に頭を下げた。 「どうぞ」 椅子を勧められ、二人はそれぞれ腰を下ろした。 三堂の座った位置からは、イーゼルに置かれた絵が良く見えた。 下から伸びる無数の手に服を掴まれ、涙を流す聖母マリア。肌だけが彩色されて白く浮かび上がっている。 ――5枚目の、『祈り』か。 作業台の上に目を走らせれば、遺体から検出されたものと同じメーカーの絵の具油が置かれていた。 室内には油彩絵の具の匂いが満ちている。 『祈り』から発される匂い。 「古森君、きみも座りなさい」 「え?・・・・・・はい」 創に促され、緑茶を持ってきた真珠は湯呑みを置き終えると席に着いた。それをきっかけに三堂は身分を名乗った。 「初めまして。私は池袋署の者で、三堂と申します。こちらは部下の青木」 「初めまして」 やや緊張ぎみに青木が頭を下げる。 「真柴と申します。こちらは家事手伝い兼弟子の古森」 「どうも初めまして」 「それで、お話とは一体?」 三堂は鞄からファイルを、さらにその中から写真を一枚取り出し、テーブルの上に置いた。 派手な服を着た女性だ。二十歳を少し越えたあたりだろうか、まだ若い。 「真柴さんは彼女をご存知でしょうか」 「・・・・・・いいえ」 「そうですか」 否定すると、意外にもあっさりと三堂は引いた。もっと追及されるものと思っていた創は拍子抜けする。 「では、無差別連続絞殺事件というのをご存知ですか?」 思わず創の目が揺れた。 「・・・・・・ええ。最近、新聞でよく報じられていますね。それが何か」 横で青木が「こいつは絶対に怪しい」とでも言うように合図しているのを無視し、三堂は創に質問を重ねる。 「彼女はその事件の、5人目の被害者です」 言うなり創は目に見えて動揺した。服の胸の辺りを掴み、息を呑んで視線を逸らす。 ――何かある。 直感した三堂は、さらに質問を重ねた。 「あなたは今まで、4枚ほど『祈り』というタイトルの絵をお描きになられていますね」 「ええ・・・・・・あれは・・・・・・文字通り、祈りですよ」 「何に対しての祈りです?」 「それは・・・・・・!」 とても言えない、とでも言うように創は首を横に振った。なぜだかひどく苦しげだ。 「先生、大丈夫ですか?」 見かねた真珠が創の顔を覗きこむ。創は大丈夫だ、と手で示して顔を上げた。 「あなたは・・・・・・僕を疑っていらっしゃるのですね。あの絵の制作時期と事件の発生時期が重なっていて、さっきの写真の方の遺体から絵の具油が検出されたから」 「――率直に言わせていただくなら、そういうことです」 曇りのない三堂の台詞に、創は自嘲するような笑みを浮かべた。 「あなたが疑っていらっしゃるとおりですよ」 「――先生?」 「彼女たちを殺したのは、僕です」 「えっ」 青木が驚きの声を上げる。三堂も声こそ上げはしなかったが、驚いてはいるようだった。 「・・・・・・犯行をお認めになるのですか?」 「ええ。――一連の事件は全て僕がやりました。僕だけの犯行です。他の人は一切関係ありません。誰も・・・・・・」 「先、生・・・・・・?そんな・・・・・・」 呆然と真珠が創を見る。苦々しげに三堂は口を開いた。 「私にはまるで、あなたが誰かを庇っているように思えるのですが」 「そんなことはありません!」 思わず声を荒げ、そんな自分の醜態に気付いたように創は身を引いた。逮捕してくれと言わんばかりに両手を差し出す。 「あれは僕の仕業です。――どうか、逮捕してください」 「・・・・・・そうおっしゃられてしまうと、こちらとしても逮捕せざるを得ない」 三堂はしぶしぶ手錠を取り出し、創の手首にかけようとした。 うつむいた創が呟く。 「これで終わる、ようやく・・・・・・カイも、これで・・・・・・」 「――カイ?」 耳ざとく三堂が聞きつけた。しまった、というように創の表情がこわばる。 「真柴さん。