翌日、チャンスは舞い込んできた。
差出人は「志賀明弥」となっている。日付は一昨日だ。
文面は――・・・・・・

"拝啓
早春の候、皆様には益々御健勝のこととお慶び申し上げます。また、日頃から本社の発展に御理解、ご協力頂き、心から感謝申し上げます。
さて、このたび私は結婚することになりました。新しい人生を皆様に見守られて出発できれば幸いです。
つきましては、御挨拶を兼ねまして心ばかりの披露パーティを催したいと存じます。御多忙中とは思いますが、御出席いただければ幸いです。
敬具

20××年3月吉日


そして、その招待状に書かれた日時は。
「・・・・・・来月、か」
深紅は招待状から顔を上げ、すぐ正面で全く同じ内容の招待状を読んでいる兄に声をかけた。
「どうする?志賀の御曹司の花嫁お披露目会だってぇけど。行く?」
「いや。結果は何となく目に見えているしな。・・・・・・それに深紅、行っても花嫁の顔は見られんぞ」
「はぁ?」
やけに確信めいた台詞を吐く帝を深紅は見つめた。予言能力でもあるのか、こいつ。
帝は立ち上がり、招待状をごみ箱に投げ入れた。
「行っても厄介ごとに巻き込まれるだけだ。お前は楽しめるかもしれんが、俺にとっては気苦労の種が増えるだけだからな」
「・・・・・・何かあんのか?」
「ああ。近いうち、志賀は潰れる」
「!」
「今のうちに志賀の株は売り払っておけ。少なくとも、そのパーティの日までにはな」
言い残して帝は居間を後にした。入れ替わるようにして美月が入ってくる。
「深紅。それ、志賀からの招待状ですか?」
「あ、ああ」
「帝にも同じものが来ていませんでしたか?それと、父さんにも」
「親父は知らねぇが、帝には来てたぞ」
「名義はどうなっていますか」
「名義?『鳳龍』宛になってるな。帝のも」
ごみ箱から招待状をつまみ上げ、宛名の部分に目を通す。
「『皇』宛になってる」
「と、いうことは」
にやり、と美月は笑みを浮かべる。
「志賀は私たちに血縁関係があると気付いていない、ということですよね」
「・・・・・・ああ、そうじゃないのか?」
無意識のうちに、深紅は美月から離れるべく後ろに退いた。やばい。何か陰謀の匂いがする。
というか、美月の背後に禍々しいオーラが見える。
彼女の中で、厄介ごとの芽がすくすくと育まれているのが見て取れた。
『厄介ごとの温床』美月は、にっこりと深紅に微笑みかけた。
「深紅、手伝って欲しいことがあるんですが」
・・・・・・断るなど、できるはずもなかった。




それから一ヶ月間、美月はやけに静かだった。
部活は週に一回か二回程度。暇さえあれば得体の知れない言語が書き連ねられた紙束を読んでいる。
家に帰れば地下室に篭りっきり。
(・・・・・・嵐の前の静けさ、ってやつか・・・・・・?)
何かが起こる予感はあっても、何が起きるかは判らない。
美月から送られてきた「今晩夕食不要」とのメールを読みながら、慶陽は一人首をひねった。
ついさっき、深紅からも同じ意味合いのメールが送られてきたばかりだ。そして深紅もこの一ヶ月間、やけに静かだった。
絶対、何か、ある。
分かっていながら、その「何か」が何なのかは判らないままなのだった。




