三堂と青木のもとに本庁への異動命令が届いたのは、ある暑い夏の日のこと。 【鬼神遭逢】 どこかで蝉が鳴いている。 締め慣れないネクタイを少し緩め、三堂は警視庁の門前で部下の青木を待っていた。 自動ドアが開かないように立つ位置をずらし、日影の下で目を閉じてじっと佇んでいる。待ち合わせの時間まで、あと5分。 革靴の足音がする。ふいに速くなり、声が飛んでくる。三堂は目を開けた。 「すみません、お待たせしました!」 「構わん。本来の時間まではあと5分あるしな」 「う〜・・・・・・何で三堂さんより早く来られないのかなあ・・・・・・」 「心がけの違いだろ。――それより、とっとと中に入ろう」 「はい」 やけに礼儀正しく返事をする青木に、緊張しているのだろうかと三堂は思った。 自動ドアを抜け、庁舎の中へと入る。途端に冷えた空気が二人を包んだ。 「はー・・・・・・幸せですね・・・・・・」 青木は心底幸福そうに文明社会の恩恵を享受している。その幸せそうな表情に苦笑し、三堂は受付に向かった。身分を告げ、 自分たちが向かうべき部署の在処を尋ねる。 少々お待ち下さい、と受話器を持ち上げた受付嬢は、何かに気付いて手を止めた。 その視線の先を追って振り向く。 「特殊事件課だろう。案内するぞ」 ――男の纏った雰囲気に、柄にもなく三堂は気おされた。 「霧島さん」 そう受付嬢に呼ばれた男は目線で頷き、「電話は必要ない」とだけ言って彼女の返事も待たずに歩き出した。 慌てて三堂は受付嬢に頭を下げ、仕草で青木を呼んで霧島の後を追った。 エレベーターに乗り込み、行く先の階のボタンを押す。2人が乗り込んだのを見計らったかのように扉が閉まった。 霧島が押したらしいボタンは、6と7の間で光っている。そのボタンだけ階を示す数字が付いていない。 空白の階。 このエレベーターはどこに向かっているのだろう? 三堂はあらためて霧島の容貌を眺めた。 外見による年齢は不詳である。見ようによっては20代とも、60代ともとれるかもしれない。 若々しく見えるのはエネルギーに満ちた体躯のせいだろうし、老けて見えるのはやたら落ち着きがあるせいだろう。 このタイプの男性にしては珍しく、肩を少し過ぎた程度の髪を後ろで括っている。 そして――三堂を呑み込む何かがあった。 だが、横にいる青木が暢気に欠伸なぞしているところを見ると、少なくとも彼は、霧島に対して何も感ずるものはないらしい。 この差はどこから生まれるのだろう。 そんなことを考えているうち、軽やかな電子音がして到着を告げた。 空白の6.5階。あるはずのない階。 エレベーターの扉が開く。 前と左右とに伸びた廊下のうち、霧島は無言で正面へと歩を進めた。照明が暗いわけでもなく、窓から日光が差してもいるのに、 どこか薄暗い。 ロビーにあったような温かさが欠けた廊下。廃墟に似ている、と三堂は思った。 彼らが元いた池袋署ですら、こんなに無機質な印象はなかったのだが。 「本庁ってもっと居心地の良いところだと思ってましたよ」 こっそりと青木が三堂に囁きかける。三堂は軽く頷いて同意を示した。 ロビーの印象を考えると、ここだけがこんな雰囲気なのだろうか。だとしたら――この先にあるという特殊事件課はどんなところなのだろう。 延々と続く灰色の廊下。廃墟の階が広がっている。 「ここだ」 霧島は立ち止まり、ドアの左上に据えられたプレートを目で示す。 『特殊事件課』 学校なら「職員室」だの「3-A」だのと記されていそうなそのプレートには、事務的な字体でそう記されていた。 「・・・・・・やっぱり、見間違いじゃなかったんですねえ」 呆れたような嘆くような、複雑な溜息を青木は漏らした。 「こんな部署があるなんて、僕はまるで知りませんでしたよ」 「知らせていないからな」 「は?」 