カイというのは誰のことです」 「知らない・・・・・・僕は知りません」 「そんなはずはありません。あなたは確かにカイという名を口にした。それは誰なんです?事件に関わる人なのですか」 「知らない、僕は知らない!」 かたくなに拒む創の肩を掴もうと三堂の手が伸ばされる。 創にはそれが己を殴ろうとしているように見えた。 表情が、消えた。 「真柴さ――」 「お前らも鬼か?」 その声は創のものでありながら、明らかに創とは違っていた。 「・・・・・・鬼?」 「創を害するのか」 「え」 「先生・・・・・・?」 三対の視線が集中するなか、表情の欠けた目は三堂を見ている。 「害するのなら――殺すまで」 ことの異常さに気付き、青木が三堂と創の間に割り入った。三堂は目を見開いたまま動かない。 「お前・・・・・・真柴 創じゃないな」 「三堂さん?」 三堂は青木の肩を押し退け、自ら創と対峙する形にした。 創は三堂に視線を固定したままだ。 「彼が言った『カイ』というのは、お前のことか」 「そうだ。私は――創を守るためにいる、鬼だ」 「お、鬼?」 青木が顔を引きつらせる。彼にしてみれば、そんな非常識な言葉は意識の外にあったのだろう。 真珠も青木と同じような顔をしていた。 「鬼は鬼にしか殺せない。鬼は創を害する。私はそれを殺して創を守る」 「――何が言いたい?」 すうと三堂の目が細められる。ため息をつくでも嘲るでもなく、カイは答えた。 「解らないのか。お前は私を捕らえに来たのだろうに」 「――・・・・・・まさか」 その台詞で三堂は全てを悟った。 創が庇おうとしていたのは、――被害者たちを殺めたのは。 「私は、鬼を殺した」 目の前が真っ暗になるほどの怒り。 「彼らは人間だ!」 叫ばずにはいられなかった。 費やされた年月は3年。思い出したように起きる犯行。無残に殺された被害者。 何の手も打てない、無力な自分たち。 カイは未だ無表情のままだ。 「いいや、あの者たちは鬼だった。罪の匂いをまとい、夜の気配をにじませる者。――この世にあってはならない」 「先生、何をおっしゃって・・・・・・」 すがるように手を伸ばす真珠を無視し、カイは三堂と視線を交えた。 死人のような眼。この世にあってはならない者の。 「私はあの者たちにお前らは鬼かと問うた。あの者たちはそれを肯定した。だから殺した」 「そんな・・・・・・そんな理由で・・・・・・」 被害者たちは全員、前後不覚になるほど酔っていた。恐らく彼らは冗談半分で頷いたのだろう。 「――たったそれだけで彼女たちを殺したのかッ!」 「警部!」 激昂した三堂を青木が制止した。振り払おうともがく三堂に警告する。 「そいつは正気じゃない!近づいちゃいけません!」 それを聞いたカイは、初めて表情らしいものを浮かべた。 ――笑ったのだ。 「正気と狂気の境など、誰にも定められはしないだろうに」 カイの声はどこまでも静かだ。動きにも迷いや戸惑いの色は見えない。 すうと胸ポケットから何かを取り出した。 電灯の明かりに煌く――ナイフ。 「待て・・・・・・お前、何をするつもりだ!」 「あなたは私に最も近い。判るだろう」 ナイフの刃がくるりと返され、カイ自身に向けられる。 「これで、終わりだ」 そしてカイは己の胸に刃を突き立てた。 「っ・・・・・・いやぁぁぁあああっ!!」 「!青木、救急車!」 「うあ、はい!」 慌てて119番へ通報する青木を尻目に、三堂はカイに駆け寄った。傍には真珠がへたり込んでいる。 ゆっくり血が滲んでいく中、カイは――どこか満ち足りた表情をしていた。 ――事件は、終わったのだ。 *** 病院のベッドに横たわっていた創が、すうと静かに目を開けた。頭を動かしてベッドの脇を見ると、真珠と二人の刑事が話している。 「ああ、起こしてしまいましたか。お邪魔しています」 創が起きたことに気付き、三堂は軽く頭を下げた。青木もそれにならって頭を下げる。 