「いいのかよ、何も言わねぇで出てきちまったけど」
「仕方ないだろう。何か言ったら止められる」
「・・・・・・まあ、な」
志賀コーポレーション、本社ビル前。時刻は午後10時を回っている。
深紅と帝は車を降り、その巨大な建物を見上げた。
「この会社も今日で終わりになるのか・・・・・・。ご愁傷様」
「敵に対する情けはためにならんぞ」
「へいへい。――ってーか俺は段取りのほうが心配でしょうがねーよ。わざわざラテン語なんかで書きやがって」
「読めなかったのか?」
「まさか。俺が言ってるのは読みやすさの問題。ほれ」
深紅の投げよこした荷物を受け取った帝は、最後に一つ確認をした。
「行動開始の合図は覚えているな?」
「ブラックアウトだ」
「大丈夫だな。行くぞ」
「ああ」
そして二人は敵の居城へと足を踏み入れた。
受付で記帳を済ませ、スーツの胸元に白い薔薇の造花を付け、パーティ会場――32階へとエレベーターで昇っていく。
奇しくもそれは、美月の結婚式が催された階であった。
ポーン、と軽やかな電子音がして扉が開く。ガードマンの仰々しい挨拶と案内でもって会場内に迎え入れられた。
「さっすが志賀コーポレーション。でけぇな」
「ああ、その分逃げにくくなる。退路の確保はしっかりしておけ」
「言われるまでもねぇ。こういうことは鮮やかにやんなきゃいけねーよ。鮮やかにな」
「口で言うほど簡単に済めばいいんだがな」
視線を交えることなく小声で会話し、さりげなく二人は別れた。深紅はウェイターからカクテルを貰い、行く当てもなく人々の間を 縫っていく。
パーティが始まってから結構な時が経っているのだろう、人々の口はだいぶほころんでいた。
(贈賄罪・・・・・・所得隠し・・・・・・動植物の密輸・・・・・・麻薬売買・・・・・・。美月の言った通り、犯罪のオンパレードだな)
深紅はイヤホンから聞こえてくる音声に神経を傾けた。左耳にだけ付けたイヤホンは、セミロングの髪で隠してある。
聞こえる会話は全て、襟元に潜ませた集音機が拾ったものだ。声だけでは誰のものか分からないが、そこは胸ポケットに付けた盗撮 カメラからの画像と併せて「フラスター」が解析してくれるだろう。
ついでに、特に大物そうな幾人かのポケットに盗聴器を滑り込ませ、そこからの音声もフラスターの元へ届くようにしておく。
解析が終わったものから順に、父の元へと送られるはずだ。――警察官である父の元へ。
(俺のほうはこれでOK、と)
とりあえず仕込みを終え、深紅はひと息ついた。しかし仕事はこれからだ。
深紅の任務は「トーカー」、会話をうまく誘導して目的の情報を得ること。
(さぁて、誰をターゲットにしようかね)
ぐるりと周囲を見渡して、深紅は自分の話術が効きそうな相手を定めると、気安い笑顔を浮かべて標的に近づいていった。


