ドアを開けて廊下に出ると、室内よりわずかに冷たい空気が流れていた。
部屋の斜め前にキッチン。そこに誰かの大きな背中が見えた。
「ギルバート。起きた」
ライが呼びかけると、その大柄な男は振り向いた。まずライを見、次いでヘンゼルを見て破顔する。
「おう、目ぇ覚めたのか。良かった良かった」
心底嬉しそうに頷き、ヘンゼルの頭をくしゃくしゃと撫でた。その感触で父を思い出し、ヘンゼルは泣きたくなった。
(でも、駄目だ)
敵か味方かの判断は、まだついていないのだ。不用意に心を許してはいけない。
現状把握が済むまでは、誰も信用してはいけないのだ。
「怪我人に乱暴なふるまいしちゃいけませんよ、ギルバート」
不意に背後から女性の声が飛んできた。振り向けば、銀髪の若い女性が書類の束を持って立っている。
ギルバートがヘンゼルの頭を撫でている光景を見咎めたらしい。
「乱暴にした覚えはねぇぞ」
不服そうにギルバートが言えば、女性は軽く肩を竦めた。
「自分の力が一般より強いことを自覚してください。ただでさえ、怪我をしている体には負担が大きく感じられるものなんですから」
「了解」
降参、というように両手を掲げてみせたギルバートの横を通り、女性はキッチンに入っていく。
そして彼女がテーブルに置いたものを見て、ヘンゼルは思わず声を張り上げた。
「あ、僕の短剣!」
「え?ああ」
言われて、今気付いたというように女性は顔を上げた。ヘンゼル向かって深々と頭を下げる。
「すみません。断ってから持ち出すべきでした」
「断ってからじゃ時間がかかりすぎただろ。で、解析結果は」
「ここに全てまとめてあります」
「貸せ」
ライは女性の手から書類を貰い受け、どすんと椅子に腰を下ろしてそれを読み始めた。
「・・・・・・解析?」
ヘンゼルが呟くと、女性は彼を手招きして椅子に座るよう促した。丁寧に引いてくれた椅子に、ありがたく座らせてもらう。
自分もヘンゼルの向かいに腰を下ろし、彼女は短剣の刃の部分を示す。
「ここに使われている金属の種類をご存知ですか?」
ヘンゼルは首を横に振った。金属の種類など、気に留めたこともなかった。
「鉄じゃないんですか?」
「外れです。結果としては合金――ステンレスでした。鉄74%、クロム18%、ニッケル8%の」
「フローラ」
話が専門的なほうに向かいかけたのを止めるように、ライが口を開いた。その目は書類の上に伏せられたままだ。
ぴ、と右手が外を指差した。
「講義始める前に、まず顔洗ってこい。すすけてるぞ」
「え」
フローラはさっと両頬を手で覆った。
「汚れていないと思ってそのまま出てきたんですが」
「黒い」
「ついでに言うなら、薬の匂いが染み付いてるな」
ギルバートにまで言われ、フローラは勢いよく立ち上がって勝手口から外に出た。そこに井戸があるのだろう、すぐに水音が聞こえだす。
「・・・・・・あいつ、まさか水被ってんじゃねぇだろうな?」
「服の上からな」
「冷静に言ってる場合じゃねえよ。風邪引いたらお前のせいだからな」
「何でそうなる?」
「部下の失態は上司の責任、だろ。ほい、メシだ」
「あ、ありがとうございます」
さっきから何をしているのかと思ったら、どうやら食事を温め直してくれていたらしい。粥と雑炊の中間のようなものがどっさりと椀に 盛られている。思い出したように腹の虫が鳴いた。
それを聞いたギルバートは笑った。
「その調子なら心配なさそうだな。まだあるから好きなだけ食え」
「ありがとうございます」
再び礼を述べ、ヘンゼルは食事を開始した。ぐちゃぐちゃとした外見に反して、それはとてもおいしかった。
「ちょっと、フローラ!?何やってんのよ!」
不意に廊下から声が飛んでくる。振り返るより早く、気の強そうな女性がシーツを引っつかんでキッチンを抜け、勝手口から外に出て行く。
「わっ」
「わっ、じゃないわよ!あんたねぇ、自分がどこで何やってるか分かってんの?」
「井戸の横で水を浴びていました」
「ええそうね、着替えも持たずにね!しかもここは外なのよ?そーとーなーのーよ?分かってる!?」
「キッチンを出た時点で了解済みですが」
「だったらせめてお風呂に行きなさいよ、井戸じゃなくて!女失格よ!」
「なりたくて女になったわけじゃありませんから」
「いちいち論点がずれてんのよ、あんたは!」
ごっ、と鈍い音がして会話が終わる。すぐにシーツを被せられたフローラが戻ってきて、キッチンを通り抜けていった。 それが頭をさすりながらだったのは、そこを殴られたからに違いない。
「まったくもう、もう少し自覚を持ってもらいたいもんだわ」
「・・・・・・マイシェル。もう一人のガキはどうした?」
「もう一人?あ」
そこで彼女はヘンゼルに気付いた。軽く笑って「目が覚めたのね、良かったわ」と呟く。
「あの子もそろそろ目が覚めそうよ。だからフローラに診てもらおうと思って出てきたんだけど」
マイシェルは溜息をついた。相当フローラに呆れているらしい。
「もう、一人・・・・・・って」
「あなたの妹さんよ。今はまだ寝てるけど」
思わず立ち上がったヘンゼルを宥め、マイシェルは食べかけの食事を指差す。
「食べ終わってからにしなさい。でないと再会で興奮した途端に倒れちゃうから」
「・・・・・・はい」
