傍らの髑髏がかたりと笑った。 僕は机に突っ伏してそれを見ている。僕の味方であり、力である髑髏。 かた、と下顎の骨が下がった。同じようにしてまた上がる。かた、かたん。かた、かたん。 こいつはいつか喋り出すんじゃないのか。僕はそう思っている。笑うことができるなら声を出せてもおかしくはないだろう。 ああ、でも、声帯がないのか。こいつは頭だけだから。 筋肉もないのに動く奴にそんなことを言っても無駄だろうか? 僕は手だけを動かして、髑髏の頭をするりと撫でた。よく乾いて磨き上げられた骨。これまで何人も喰い殺してきたらしい。 何とかと言う昔の人の骨らしいけれど、僕はよく知らない。だってこいつはもう骨なんだ。生前のことなんて知ったって意味がない。 あの女を殺してくれさえすれば、何だって構わない。 父さんを殺して平然としている、あの――女。 世間的には僕とあの女は親子ということになっている。でも血の繋がりは全くないし、僕はあの女を親だと思っていない。 あの女が初めて家に来た時も、――もちろん今も。 父さんは病気で死んだってことになっているけれど、そうじゃないことを僕は知っている。だって本当に病気なら、 なんであの女はこっそり父さんの食事にだけ何か入れたりしてたんだ。病気に対する薬なら、堂々と飲ませてやればいい。そうだろう? それに――本当に父さんの死を悲しんでいるなら、お通夜が終わった後の高笑いは何だったんだ。 通帳を見てにやにやしていたこともある。僕は後でその通帳をこっそり覗き見て、あの女に莫大な遺産が転がり込んだことを知った。 もちろんその中には僕の分も含まれていたのだろう。でも、未成年の僕に何千万という金額の管理ができるわけがない。実質的に、 父さんの遺産は全てあの女のものになってしまったんだ。 あの女、それが目当てで父さんに近寄ったのか。 そう思った時、僕はあの女を殺そうと決意した。 そしてこいつを手に入れたんだ。持ち主の憎しみを喰らって力を蓄え、その憎しみの向かう先の人物を喰い殺すという呪いの髑髏。 これを僕に譲ってくれた男は一つだけ忠告をくれた。 『お前が憎む相手が死んだ時、この髑髏はお前の寿命も喰っていく。相手が死んだ直後にお前が死ぬということも充分ありえる。 それでもいいんだな』 構わない、と僕は答えた。あの女より一秒でも長く生きていて、奴の死に様を見ることさえできればいいんだ。 それさえ叶えば不満はない。 かた、ひときわ大きく音が響いた。髑髏が笑っている。かたかたと音を立てて。世の全てをあざ笑うかのように。 こいつは笑いながら僕の憎しみを喰っているのか。だとしたら、この感情が強まれば強まるほど―― 唐突に、一階から女の悲鳴がこだました。 ――願いの成就。 ついにこの時が来た。 急いで僕は階段を駆け下りる。壁に手を付いて慌しい音を立てて。階段を下りた先にはダイニング。夕食の準備がされている。 準備は殆ど整っていて、後は箸やスプーンを並べるだけといったところ。その傍らの床には―― 僕の待ち望んだ光景があった。 あの女が床に倒れている。白い足と腕とを投げ出して。どうやら失禁したらしく、両脚の間には水溜りができている。ひどい匂い。 濁った目はどこも見ておらず、口の端からは涎が垂れていた。なんて無様。なんて醜い。 良い気味だ。 けれど僕は死体の首に付いた赤い跡に気付く。それは手の形をしていた。奴のものより小さい、ちょうど僕くらいの―― どくん、と心臓の音がやけに大きく耳元で響いた。 僕が直接手を下したことになっている。違う僕はやっていない。けれどこの状況で誰が信じてくれる? これは髑髏の仕業なのに! 急いで階段を駆け上がり、僕は部屋に駆け込んだ。机上の髑髏を確かめる。相変わらずかたかたと笑っている。しかしその闇で満たされた眼窩の奥に―― 僕は確かに、知性の光を見たのだ。 かたん、と髑髏の顎が鳴る。僕を笑っている。僕の未来を笑っている。 こいつはこの先、僕がどうなるかを知っているのだ。 僕はわけの分からない叫びを上げて髑髏を壁に投げつけた。鈍い乾いた音がして髑髏は壁をわずかにへこませ床に転がる。 それをさらに蹴りつける。何度も何度も何度も何度も。髑髏が笑うのをやめるまで。 やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな僕を笑うな! 『代償は頂いていくぞ』 ふいに知らない男の声が聞こえて僕は正気に返る。声にあわせて髑髏の顎が上下する。 『どうせ先のない命、終わりは覚悟のある時のほうがよかろう』 先のない命―― そして僕はようやく思い至る。 