青木が霧島に視線を戻した時にはすでに、特殊事件課へのドアは開けられていた。 音もなく霧島が入室する。慌てて2人は後に続いた。 ――狭い。薄暗い。 それが第一印象だった。廊下から廃墟の雰囲気を削いだだけの部屋、といったおもむきだ。ドアの正面に窓が1つ、大きめの机が1つ。 その手前に事務机が6つ並んでいる。5つは無人で、残る1つには若い男が突っ伏して寝ていた。 壁は殆どが棚で覆われており、そこには本や押収物件とおぼしき物が所狭しと並んでいる。右に見えるドアは資料室だろうか。 擦りガラスの向こうに誰かの陰がちらついている。 狭い通路を器用にすり抜け、霧島は悠々と部屋の奥に向かっていく。その気配にか、眠っていた男が目を覚ました。 「あれぇ。課長、どっか出かけていらしたんですかぁ?」 「ああ」 ――課長? 霧島は三堂たちを見て少し笑い、窓を背にしたひときわ大きな机についた。伏せてあった金属のプレートをかたんと立てる。 『特殊事件課 課長』と記されたプレート。 どうりで来客を知らせる必要がないわけだ。 机上に肘をつき、指を組んで彼は笑った。 「ようこそ、特殊事件課へ」 「・・・・・・あ」 先に呪縛から解放されたのは青木だった。ふらりと少し後ろによろけ、体勢を立て直して勢いよく頭を下げた。 「青木秀彦と申します!い、池袋署から転属してまいりましたっ!」 「同じく池袋署から転属して参りました、三堂遼(みどうはるか)と申します」 青木に続いて三堂も丁寧に頭を下げる。 「あー、そんな緊張しなくて平気ですよぉ。ここで上下関係なんて気にしてたら、やってられませんから」 いささか間延びした口調で居眠り男が手を振った。付け足すように「あ、僕は西邑由紀仁(にしむらゆきひと)と申しますー」と名乗る。 「俺は霧島豪騎(きりしまごうき)という。俺たちの他に、そっちの資料室にあと一人、それと今日は来ていないが、天城と宮代という奴がいる」 「天城さんは美人で、宮代さんは天才なんですよぉ」 「・・・・・・はあ」 よく分からない説明をされ、青木が曖昧に頷く。三堂はというと、まっすぐに霧島を見ていた。 否、睨んでいると言うべきか。 それに気付いた霧島の視線が上がり、三堂のそれと交わった。すう、と目が細められる。 「お前――・・・・・・」 「鬼を飼っているな?」 一瞬、視界が真っ白になった。 だん、とやけに大きな音が耳に届いた。次いで背中から衝撃が抜けていくのを感じ、代わりに痛みが滲みだす。ドアにぶつかったのだ、と理解するまでに数秒を要した。 「ちょ、三堂さん!?」 「・・・・・・な」 顔から血の気が引いていくのが自分でも分かった。言葉が上手く紡げない。しかし霧島には三堂の意が伝わったらしかった。 「分かるさ。俺も霧島だからな」 とっさには判断しかねる台詞を半ば独白し、机の引き出しから書類の束を取り出す。それを捲りながら話題を切り替えた。 「課の名前から何となく分かってるとは思うが、ここは非常識な事件専門の部署だ。お前らがこの間解決したっていう―― 『無差別連続絞殺事件』か。ああいうヤマばっか扱ってると思ってくれ」 「――はい」 意識が定まらないままに三堂は頷く。 「まあ、この課自体が非常識でもあるんだがな。非常識なヤマをばらして組み立て直して、常識側に持っていってやるのが俺たちの仕事だ。 常識的な意見はもちろん、非常識な意見も俺たちは尊重する。思いついた事があったら遠慮なく言ってくれ。それと、 さっき西邑も言っていたが、肩書きは気にするな。間違ってると思ったらぶん殴ってでも止めろ。ここはそういう場所だ」 それはまるで戦場じゃないか。そう思いはしたものの、口に出して言うことはできない。まだ混乱が続いている。 霧島の目が再び細められた。 「仕事の内容上、精神的に追い詰められちまう奴も中にはいる。