頷いて、ヘンゼルは椅子に座り直した。それを確認したマイシェルは「じゃ、あの子が戻ってきたら言っといて頂戴」と言い残して キッチンから出ていった。
しばしして、着替え終わったらしいフローラが戻ってくる。
「おう、フローラ。マイシェルが呼んでたぞ」
「あ、はい」
「必要ない」
フローラが出て行こうとした寸前、いやにはっきりとライが断言した。
「え?」
ヘンゼルが疑問符を発すると同時に、ギルバートとフローラが廊下のほうに視線を転じる。
キィ、とドアが開く音がした。
「起きたわよ」
言いながらマイシェルが入ってくる。そして、その後ろには。
「グレーテル!」
「お兄ちゃん!」
二人は駆け寄り、互いの存在を確かめるように手を取りあった。
「よかった、無事で、本当に良かった・・・・・・!」
「あれだけ怪我して生きていられるなんて、思ってなかったわ」
再会を喜びあう二人の後ろで、ギルバートたちも嬉しそうにしていた。
「良かったなあ」
「ライが運び込んできた時は、本当に酷い状態でしたしね」
「・・・・・・あ。そういえば、あの馬鹿はどうしたのかしら」
マイシェルの呟きに反応したように、ふっとライが顔を上げた。
「・・・・・・蹄の音がする」
「蹄だと?」
にわかにギルバートたちの表情が険しくなった。何事かと戸惑うヘンゼルたちをよそに、ライは静かに目を閉じた。
「一騎だ。武装はしていない。重い荷を持ってる。こっちに向かって・・・・・・」
ライは目を開け、安堵したように体から力を抜いてテーブルに寄り掛かった。
「・・・・・・カインだ。ったく、警戒させんじゃねえよ・・・・・・」
「カイン?何で馬になんて乗ってんのよ」
「知るか。本人に聞け」
話している間に、ヘンゼル達の耳にも蹄の音が聞こえてきた。窓の向こうに小さく見える騎手の姿は、ライが言ったとおり武装している 様子はない。後ろに負った大きな荷はかなり重そうだ。
けれど。
「・・・・・・何で分かったんだろう?」
グレーテルは小さく首を横に振り、兄の呟きに応えた。確たる答えは得られないまま、勝手口の前に騎手が到着した。
真紅の長髪を揺らして、男は身軽に馬から飛び降りる。
「カイン、どうしたんですか、その馬」
「ん?野生種だろ、多分。カーレンの外れをうろうろしてたもんで、ありがたく乗せてもらった」
「・・・・・・野生種にしちゃ肉付きが良いな。人を怖がってねぇみてぇだし」
「大丈夫だろ。手綱も鞍も付いてねぇから平気だ。それよりギルバート、荷物下ろすの手伝ってくれ」
そして思いついたようにカインは荷物を漁り、その中からくしゃくしゃになった新聞を引っ張り出してライに投げた。
「6面の右隅だ。気になったんで買ってきた」
「何?」
無言で新聞を開くライの横から、マイシェルが紙面を覗く。いくつかの記事を読み飛ばし、目当ての見出しを読み上げた。
「『東の魔法使いオズワルド、未だ行方知れず』」
「そう、それだ。もう一つ、11面の左下」
ばさ、と紙面がめくられる。麻袋に入った荷物を担いだまま、空いた左手でカインが示す。
「ここだ。『レッシュゴルドの行方を探る』」
「レッシュゴルドの、行方・・・・・・」
おうむ返しにライが呟いた。
「まだ見つかってねぇ主要人物の行方を検証する、ってのが記事の大筋だな。そこに載ってんのは王子と王侯御典医と宮廷魔術師。 何回かに分けて特集組んだうちの初回みてぇだ。特集終わるまで買い続けっか?」
「そうしてくれ」
短く答え、ライは記事に没頭した。荷物を置き終え、馬の尻を叩いて解放を告げてやったカインは、そこでようやくヘンゼル達に目を 留めた。
ポケットを探って何かを取り出し、腰を屈めて二人を手招きする。
「いいもんやるからこっち来いよ」
「変質者みたいな真似はやめなさい」
「安心しろ、俺はロリコンになる気はさらさらねぇから。――ほれ」
ころん、とそれぞれの手のひらに何かが落とされる。見ればそれは飴玉だった。
「ありがとうございま」
す、と言い終える前に壮絶な音がしてカインが沈んだ。いつの間にか、彼の背後にフローラが立っている。
どこか危険なものが漂う笑みを浮かべ、フローラは手に持った書類の束を持ち直した。
きっと、あの書類がハリセンの役目を果たしたに違いない。
「てっめ・・・・・・何しやがる!」
「彼はともかく、彼女にはまだ早いですよ」
「ああ?飴玉食うのに早いも遅いもあるもんか」
「あります。彼女はまだ食事を取っていませんから」
「だったらそう言えよ・・・・・・!」
不機嫌そうに呟いたカインを無視し、フローラはヘンゼルが食べたのと同じものを鍋からよそってグレーテルに渡した。
「それを食べ終えたら、現状把握といきましょう」
そう言ったフローラは、完璧なまでの笑みを浮かべていた。
小さな声で、こっそりとグレーテルが訊いてくる。
「お兄ちゃん。この人たち、何者なの?」
答えることはまだできない。しかし、一つだけ分かっていることがあった。
「少なくとも、敵じゃないみたいだ。――今のところは、だけど」
そう、今のところは。
けれどそれで十分だった。傷が癒えるまで、身を置くことができるなら。
それが分かっただけでもましだろう。全てを疑っていなければならないよりは。


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