「僕の罪状は――・・・・・・」 「無理はしないでくださいね、まだ動けない状態だそうじゃないですか。――精神鑑定の結果、あなたは多重人格障害と診断されました。 それを考慮したうえで裁判は進むでしょう」 「・・・・・・そう、ですか・・・・・・」 「あなたは、自分の中にもう一つの人格があることにお気づきだったと聞きました」 「ええ」 創は静かに頷いた。 「昔から時々、記憶が途切れることがありました。父が精神科医をやっていたもので、その蔵書を読んでこの病気のことを知ったんです。 それで、どうにかしてもう一人の自分に接触してみたいと思って、手紙を書きました。それを枕元に置いておいたんです」 「手紙・・・・・・ですか」 「そう、手紙です。『もう一人の僕へ、いるなら返事を下さい』とね。――幼稚でしょう?でも、返事は来たんです。 『私の名はカイ。あなたを守るための鬼』と」 「鬼・・・・・・」 創は頷く。 「なぜ彼が鬼と自称したのかは解りませんが、父が母をそう呼んでいたからかもしれません。母は重度のアルコール依存症で、 僕にたびたび暴力を振るって、父はそれに気付くたび『母には時々、鬼が憑くのだ』と僕に言い聞かせていましたから。 カイが現れだしたのはその頃からで、――鬼に対抗できるのは鬼だけだと、そう思ったのかもしれません」 「・・・・・・実際、彼はそう言っていました」 言うと創は自嘲するような、哀しげな笑みを浮かべ、それに、と続けた。 「黒い服を着た女性を狙った理由も、多分その辺にあるのだと思います。母は黒い服を好んで着ていましたから」 「それで、彼らは鬼だと・・・・・・」 「鬼はあってはならない、というのもそういうことなのでしょう。彼は元々、僕を守るために生まれた人格です。 鬼はあってはならない存在だと思い込んでいたとしても、無理のないことです」 創はゆっくりと息を吐き、視線を落とした。 「あの時は言えませんでしたが、あの『祈り』の絵は、カイの犯行を止めて欲しいと、そう誰かに言いたくて描いたものなんです。 誰か気付いて、止めてくれ、と。実際に言うのは怖くてできなかったけれど――・・・・・・」 「解ります」 三堂は彼に同調した。 「5人目の遺体に絵の具油を残したのも、あなたのメッセージだったのですね。早く自分を見つけてくれ、という」 「ええ・・・・・・カイにそういったことが分からないのを踏まえたうえで、わざと手に塗っておいたんです」 創は目を閉じた。 「カイの犯した罪は僕が償います。たとえ何十年かけてでも。多重人格障害だということは忘れて、判決を下してください」 「先生・・・・・・」 真珠は両手で顔を覆った。三堂と青木は黙ってそれを見ている。 決然と三堂が口を開いた。 「それは私たちに言う台詞ではありません。――裁判の席で、遺族の方々がお聞きになっている前で、そう仰ってください。それと」 三堂は少しためらったが、三対の視線に押されて言葉が出た。 「・・・・・・カイさんに、あなたの意思は伝わっていたと思います。全てではなくとも。あなたが『祈り』をお描きになっていらした間、 事件は発生していないんです。彼が本当に――言葉は悪いですが――殺人狂だったら、そうはならないでしょう。 ですから――あなたの祈りは、確かに彼へ届いていたのだと思います」 それぞれから驚いたような視線が返ってくる。三堂は居心地の悪さを感じた。 「・・・・・・単なる推測に過ぎないのですけれど」 「いいえ」 創は微笑み、ベッドに横たわったまま、三堂に向かって深々と頭を下げた。 「・・・・・・ありがとうございました」 「結局」 病院を出てぶらぶらと歩きながら、ふいに青木は口を開いた。 「事件の世間的な結末は――・・・・・・世間を恐怖に陥れた無差別連続絞殺魔は精神異常、自分に捜査の手が伸びるのを恐れて自殺しかけたところを逮捕され、 事件は見事解決。