『皆様、ようこそお越し下さいました』
不意に会場の明かりが薄暗くなり、スピーカー越しに若い男が挨拶を述べた。
『本日は私の妻となった女性を皆様にご紹介したく、披露宴という形で皆様をお招きしたのですが、大変申し訳ない事に、彼女は急な病の ため出席を断念せざるを得なくなってしまいました』
「おやおや、残念だねえ」
隣にいた中年男性が大げさな溜息をついた。だが頭の中では「志賀の御曹司の妻」について下卑た想像を繰り広げているに違いない。
(・・・・・・帝の言ってたことが、当たったな)
深紅は招待状を読んでいた時の帝の台詞を思い出した。行っても花嫁の顔は見られない。彼はこうなることを知っていたのだろうか。
(つーか、「妻」って美月のこと、だよな?)
そう考えると全てのつじつまは合うのだ。招待状が届く前日、やたらに不機嫌だった美月。それを連れて戻ってきた帝。花嫁の不在に、 この作戦を実行した理由。
何も言われてはいないが、おそらくそういうことなのだろう。
(そのために会社一個潰すってのも、あいつらしいぜ・・・・・・)
魔女を敵に回したことが、志賀最大のミスだ。
深紅はこっそり十字を切った。
『・・・・・・に、先日手に入れた逸品をお目に掛けましょう』
ふわりと落ちたスポットライトの光に深紅は顔を上げた。前半部分は聞こえなかったが、「代わりに」か「お詫びに」が入るのだろう。
スポットライトの下には、緋色のベルベットが広げられたワゴン。そしてその上に、3振りの日本刀が並べてあった。
柄はなく、刃と鞘だけが並べられている格好である。しかしそこには十分な美しさがあった。
ほう、と客の間から溜息が漏れる。ほとんどは値打ちを知った上でなく雰囲気に呑まれてのものだろう。だが、その正体を知った深紅は 溜息をつくどころではなかった。
やばい。
スポットライトの下で煌いている3振りの日本刀には、それぞれ銘が切られている。
「三条」、「備前長船兼光」、「和泉守兼定」。
どれもこれも、その道では名の知れた名刀である。
名刀が3振り揃っているということだけでもそうそうないことなのに、太刀・大刀・脇差のセットで、しかも銘まで同じときたら間違えようがない。
それらが業物を通り越して国宝級だと知った時の驚きを、深紅は未だ忘れていない。どうか偽物であってくれと願ったことも。
間違いなく、これらは。
(美月の武器だ!)
深紅はその場から今すぐ駆け去りたいという衝動を必死で抑えた。やばい。何も見なかったことにしたい。
今にも呻き声がほとばしりそうになる口元を押さえ、深紅は目線を美月のほうへと送った。
(般若・・・・・・!)
危うく深紅は気を失いかけた。般若がいる、微笑みを浮かべた般若がいる!
表情は見事に取り繕われているのだが、深紅から見れば、その内心に怒りが渦巻いているのは明白だった。現に、勘の良い者は彼女の傍 からこっそり離れていっている。
怒りをあらわにしていないだけ、その雰囲気には鬼気迫るものがあった。
(やっべぇ、何かもう胃潰瘍で入院できそうだわ・・・・・・)
今になって深紅は兄の気持ちを理解した。帝の胃のためにも、今日からはおとなしくなるとしよう。
決意して目線を上げたその先に、深紅は明弥の姿を見つけた。そして、もう一つ大事な作業が残っていたことに気付く。
(し、仕事・・・・・・仕事しねぇと殺される・・・・・・!)
強迫観念めいたものに後押しされ、この十数分で精神力をすり減らしてしまった深紅は、ややおぼつかない足取りで「STAFF ONLY」 と書かれた通路のほうへ歩いていった。


「志賀さん、失礼ですが」
不意に声を掛けられ、明弥は指示をやめて振り向いた。
パーティの客の一人だろう、やや顔色の悪いスーツ姿の青年が立っていた。
「ああ・・・・・・ええと、あなたは確か」
「鳳龍と申します。先程の刀について、少々お話があるのですが」
刀、と聞いて無意識に明弥は身構えた。あれが霧島美月の所持品だとばれたのだろうか。
平静を装い、明弥は彼の話を聞く姿勢を見せた。
「率直に申しましょう。――あの刀は盗品である可能性があります。志賀さんはあれをどこで入手なさったのですか?」
「・・・・・・知人に譲ってもらったのです」
「では、その方がどこから入手なさったかは?」
「聞いておりません。鳳龍さんは、彼女を疑っておられるのですか」
「いえ、そのお方も盗品と知らずに入手なさった可能性があります」
なるほど、と頷いた明弥にやや顔を近づけ、青年は囁いた。
「知り合いの古物商に、こういったことに詳しい輩がいます。今度確認を取っておきましょう。確かなことが分かるまで、あまり衆目にさらさないほうが得策かと」
「・・・・・・分かりました。お願いします」
軽く頭を下げて去っていく鳳龍の背中を見ながら、明弥は親指の爪を噛んだ。盗品?まさか。
彼女が盗難など働くわけはないのだから、「盗品と知らずに入手した」という、あの男の意見のほうが正しいのだろう。きっとそうに違いない。
(どのみち、あれが盗品かどうかはまだ分からないんだ)
かり、と音を立てて爪を噛み、明弥は背後に控えていた側近に命じて刀を引っ込めさせた。
しばしして、3振りの日本刀が並べられたワゴンが明弥の前にやってくる。
「どういたしますか」
「彼女の荷物と同じ場所へ。――きちんと組み立てて、元通りに直してから」
「承知致しました」
命令通りにワゴンを運んでいく側近を背に、明弥は鋭く舌打ちした。
トラブル続きだ、何もかも。美月を手に入れようとした、あの日から。