そうならない奴を選んで呼び寄せたつもりだが、もしも――」 そこで不意に、がちゃりと資料室のドアが開いた。小柄な男が顔を覗かせる。 「んん?どうしたんすか。あ、転属の人」 男はぴょこん、と子供っぽい仕草で頭が下げた。 「佐竹信之と申しますです。よろしくお願いします」 「青木秀彦と申します」 「三堂、遼です」 2人が名乗ると、佐竹はひどく嬉しそうににかっと笑った。何となく心が鎮まった。 「それで、課長、さっき何か言おうとしかけておりませんでしたか?」 「ああ――」 霧島は立ち上がり、佐竹から資料を受け取った。自分の持っていた書類と照らし合わせ、にやりと笑う。 「もしも『向こう側』に行きかけたら、俺が引きずり戻してやるよ」 それは慢心でも虚勢でもない、真実の言葉だった。 本能より奥の部分が、嘘ではないと告げている。たとえ三堂が鬼に呑まれたとしても、彼は平然として三堂を引きずり戻してくれるのだろうと、 なぜかそんな確信があった。 だから惹かれたのか、とぼんやり思った。 青木が相棒なら、霧島は主君だ。 「そういうわけで」 ばさ、と分厚い書類の束が渡される。 「初事件だ。心してかかれ」 瞬時にして、三堂の頭は刑事のそれに切り替わった。 「――・・・・・・これは?」 青木が三堂の手元を覗き込みつつ問うた。最上部には『渦ヶ岳神隠し事件』と印字されている。 さらにその横には一回り小さな文字で『(埼玉県警より依頼)』とあった。 「北海道の渦ヶ岳って山でですね、神隠しが起きたンです。それの被害者が埼玉出身の資産家だとかで、 道警でなく埼玉県警を通してウチに回ってきたってワケなんす」 「いえ、問題はそこではなくて」 「何で他県のヤマが回されてきてるか、ってことでしょう?――ウチの課にはねぇ、管轄ってものがないんですよ」 「・・・・・・は?」 思わず三堂は疑問符を発した。 『管轄がない』? そんなことがあるはずはない。 「言っただろう、この課自体が非常識な代物なんだ。依頼さえあれば日本全国どこへでも出かけるぞ。日本版FBIだとでも思え。 ただし、所属してる奴はお前ら含めて7人しかいねぇがな。忙しいのは覚悟しておけよ」 「は、はは・・・・・・」 青木が引きつった笑いを漏らす。三堂も同感だった。 たった7人で、日本中の『非常識な』事件を解決する? そんな馬鹿な! 「馬鹿馬鹿しいのは百も承知だ」 三堂の内心を読んだように霧島が言う。 「それでも、今までここに回ってきた中で迷宮入りになったヤマはねぇんだぞ?」 誇るように、挑むように三堂と青木を一瞥する。 「だから、『非常識』ではあっても『不可能』ではない」 「――・・・・・・」 三堂は左右に視線を泳がせた。西邑も佐竹も、同感だと言うように笑っている。 霧島が言っていることは事実なのだ。 三堂は深々と溜息を吐いた。 「あまり焚き付けると、私は暴走しますが」 「しないさ。そのために相棒がいるんだろう」 「へ?」 顎で示された青木は間抜けた表情で自分を指した。 「そう、お前だ。池袋署でもコンビで通ってたそうじゃないか」 「いやあ、照れますねえ」 「何でだ」 一応は突っ込んでおいたが、それ以上は言わないでおいた。悔しいが、反論できない。 実に楽しそうに霧島は笑った。 「特殊事件課はファミリーだ。きついなら頼れ。呼べば行く」 「力になりますよ〜」 「遠慮なく言って下さい」 ――ああ。 観念するような気持ちで、三堂は静かに苦笑した。 彼らは、本当にファミリーなのだ。 「――覚えておきます」 そして三堂たちは、特殊事件課の一員となった。 END. up date 05.06.09 |
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