二人の警官は昇進。・・・・・・ってことで、まとまっちゃったんですよね。何だか実感が湧きませんよ」 「いつだってそういうもんだろ。事件なんて、な。物事は本人が知らないところで進むし、世間という名の形なき化け物は、私たちの都合など知ったことではないのさ」 「ですねえ・・・・・・。真柴さんなんて、まさにそうじゃないですか?自分が知らないうちに、もう一人の自分が人を殺してた、だなんて」 「ああ。・・・・・・――カイというのは、破壊の壊という字を当てるのかもしれんな」 「はあ」 わけもわからず青木は相槌を打つ。 「創は『創る』という字だろ。画家なんて、まさに創作の仕事じゃないか。それに対してカイは、鬼を『壊す』ために生まれたような 人格だ。だから――破壊に存在意義を見出してしまったのかもしれん」 「でも、真柴さんは『カイは自分を守るために生まれた人格だ』って仰ってましたよ?」 「馬鹿。何かを守るということは、何かを犠牲にしないと成り立たないもんだ。守ることに存在意義があるというのなら、 壊すことにそれがあると言っているのと変わらない」 「真柴の母親が死んで、存在する理由を失って――・・・・・・カイは、母親以外の鬼を見つけて破壊することに、存在意義を見出してしまった んだろうよ」 どこか虚空を見つめて独白する三堂は、いつになく儚いものに見えた。 「真柴さんの母親がお亡くなりになったのって、いつ頃なんですか」 「3年前――無差別連続絞殺事件の、最初の事件が起きる少し前だ。葬式だの何だの、全てが片付いて落ち着いた頃――事件が始まった」 「はあ・・・・・・。随分と詳しいですね」 「たまたま、その葬儀に出席してな。それに――・・・・・・好きだったんだ」 「え!?」 思わず青木は大声を出した。それにも構わず三堂は続ける。 「真柴画伯の絵が、さ」 「あ、ああ・・・・・・。そういうことでしたか。だから画集なんか持っていたんですね」 できるだけ平静を装って青木は頷いたが、傍から見れば彼が動揺しているのは丸分かりである。 普段の三堂になら一目で見抜かれていたことだろう。しかし今は気付かない。そのことを青木は心底ありがたく思った。 「誰もがカイのように、存在意義を見失う時というのを経験するものだ。それをどう克服するかが問題なんだろう」 「・・・・・・ですね」 「私の場合、それは・・・・・・」 「――刑事さん!」 三堂の台詞を遮るように、背後から声が飛んできた。見れば真珠が息せき切ってこちらに駆けてくる。 三堂の表情は、一転して「市民に対応する刑事」のそれになっていた。 「どうかなさいましたか、古森さん」 肩で息をする彼女をなだめ、優しい声で問いかける。 「私・・・・・・、5枚目の『祈り』は、私が完成させます」 「へ?」 青木は思わず間抜けな声を上げた。 「先生はあんな状態ですし、動けるようになる頃には裁判が始まってしまうのでしょう?――だから、私が続きを」 「・・・・・・そうですか」 「ええ」 頷く彼女には決意が満ちていて、ひとかけらの曇りもないようだった。 「それと、カイさんの分の『祈り』も描くつもりです。先生が描きたがっていらしたような、救済の・・・・・・先生の弟子として、 恥ずかしくないような絵を。――それだけ、お二人にお伝えしておきたくて」 三堂はまるで自分の弟子を見るような眼差しで、微笑んだ。 「楽しみにしています」 応えるように真珠も笑った。 「では」 ぺこりと頭を下げ、彼女は元来た道を戻っていく。 そのまっすぐに伸ばされた背を見つつ、三堂は呟いた。 「・・・・・・いい子だな。彼女は鬼なんかとは無縁の存在なんだろう」 「ですねえ。まあ、強いて言うなら真面目そうですし、仕事の鬼でしょうかね」 「それは私に対するあてつけか?」 「あ・・・・・・。」 言われて青木は自らの失言に気が付いた。