『こちらシンドラー。今、そっちに武器が行った』
「了解。あの馬鹿にばれませんでした?」
『誰がそんな不手際するか。それにこちとら検察官だ、相手がそれ知ってるってだけで有利なんだよ』
「さすが『詐欺師』」
『うるせぇよ、そっちだって『盗賊』のくせに。――お前こそ、そっちに侵入したのばれてねぇんだろうな?』
「監視カメラは『フラスター』が攻略済み、目撃者はゼロ。見張りは気絶させて縛ってありますし、鍵ははじめから付いていませんでした」
『見張りいたのか。数は?』
「一人です。腕前は中の上ってとこですか。――ああ、来ました。切ります」
無線を切り、美月は近づいてくる足音に備えてドアの横に張り付いて構えた。じっと耳を澄ます。
ワゴンを転がす音と革靴の足音。重複する足音はない。敵は一人だ。
やがて二つの音がドアの前で止まる。見張りがいないことに毒づく声。がちゃ、とドアノブが回された。
美月は気配を殺し、男が室内に入ってくるのを見届けた。ワゴンが進んでいく。まだ、男の姿はドアの陰になっていて見えない。
そして彼の背中が完全にさらされた瞬間、美月は大きく踏み込んで彼の首筋に手刀を振り下ろした。
ぐらりと男の体が傾き、倒れた。気絶したのだ。
開けっ放しだったドアを閉め、侵入者がないよう、荷物の中にあったドアストッパーを下に置いた。次いで気絶した男のネクタイを解き、 手早く手首を縛る。ついでにベルトを抜いて足を縛り、やはり荷物の中にあったガムテープを口に貼った。完成だ。
「さて、と」
小さく呟き、美月は着ていたスーツを脱いだ。窮屈な格好をさっさと改めたかったのだが、それだけ余裕の時間がなかったのだ。
(いつもこんな格好で、何で帝は苦しくないんだか)
変装相手に彼を選んだのは間違いだったかとも思ったが、結果的にはこれでよかったのだろう。おかげでわずらわしい会話をほとんどせずに済んだのだから。
それに、苦しいのは下にもう1枚着ているせいもある。
黒いレザーのバイクスーツ。――美月の「戦闘服」だ。
(後は、武器ですね)
脱いだ服をたたんで鞄の中に放り込み、美月は日本刀を組み立て始めた。元通りの形に組み直し、手入れまで済ませて鞘に収める。
その間、わずか十数分。
完全に支度を終えると、今度は無線でフラスターに連絡を入れた。
「こちらシーフ、準備完了。そっちはどうです?」
『指示があり次第、いつでも』
「了解」
『僕も現場に居合わせたかったですよ。こっちにはそんな楽しそうなことは滅多にないんですから』
「毎日あなたが楽しめることばかりだったら世界は崩壊しますよ。それに、あなたの仕事は現場じゃできないでしょう」
『まあ、それはそうなんですけど』
不満そうな声に、美月は笑った。
「かく乱は得意技でしょう、『フラスター』。あなたの本領を存分に見せておやりなさい」
フラスター、――『かく乱者』も無線の向こうで笑ったようだった。
『分かりました。それなら存分に暴れるとしましょう』


ばつん、と重い音がして、すうっと照明が暗くなった。
「何だ、停電か?」
「故障でもしたの?」
(始まった)
直感した深紅は素早く身を翻し、前もって打ち合わせてあったとおり、壁際に身をひそませる。
左耳のイヤホンを外し、通信用のイヤホンに付け替える。それを掌で軽く押さえて耳を澄ました。
『・・・・・・きますよ』
美月の声だ。フラスターに指示を出している。
カウントダウン。
『3・2・1』
かちり。
「――――・・・・・・!」
会場から無数の悲鳴が上がった。爆発、という単語が繰り返し聞こえる。左耳からは美月の声。
『深紅、状況はどうです?』
「偽爆弾、大成功。扇動するぞ」
『どうぞ』
深紅は大きく息を吸い込み、決定的な一言を叫ぶ。
「テロだ!」
それをきっかけに人々は恐慌状態に陥った。


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