そうして二人がソルシエイラのところに身を寄せてからしばらくした頃。
ぽたぽたと雨漏りする天井に目をやったソルシエイラが、ぽつりと呟きました。
「・・・そろそろ、ここも建て替え時だの」
それを聞いたヘンゼルは、不思議に思って言いました。
「え?ソルシエイラさんが建て替えるの?」
家を建てられるような大工は街や村にしかいないものですし、ましてやこの老婆が家を建て替えられるとは思えません。
するとソルシエイラは、あっさりと言いました。

「ワシは魔法使いじゃよ」

あまりの事に、ヘンゼルは言葉を失いました。
「・・・・・・魔法、使い?それって、子供をさらって食べたりしちゃうっていう・・・」
「ひとくくりにしてもらっちゃ困るね。子供をさらって食べるなんてあくどい事をする奴らは、ごくごく一部じゃ。ワシはそんなことは せん。ただ魔法が使える、それだけの、一般的な魔法使いじゃ」
「一般的・・・ってことは、魔法使いって、いっぱいいるの?」
「おうとも。ここザイン国にはそう多くないが、すぐ隣のレッシュゴルドにゃわんさかいる。お前さんも、魔法使いになりたいかい」
「うん!誰かを食べたりしなくていいならなってみたいなって、ずっと思ってたんだ!」
子供らしいまっすぐな物言いにソルシエイラは苦笑しながらも、「グレーテルと一緒に教えてやろう」とヘンゼルの頭を撫でました。

こうして、親に捨てられた二人の子供は魔法使いの弟子となったのです。



もともと素質があったらしい二人は、師匠に教えられた魔法の知識を見る間に吸収していきました。
書架に置いてあった本は片っ端から読み尽くし、師匠の講義には熱心に聞き入り、習った事はできるようになるまで何度も実践しました。
「この調子じゃと、ワシもいつか追い越されるかもしれんのぅ」
「かも、じゃないわ」
「絶対に追い越してみせるよ!」
幾度となく、そんな言葉を笑顔で交わしあいました。
そうして宣言したその言葉の通り、二人とも、わずか三年で師匠をもしのぐ立派な魔法使いになっていました。
「やれやれ。本当に追い越されるとは・・・」
「あれ?師匠は疑ってたの?」
「私たちは、宣言した事は本当にやるのよ」
交わされる会話が変わっても、三人の笑顔は変わりません。

・・・しかし、状況のほうがそれを許さなかったのです。



ある日ヘンゼルは、森に異様な雰囲気が満ちてくるのを感じました。
それは何とも言えない、肌を這うような不安感を伴って、じわじわと家に迫ってくるようなのです。
(嫌だ・・・なんだろう、この感じ)
いつもはおしゃべりな小鳥たちすら黙りこくってしまった、やけに静かな窓の外を、ヘンゼルは眺めやります。
貪欲な肉食獣にどこかから見張られている、そんな感覚。
(気のせいにしては、生々しいな・・・)
どうも放っておくには危険すぎるような気がして、師匠とグレーテルのもとへ行こうとした、その瞬間。

ドォオンッ

突然響いた、森を揺るがすような衝撃音。
「!?」
慌てて音の聞こえてきた方向―――窓の外―――を見やると、そこには。
ぐったりと地に倒れ伏した、師匠の姿がありました。
「師匠!」
窓枠を飛び越えて外に走り出、ヘンゼルは師匠に駆け寄ります。
「師匠、これは、一体何が・・・」
「・・・来てはいかん、ヘンゼル、お前はここに来てはいかん!すぐにここから離れ・・・」
破裂音、続いて師匠の無言の悲鳴。
「っ――――――!」
ヘンゼルが師匠を抱え起こすと、その左肩からおびただしい量の血液が流れ出しているのがはっきりと分かりました。
「お兄ちゃん、師匠!」
「!グレーテル、こっちに来ちゃいけない!」
家から駆け出してきたグレーテルを制止する声に、何者かの嘲笑が続きました。
「あら。やっぱり生きてたのね、二人とも」
聞き覚えのあるその声。
ヘンゼルの脳裏に、ひどく叩かれた痛みと罵声を浴びせられた時の心の痛みとが鮮やかに蘇ります。
(・・・・・・まさか)
ドクン、と心臓が大きく脈打ちました。
ゆっくりと、その者のいるであろう方を振り返ります。
(あいつがいるはず、ない・・・・・・!)
それでも、認めたくないその姿を視界に入れてしまった時、ヘンゼルは世界が暗転するような感覚を味わいました。
コレハ 夢 ?
「何で、あんたがここにいるのよ・・・」
怒りと動揺に震える、グレーテルの声が聞こえます。
「何であんたがここにいるのよ!――――――あたしたちを捨てた、あんたが!」
・・・そこにいたのは、紛れもない二人の継母。
「しかも師匠に怪我させるなんて・・・!」
「何が悪いの?」
何の拘りもなく笑んだ継母を、二人は呆然と見ました。
「この世に生を受けた者は全て、いつか死ぬのよ。それが今であって何が悪いの」
継母の手に収まっている銀色の拳銃が、死神の鎌と同じ金属光沢をもって陽光に煌きます。
「あんたたちも、森でおとなしく死んでおけば良かったのよ。そうすればこんな手間はいらなかったのに」
すっと拳銃を持つ手を上げ、継母はヘンゼルに狙いを定めます。
「あんたが生きてると困るのよ。・・・私とユトのためよ。死んで頂戴?」
一片の翳りもない笑みを覗かせ、継母は引き金を引きました。
ヘンゼルを撃ち、次いでグレーテルを撃ちます。
あたりに立ち込める硝煙の匂い。
それが感じられたのが、・・・まだ生きている、という証。
けれど火をつけられたように痛む腹部からは、確実に生命が流れ落ちていく感覚があって。
「・・・師匠」
「だから、来るなと言うた」
低く押し殺したような声、それでも確かに聞こえた返答。
「・・・・・・グレーテル?」
こちらの問いに返答はなく、一瞬妹の死を覚悟したヘンゼルのその耳に、手負いの猫のような荒い呼吸音が聞こえました。
(生きてる)
安堵して目を開けると、皮肉なほど空虚に晴れ渡った蒼穹が、木々の梢に透けて見えました。
それすらも霞みはじめた時、ヒュッと何かが空を切る音が、かろうじてヘンゼルの耳に届きました。
「そう楽に死なせてやる気はないわよ?・・・最後の最後まで、痛みに苦しんで逝きなさい」
くすくすと愉快そうに笑う継母の声、その最後の部分は巨大な黒龍の咆哮にかき消されました。
黒龍の口からほとばしる紅蓮の炎を見、その金色の瞳に浮かぶ明らかな殺意を見て、ヘンゼルは全てを諦めました。
意識を保つ事すら諦め、それを手放します。
深い虚無の中に沈みゆくヘンゼルの耳には、もはや黒龍のうなり声すらも聞こえていませんでした。

(夢なら、覚めて・・・)

ヘンゼルが最後に聞いたのは、継母の残酷な笑い声。そして、やたらに大きな葉ずれの音だけでした。



←BACK  NOVEL  NEXT→


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送