事件に熱中しては寝食を忘れ、署に泊り込むことも少なくない三堂もまた、同僚たちの間で 「仕事の鬼」と評されているのだった。もっとも彼女の場合は、その態度の厳しさも含めて「鬼」と呼ばれているのだが。 鬼の三堂――それが彼の上司のあだ名だ。 二人の間に何とも気まずい沈黙が流れた。 何とか現状を打開しようと、場を取り繕うように青木が質問する。 「・・・・・・そ、そういえば警部。警部はさっき、何て言おうとしたんです?ほら、存在意義を見失ったら、私の場合は・・・・・・って」 しかし返ってきた台詞はあまりに無情なもので。 「忘れろ。ついでに言うなら警部はお前で私は警視だ。昇進しただろ」 「え?あ、ちょ・・・・・・そりゃないですよ警部、じゃない、警視!」 青木は三堂の袖を掴み、彼女の腕ごと振り回した。が、いかにもうっとうしそうに払われてしまう。 不満げにむくれた青木の耳に、ふいに三堂の独り言が飛び込んできた。 「・・・・・・しばらく、仕事の鬼でいるのをやめてみようかな」 「へ?あ、だったら!」 チャンスとばかりに青木は三堂の肩を掴む。 「映画でも見に行きませんか。僕、ちょうどチケット二枚持ってるんです」 「ほう。何の映画だ?」 「ほら、最近話題のアクションものです。警部、確かそういうの好きだったでしょう」 「よく覚えてたな、そんなこと」 「警視のことですから」 「・・・・・・?まあいい。たまには悪くないだろう」 「じゃあ決定ですね?」 「ああ」 「絶対ですよ?」 「はいはい」 「これから三堂さんって呼んでいいですか?」 「はいは・・・・・・何?」 惰性で相槌を打っていた三堂は動きを止めた。 今、彼は何と言った? 「映画、絶対ですからね?三堂さん」 ――時、すでに遅く。 三堂は否定するタイミングを逸してしまった。 完全に、してやられたのだ。 だが、これ以上ないほどに嬉しそうな青木の笑顔を見たら、否定する気など失せてしまった。 「二人っきりは初めてなんですよねえ。学生時代もこんな機会はありませんでしたし。ああ、初デートだ」 本人は考えているだけのつもりなのだろうが、思い切り口に出ている。三堂はデートの約束をしたつもりなど毛頭なかったのだが。 あまりに嬉しそうな青木につられ、思わず三堂も口元を緩めた。 「そんな浮かれた顔をするんじゃないよ、馬鹿め」 これではまるで、彼に救われている自分こそ馬鹿のようだ。 ――私も鬼を飼っていることなど、知りもしないくせに。 だが青木は三堂の内心になど気付かず、笑う。 「いいじゃないですか、浮かれさせてくださいよ。こんな嬉しいのは久しぶりなんですから」 ああ、 なんで。 「なんでお前が――・・・・・・」 ――私の存在意義になってしまったのだろう。 何も知らずにいる彼がいるからこそ、自分は存在していられるのだ。彼が救ってくれるから。 救済の絵―― ちょうど、創にとっての真珠のように。 「・・・・・・どうしました?三堂さん」 気付くと青木に顔を覗きこまれていた。何でもない、と視線を逸らしてばつが悪いのを隠す。 「それよりお前、署でそう連呼するのはやめろよ。あくまでも私的な場での呼び方だからな」 「解りました、二人っきりの時だけそう呼びます」 「おい。それのどこが解ったんだ」 「大丈夫ですよ。要は署でそう呼ばなきゃいいんでしょう?安心してください」 「できるか」 「僕だって公私の差くらいわきまえてますよ。――ほら、早く行きましょう、三堂さん!」 「はいはい。分かったからそう大声を出すな、やかましい」 創といい、三堂といい――・・・・・・ ――――鬼を飼う者は、鬼を飼わない者に救われるものらしい。 終 up date 05.06.08. 台本版:基本話通り/刑事組の性別チェンジ |
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