父さんを殺したあの女が、邪魔な僕を放っておくはずがないということに。 不意に猛烈な吐き気が僕を襲った。 結末は初めから決まっていたんだ。あの女は僕に毒を盛り、僕はあの女を絞め殺す。髑髏なんて持ち出さなくても結果は同じ。 ――相討ち。 この気持ち悪さはあの女が盛った毒のせいなのか?それとも髑髏が僕の寿命を喰ったせいなのか? 視界が霞む。五感が薄れる。遠ざかっていく聴覚に髑髏の笑声だけが響く。 『どんな者にも死は平等に訪れる。私にも――お前にも、な』 ――そのとおりだ。 そう思ったのを最後に、僕の感覚は全て途絶えた。 しんと静まり返った邸宅に、一人の男が入っていった。 男はまるでそこが自分の家であるかのように、慣れた足取りで進んでいく。そしてドアの前に立ち、ノッカーの下辺りに軽く手を触れる。 波紋のような揺れがドア全体に広がった。男の掌がドアに沈む。そのまま一歩踏み出すと、男はドアを開くことなく家の中へと入ってしまった。 その手品のような光景を見た者はない。それを知っているかのように、男は遠慮なく家の中を進んでいった。 革靴を履いたままなのに、なぜか足跡も足音もなく、フローリングの床には何の痕跡も残さずに、男は二階への階段を上がっていった。 すぐ傍に転がった女の死体に何の感慨も示さずに。 いくつも並んだドアのガラス窓を一つ一つ覗き込み、やがて小さな両脚が投げ出されているのを見つける。 男はためらわず、そのドアの内へと入っていった。 倒れた少年の表情には、絶望にも似た諦めがある。その先――男の望む場所に辿り着くことのないまま、少年はこときれていた。 かたり、と乾いた音がする。そちらに視線をめぐらせば、机の上に置かれた髑髏がかたかたと歯を打ち鳴らして笑っている。 『久しぶりだな、闇坂よ。相も変わらずしけた顔をしている』 「常に笑っているような顔のお前に言われたくはないな」 男――闇坂逸軌(やみさかいつき)は平然と答え、髑髏を両手で持ち上げた。 「思ったより早かったな。――この少年、どれだけお前に喰わせてくれた?」 『ああ、だいぶ良いものを喰わせて貰った。なまじの大人より、強烈な憎しみを持っていたぞ』 「子供の感情は純度が高いからな」 闇坂の手の中で髑髏は笑う。 『だが、お前の願いよりは弱かった』 「・・・・・・そうか」 闇坂の言葉に一瞬隙があったのを、髑髏は聞き逃してはいないだろう。それを承知で両者とも何も言わなかった。 闇坂は自分と同じ立場に立つ者が欲しいのだ。そしてその者に問いかけたい。憎んで憎んで憎んで、その先には何があるのかと。 人の感性を失ってしまった自分の代わりに、その質問に答えてほしかった。 しかし、やはり今回も駄目だった。この少年は強い強い憎しみの心を持っていた。彼ならあるいは、と思ったのだが。 「また、次を探さねばならないな」 溜息混じりに呟けば、小脇に抱えた髑髏が笑う。 『お前の願いが叶うまで、か。――解っているな?もしもお前の願いが叶ったならば、その暁には・・・・・・」 「俺の命をお前にやる。忘れてはいない」 そう。願いが叶えば――闇坂の求める答えが見つかったなら、闇坂の命はこの髑髏によって絶たれると誓約した。 それまで闇坂は老いも病もなく、ヒトとしての制限に縛られることはない。 全てはこの髑髏の定めたこと。 自分が望む答えを得ようが得まいが、この髑髏――逢楽瀬(おうらせ)は笑うのだろう。世の全てをあざ笑うように。 逢楽瀬。往乱世。世を掻き乱しては嗤(わら)う者。 けれど、それがどうしたというのだ。 「俺が死んだ後、お前がどうしようが知ったことではない。俺は俺の求める答えさえ手に入れられれば、それだけで構わない」 そうとは知らずに少年と同じ台詞を述べ、闇坂は窓ガラスに手を触れた。ガラスが波立ち、融けて黒い鏡のように変わる。 鏡潜りの門。 ヒトには決して通れない。 「行くぞ逢楽瀬。次の候補のいる場所に」 『ああ』 闇坂は窓の桟に足を掛け、ヒトでない者のみが通る道の門を潜った。黒い鏡はさざ波立ち、やがて元のガラスに戻る。 闇坂がこの家に居たという痕跡は、ない。 後に残されたのは二つの死体と無数の謎のみ。 少年はなぜ自分より背の高い義母を絞め殺せたのか?なぜ毒入りの食事を摂る前に死んだのか? 全て真相は闇の中、髑髏の嘲笑と共に響いて――消えた。 終 up date 05.07.14 |
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